61.化けの皮
俺はある予感を携えながら悪魔の魔法を避けていた。一度至近距離に入ってしまえたらそこからはこちらの思うままなのだが、それが簡単ではない。床には散々焼け焦げた跡ができて、少し見ただけだと何人かの魔法使いに押し入られたように見える。先ほどよりも楽ではあったが余裕があるというわけではなく、現に攻めあぐねて一進一退の戦いにもつれ込んでいる。俺も向こうも、まだ凡庸を装って機会を待っていた。相手の決定打を回避してバランスを崩すというのが基本的な戦法であり、同時に長期戦を予測させるものだった。しかし、俺に見えているのは全く逆の、決定打一つだけで勝敗を決してしまうような答えだった。それにはまだ時間が必要で、俺からすればそこまでの戦いだった。向こうは向こうで苛立ちと緊張感に苛まれながら次々に魔法を放っている。
俺は避けながら、確実に最初の魔法より一撃の威力が下がっているのに気づいた。
勢いよく後ろに飛びすさり、胸の剣を引き抜く。痛みすらもはや感じないが、視界は霞みがかったように一瞬だけぼやけて、全てが揺れるように遅く動いた。
喉の奥から沸く血の匂いを吐き出して、全速力で悪魔の方に駆ける。その表情は驚いているような覚悟したような、なんとも言えない表情をしていた。俺の腕は俺が思うよりすんなりと動かない。悪魔は魔法を放った。避けようと思えば避けることができたが、避けるつもりはなかった。瞬間的に防護魔法を唱えて防ぎ、横に剣を振り抜く。
悪魔に乗っ取られた王の体から血がぱっと吹き出した。続けて俺が蹴ると、体は骨が無くなったかのように曲がって部屋の壁に直撃する。
日差しが俺の顔を照らした。
悪魔はすぐに起き上がったが、俺の攻撃が来ないことに拍子抜けしたらしく、俺を攻撃せずに様子を見ていた。
剣を掲げてシャンデリアの破片をふわっと浮き上がらせる。陽の光を十分に吸ったそれは、様々な色に煌めいて浮遊しながら回転している。それはたちまち俺の目の前に集まり、光の塊になる。
「貴様…それは」
「そうとも」
俺は剣を塊に突き刺した。光のエネルギーが集まり、剣の輝きは増してゆく。悪魔はあまりの眩さに身動きがとれないようだった。
「光に照らされすぎると悪魔は動けない。そうだな?」
悪魔は恐怖とも憎しみともとれない顔をしていた。悪魔が現れた瞬間に閃いた作戦は結果になろうとしている。
「そこは親父の体だ。出て行け」
俺は真っ白な刃を横に薙いだ。光は刃となって悪魔の宿る肉体を通過する。
その体から黒い煙と悲鳴があがった。しかしそれも消え、王はその場に膝をついて倒れた。流石に俺の体力が底をつきそうで、思うように前進はできない。しかし、まだ終わりでは無い。とどめを刺さなくてはいけないのだ。自分の剣を構えてゆっくりと、一歩ずつにじりよる。俺は迷ってこそいたが、決断しなくてはならないのは確かだった。
流れが止まる。今までこの場を満たしていた何かの流れが止まる。
嫌な予感が脳みそを貫くよりも早く王は起き上がり、俺の腹に拳を叩き込んだ。息ができなくなりながら、俺は王の服の襟首を掴む。俺の体に働いた一撃の生み出した速度に王も絡め取られる。
結局俺たちは揃って吹っ飛び、窓を突き破って建物の外に勢いよく出た。唐突に真っ白な真昼の日差しがこちらを一睨みした。
かと思うと、たちまち落下し始める。俺も王も手の打ちようがない。頭の中では様々なイメージが次々と浮かんでは、感情を残さずに消えてゆく。ミトナやガイレルやシラナ、マリヤやバーヴルや山賊たち、エミイやメリドやエシトラ、森長。落ちるのが遅いのか、考えるのが早いのか分からない。
また呼吸が止まり、次に激痛が背中を走る。体が勝手に息を吸って、むせ返って咳をする。王も酷く咳をしていた。
「無茶をしよる…」
こちらを向いて何か言葉を続けようとしたが、王はまた咳き込んだ。俺は寝転がったまま起き上がることができなかったが、王も同じらしかった。
「お前がもし、王族であれば、あのような易々と身を捨てる戦い方などさせぬ…」
「でも俺は王族じゃない。ましてやあんたの子だと思ったこともない」
顔は王の正面にあるのに視線を合わせることができない。俺の声はか細く震えていた。こんな声を出したのは初めてだった。王はそれを聞いて声もなく笑った。
「私とてそうだ。お前を子だとも、王族だとも思ったことはない。だが…」
王は咳をして続けた。
「立派な一人の男としてお前が育ってゆくのは、ただ嬉しかった…」
涙が滲んでいた。咳のためか、別の何かのためかは分からなかった。
「私を殺し切るのを躊躇っただろう?」
「ああ…」
「そうだろうとも。お前には、人を殺すことなど…できない。そんなことを教えた、覚えは、ない。教わってもお前は、覚えなかっただろう」
王は仰向けになって空を見た。俺はまだ王を見ていた。
「お前の詳しい目的は知らぬ。だが、旅を続けると言うのであれば、止めたりせぬ…」
王の目から光が消えつつあった。それが不思議と怖くなかった。
「さらば、だ、アルトナ…全て…白、く、見え…」
王の体から力と生気が抜けた。目は開いたままで、雄々しく鋭かった。
俺はそっとその目を閉じた。
「お、お兄様…?」
マリヤがメイドに支えられながら、青い顔でふらふらとこちらに歩いてきた。俺にずっと回復魔法をかけ続けていたのはマリヤだった。
「お父様は…」
俺は何も言わなかった。というより、もう何も言えなかった。マリヤの目から涙が一気に溢れ出した。止まりそうになかった。
「二人とも…長く、苦しかった棘だらけの道を…父子の道を、よく歩いて来ました…」
マリヤを支えるメイドの背後から兵士たちが駆け寄って来た。隣で王の亡骸が持ち上げられる。
「お兄様、あなたを城の休息所に運びます。またお身体が癒えた時に話しましょう」
俺は頷いた。すぐに俺の体が担架に乗せられて、ゆっくり揺れないように運ばれた。その途中でいよいよ耐えられなくなって、俺は意識を失った。




