54.大道芸
俺はマリヤに連れられて、地下水道の入り口までたどり着いた。
地下水道を進めば街の中のため池に達するらしいので、速やかに脱出してミトナ達と再び合流しなければならない。
途中で何か話したような気がしているが、何を話したのかはよく覚えていない。
「お元気で、お兄様」
「ああ」
マリヤの表情は凛々しく、冷静だった。俺もこんな表情ができたならと、ふと思った。なぜだか名残惜しくなってつい振り返るところだったが、ぐっと我慢した。
石の壁の隙間に見える『立ち入り禁止』と書かれた鉄のドアを開け、湿っぽくて汚れた空気の中に足を踏み入れる。つんと鼻の奥を刺す異臭に堪えながらがつがつ進んでいく。俺の故郷であるあの城から離れたかったのか、とっとと皆んなに会いたかったのかは定かではないが、変な焦りに急かされていたことはまちがいない。
そういえば、鎧は没収されたままだ。冗談半分で、鎧がなければミトナもシラナもガイレルも、俺が誰だかわからないかもしれないと考えた。途端に、それが本当になるのが怖くなって歩く速度を早めた。
俺が歩く場所のすぐ横には汚水が流れている。こんな場所がこの国にあることくらい知っていたはずなのに、いざ目の前にするとその暗い迫力に震えてしまう。国民の生活の跡が流されて濁流をなす様に自分の未来をなぞらえてしまいそうだ。
「…ったく、なんで我々がこんなところを歩かねばならないのだ!」
「仕方がないだろう!城に紛れ込んだネズミどもがここを歩いているかもしれないと言い始めたのは貴様ではないか!」
真正面から怒鳴り声がした。多分俺や反乱分子を片付けに来た貴族どもだろう。しかし、敵がいるかもしれないからと出歩いているのに自分の存在を知らしめるとは、随分不用心なことだ。兵士もぞろぞろ引き連れているだろうが、この狭い道で展開するには不向きなはずだ。
「士気が高まるだのと抜かして私を唆したのは誰であったかな…?」
「黙れ黙れ!とにかく、まずは賊を討つことだ!話はそれからだ」
一体いつまでそんなガキくさいことで喧嘩していたら気が済むんだと呆れながら、迫る戦闘に備えて心を落ち着ける。適当な間合いまであと少しだ。
深く息を吸って吐き出すと同時に、俺は熱を掌に集め始める。
「おい、何か灯りが見えるぞ」
さっきまで口論していた声が怪訝な口調に変わった。
俺は勢いよく火球を前方に投げた。
たちまち濁流の音にも負けないほどの絶叫が響き渡り、何かが水に落ちた音が微かに聞こえた。
「な、何者だ!誰だ!」
質問に答えず、第二の火球を放つ。その後ろにぴったりとついて走り、正面突破を狙う。多少の傷は覚悟の上だ。
「一旦退がれ!広い場所で迎え撃て!」
火球が兵士の中に突っ込んで、俺もその隙にできた道の真ん中を走り抜ける。
一瞬だけ、部隊の指導者らしき太った男と目が合った。俺はその男の腹を思い切り突き飛ばした。男は悲鳴をあげて汚水の龍に飲み込まれた。
呪文には自信がないが、このくらいならなんとか立ち回れそうだ。ここからは進むスピードを上げて最速で出口のため池を目指すだけだ。
俺はこの数日で、もっと多くのものを背負い込んでしまった。なのに少し笑っているような気がした。情けないからでも、どうにもならないからでもない、理由の見つからない何かのために笑っていた。
また兵士の一群と遭遇した。立ち止まらずに進み、困惑の中に置いていく。右、右、左、三叉路を真ん中に…。教えられた通りにひた走る。途中で遭遇する兵士たちも振り切って逃げた。
すぐ近くに広い地下貯水槽がある。この季節は空になっているはずだ。普段は別の道を通るらしいが、今ならそこが一番早いとのことだった。
それらしき入口がぽっかりと口を開けているのが見えた。水に飛び込むかのように、俺は身を投じようとした。
だが、直感的な不安のために、俺は自分の足に急ブレーキをかけた。俺の鼻のすぐ先で、巨大な何かの生き物の口がばくっと閉じた。俺の背丈ほどもあるその口に噛み砕かれたらと思うと背が震えた。
引っ込んだ瞬間に貯水槽に入った。今度は背後で唸り声が聞こえた。
鰐だ。巨大な鰐が焦点の合わない目のままでこちらににじり寄って来る。
あんなものを相手にしている暇はない。急いで出口を見つけなければ…。
「いたぞ!こっちだ!」
だが、出口らしき道はそこからやってきた兵士に即座に塞がれた。背後には化け物がいる。
「おのれ、散々我を愚弄しおって…!」
これまた太った豪華な服の男が怒りで震えている。
「我が十二議会の名において成敗されるがよいわ!」
豚と鰐。大道芸でも見ているようだと、つい皮肉っぽい笑みが溢れてしまう。
兵士たちはじりじりとにじり寄ってくる。そのうちの一人がはっとして声を上げた。
「あ、アルトナ様…?」
「久しぶり」
俺の反応を見て、兵士たちに動揺が広がった。貴族の男はさらに憤慨する。
「何をしている!とっとと殺さぬか!」
「し、しかし!こちらにいらっしゃるのはアルトナ様です!」
「アルトナだと…!?」
男は忌々しそうに俺を睨んだ。俺がにやにやと笑っているのがさらに気に食わないらしい。
「知ったことか!殺せ!殺すのだ!」
俺はその声を聞いて後ろに跳んだ。




