52.会者定離
俺は無意識に後ずさった。
知る限りの情報が、やや大雑把ながらも急に一つの巨大な戦略として浮かび上がってきたのだ。
「…私はまだ、お前を殺しはしない。それぞれの理想が衝突した時こそが、我々の決着の時となるであろう」
心臓が痛み始めるのではないかと思うくらい、緊張の糸は張り詰めていた。父の顔はまだ俺の幼少期にも持ち合わせていた厳格さをそのまま映し出していたが、ひどく疲れているようだった。
「妹には言ってあるのか?そのことを」
「いいや」
声は低く重い。迷っているような、それでいて迷いの見えない決断的な返事だった。
「私はこの男を処理せねばならないゆえ、この場を離れることはできない。城の中を見回ってくるがいい」
俺はまだ、俺の父と話さなくてはならないことが山ほどあるはずだった。しかし俺は一つ頷いただけで、何も声をかけることはできなかった。
会議室では会議が行われている真っ最中だった。俺は何か新しい情報を得られないかと壁に張り付いた。
「…つまり、姫の一派を拘束してサンチマルのレーグ大臣の元に送れと?」
「確かに我々としても姫は目障りな存在だ。姫がいては、我々国家議会が執政権を握ることができないからな。しかしなぜ今急にそんなことを…」
「向こうはサンチマル一国だけを乗っ取るつもりでは飽きたらないということだろう」
「まあ我々は我々が保護されているならそれでいいのだ。六国がどう出ようが、三大国の連携さえあれば均衡を保つことができる」
ここの国家議会は特によそからの評判が悪い。その理由は今の会話に滲み出ている。
勿論忠誠心などない。彼らにとって必要なのは権力であり、利益であり、自分たちの安全だった。
見立ても甘い。六国は確かに三大国と互角だと言われてはいるが、六国が常に連携をとれる状態にある一方、三大国は互いの繋がりが失われつつある。サンチマルにレーグがいる限り、エギルでエシトラが地盤を固めつつあっても、サンチマルとロナの行政がブレている今ではひとたまりもない。互角なのはあくまでも双方の連携がスムーズであるという前提が成り立つ時だけだ。
なによりも、彼らは魔王の存在を完全に度外視している。基本的に彼らの脳みその中では「魔物が人間より下」という図式が成り立っているのだ。エギルでエミイやその周りの環境を見ていたらそんな考えは払拭されるだろうが、見たとしても彼らには理解できないだろう。偏見というのは、自分で把握しておかなければ望まないタイミングで暴発するものだ。
俺は沈んだ気持ちで会議室の前を立ち去った。
結局俺は父親にどう向き合いたいのだろうか、と歩きながら自問自答する。
今まで恐怖心にたぶらかされて父親のことを見て見ぬ振りをしていた。しかし、最初からこの時が来ることは決まっていたはずだ。俺がその事実に耐えかねて逃げ出しただけだ。
ミトナだったらなんと言うだろう。あのドジで意地っ張りな槍使いだったら、背中をそっと押すかもしれない。俺を叱咤するかもしれない。あいつはずっと正しかったから、俺の煤けた良心がより安っぽく見えてしまうが、とにかく俺に関する決断に関しては真っ先に俺の考えを優先するだろう。
「ロナ王国が故郷でな、そこまででもいいって言うならついて行く。」
俺がミトナに言った言葉が、唐突に思い起こされた。
その時、俺はただそれを受け入れたくないと思った。理由は分からない。いや、目を背けているだけかもしれない。だが、とにかく拒絶したくて仕方ない。ガイレルもシラナも、みんなは今どうしているだろうか。捕まるようなヘマはしないと思うが…。
仲間のことを考えているのに気づいて、思わず苦笑した。父親に比べたら、俺なんてまだまだ甘っちょろいものだと痛感する。
国を治めるべきだと言われても、やはりピンとこない。一応王族なのにそんな意識ではまずいのではないかとも思うが、心のどこかで自分がそんな器ではないということを思い知っていた。見過ごすわけにいかない状況にあるのは承知しているが、俺がどうにかできるかと言われても答えかねる。
「兄上…?」
背後から声をかけられて、思わず振り向いた。
妹であり、ロナ王国唯一の王位継承者であるマリヤが、信じられないものを見た表情で俺の背後に立っていた。




