63.混迷の盟約
「メリド王子、エシトラ様がお見えです」
部屋に来た従者に言われて、すぐ行くと返事をした。心の内は喜びと不安でぐしゃぐしゃになっていた。彼女と最後に会ったのは二年前だが、ずいぶん変わってしまっているのではないかという予測のせいで会うのが躊躇われる。面会の間のドアを開けると、そこにエシトラがいた。はるかに大人びて背も伸びていた。
「やあ。久しぶりじゃないか」
エシトラは新政権を樹立してからあちこち奔走して、ふた月ほどで国内の情勢を安定にまで導いたという。その事実も彼女の成長や潜在能力を感じさせた。エシトラはにやりと笑った。
「聞いたか?ロナ王国でのことを」
「うん、聞いたよ。アルトナが王を倒して、マリヤが新女王に即位したって」
どこもかしこも大波乱の様相を呈している。この大陸は唐突に変動の時代を迎え始めたが、予兆はきっといくらでもあったのだ。
「こうなれば六国は黙っていないだろうが、にしては動きが少ないとは思わんか」
エシトラは淡々と言った。僕は頷いた。
「表立って軍を動かすとまではいかずとも、なにかしらの毒を含ませるような真似はしてもいいはずじゃ。それもないということは、全く別のことに注意を向けていると考えてよい」
「別のこと…?」
そこでエシトラは言葉を切って、僕のほうをじっと見た。僕は彼女に昔の面影を見て取ったが、同時に危険な香りを帯びているのを感じ取った。
「メリド、この後は暇か?」
「まあ、珍しく予定はないよ」
「どれくらい空いている?」
「ここから丸一日くらいかな」
ふつふつと湧き上がる予感は的中した。
「メリドと私で明日の六国との会議に行こう」
事態は急転に次ぐ急転を告げ、僕はいつの間にか六国の会議場である平原会議場に着いていた。エシトラの久しぶりの来訪からまだ三日しか経っていなかった。しかも、僕とエシトラは二人だけだった。僕は簡単な礼服を身に着けていたが、エシトラは狩猟衣装だった。恐怖心ほど強い感情はなかったが、不慣れではあった。
「六国の長は曲者ばかりじゃ。あまり心を乱されるでないぞ」
「分かった」
天幕の内側には六人の男性がいた。半円状の敷椅子に座り、誰もが目を閉ざしてじっと俯いている。
「六国の諸王に挨拶申し上げる。私の名はエシトラだ」
一礼するエシトラにつられるように僕もおずおずと頭を下げた。
「メリドと申します」
最初に彼らに感じたのは強烈な違和感だった。こちらを見向きもしない。声を出すこともなければ、話しかけられるのを待っているわけでもない。僕は挨拶を続けた。
「まずは非礼をお詫びします。ですが私は現在の六国の皆様と大陸の人々の状態に関する情報を共有しておかなくてはと思って参上しました。皆様は…」
「静かにし給え、客人よ」
幾重にも重なった声が轟いた。
「我々六国はある盟約を結び、それを示すためにエシトラ殿をお呼びしたのだ」
「盟約…?それは私が聞く必要のある内容か?」
「無論」
しばしの沈黙が空気を押しつぶし、そしてまた破られた。
六人の中心に突如淡い水色のエネルギー体が出現した。魔力塊のようだったが、普通のそれとは様子が違う。
「盟約の箱…!」
エシトラが忌々しげに呟く。
王族の血を引くものしか扱うことができない魔法の一つがこの盟約の箱だった。盟約の内容によって次に箱を使えるようになるまでのインターバルが決まり、内容が大規模であったり長期的であるほどインターバルは長くなる。最後に使用したと報告があったのは300年も前、六国相互不可侵の盟約を取り決めた時だった。どんな盟約を交わすのか、僕は固唾を飲んで見守っていた。
「箱よ願いを聞け。六国を統一し、ただ一つの帝国と為せ。国民も領地も富も、全ては唯一の帝国に属することとなれ」
「な、何だと…!?」
箱が白のような紫に光り、耳をつんざく甲高い音を放つ。
僕とエシトラは唖然としてそれを見ていたが、ハッとしてエシトラが叫んだ。
「やめろ!貴様ら、そんなもので一帝国など到底成り立たぬぞ!盟約は所詮王と王とのものでしかない!」
「その王の下には全てが集っている」
僕は箱が明らかにその容量を超えているのを見てとった。箱は箱なのだ。この魔法は、箱に一気に魔力を集結させてから盟約の有効期間の間に一定量ずつ盟約維持のために消費させるという魔法だ。最初に集結させることのできる魔力量には限界がある。
問題は箱が壊れた時にどうなるのか、誰も予想できないということだった。
「民はどうなる!通貨も言語も生活様式も、思想すらも同じとは言えぬ!それがいきなりひとまとめにされた時、どれだけ混乱すると思うのだ!混乱どころではすまぬ、血が流れるやもしれぬ!」
「血など流させぬ。我らが頂の盟主、レーグが上に立っている限りはな」
「レーグだと!奴め、ただの小物ではなかったか!」
同調してゆらめく声にエシトラは唸った。魔力は渦を巻いて集まり、熱と風が轟々と吐き出される。
「エシトラ、僕がやる。下がっててくれ」
「メリド…?何をするのだ」
「賭けだ。契約を箱ごと壊す」
エシトラは口を開いて何か言いかけたが、すぐに無駄だとわかって下がった。表情は固かったが、その口角は自然に上がっていた。
「任せる」
僕はその声を聞いて、エネルギーの集まる中心を向いた。
「…盟約を」
集合した魔力が動揺したように揺らめいた。
「新たな盟約をここに!箱よ願いを聞け!帝国を再び六国と為せ!」
大地から白い光が柱となって天をつき上げた。たちまちあらゆる音と色が消えた。




