49.その男、狂気
風が吹き始めている。
人気のない放置された家の群れの中で、俺と刺客は向き合って各々の獲物を手にしていた。
相手の構えには隙がなかった。刺客の全身の挙動に神経を張り巡らせて、隙が生まれるのを待つしかない。
「なかなかやる。成長したものだな、アルトナ」
敵意を孕んではいたが本当にうれしそうなその声に、微かに動揺してしまう。
「お前は…一体」
「知らなくてもいいことだ。お前はここで死ぬ」
空気が揺れ、瞬きよりも早く刀の切っ先が俺の喉に迫る。それを上に弾き上げ、武器を構えなおす。
なるほど、確かに恐ろしい相手だ。一撃だけなのに恐ろしく重い。
刀は刺突に向いていない。刺突で攻撃するならまず軽量で鋭く細いレイピアを選ぶべきだ。刀とはその重量こそ肝であり、基本的には踏み込んで重さを乗せて切るという攻撃が多い。それゆえに重心のブレも発生しやすい。片刃という構造なので、刃の向きがぶれるともう切れない。大体の刀は優れた刀鍛冶が携わっているので、滅茶苦茶な逸れ方をすることはまずないのだが、それでも正確に切るというのは難しく、基礎的な部分を習得するためには相当慣れていなくてはならない。また、体重の移動も難易度が高い。正確な足さばきや構えがなっていなければ機動力が完全に殺されるばかりか、攻撃力も大きく損なわれる。筋肉量だけを頼りに武器を操ろうとするのは愚鈍極まりない。他の刺客には、時々そういうやつが混じっていたが…。
「相当この武器を高く買っているようだな」
「まあな。でもどちらかと言えばあんたの方が刀よりももっと恐ろしいが」
「光栄なことだ」
刺客はにやりと笑ったらしかった。そして、するっと無駄のない動きで刀を腰の鞘に収めた。
「私はアルトナという男がどれだけ戦闘に強いかということを知っている。一瞬で状況を察知する判断力、初動で力量を見切る眼力、油断をひと時も現さない集中力、窮地でさえも揺らがぬ胆力。…だが貴様の恐ろしいところはそんなところではない。」
「そうかね」
「そうだとも。真に恐ろしいのは、その蓄積された知識、そしてそれが生きて蓄積された経験だ。ただ極めることが全てだと思い込んでいる輩を尻目に、貴様は膨大な知識を蓄え、それに考察を加え、かといって実戦でひけらかさない。誰も貴様の隠された爪を見出すことはできなかった…おそらく、貴様がそうすることにはバーヴルの影響が色濃いのだろうがな」
「長々と褒めてくれて嬉しい限りだね」
俺は力を込めすぎないで獲物を握った。しかし本当によく俺のことを知っている。感心を通り越して気持ち悪いくらいだ。
「だが私は知ったのだ。全てを賭けることでしか、敵は倒れないのだと。何も残らずともよいと思わなくては、敵は膝を地につきひれ伏したりせぬ。」
何か熱を帯び始めてきた周囲の空気に、じりじりと緊張感を焦がされ始める。
一瞬だった。
見えない刃を感じ取ってばっと一歩引きさがる。
確かに何かが風を切って、音すらも殺して通り過ぎて行ったらしいのだが、まったく視認できない。
「はは、ははは!それだ、それが見たかった!その動きだ!」
その咆哮のような笑い声は、悦に浸っていた。刀を鞘に納めたまま動いた様子はない。
「お前、まさかそれは…」
「そうとも、抜刀術だ」
人づてに聞いたことがある。この世には刀を見せない『抜刀術』というものがあるらしいと。
刃はあっという間に相手の喉元に迫り、気づかぬうちに息の根を止める、恐ろしい技術だ。現実に相手をする場合には、遠距離からの攻撃に頼ることでしか倒せないとまで言われている、剣技の究極に至ったものにしか放つことのできない技。しかも、これを習得するまでには剣術の徹底した基礎がなければならないため、身に着けられるのは本物の剣豪だけだ。
「並大抵のことではこれを回避することはできない。本当に、よくここまで磨き上げたものだ」
「気に食わねえよ。俺のことをよく知ってるみたいな口調じゃねえか」
「知っているからな」
不穏だ。情報量にこんなに差があるのは、ただ不穏だ。
というか、こんなえげつないものを立て続けに食らって俺が無事かどうかわからないという不安が首をもたげつつあったが、焦って決めに行くことはできない。焦りというのは相手の掌の上に飛び込んで「さあ殺してください」というようなものだ。
「こうなりゃ、お前の攻撃を受け続けてすり抜けるまでだ」
「ほう、大した度胸だ!」
来る。明らかに殺気の濃度が濃くなった。刃の動きなんて見なくていい。相手の呼吸、大気の揺らぎ、自分の脈、リズム…。皮膚で感じ取ることだ。それだけが…。
「アルトナ」
緊張は消え失せ、重苦しい絶望だけがあたりに立ち込めた。
「お前を、投獄する」
会いたかった。でも、会いたくなかった。永久に刻まれ続けるほどの苦しみ俺に刻んだ張本人。
そこには俺の父親がいた。老いて狂った、ロナ王国の王が。
後ろの無数の兵士がざくざくと足音を立てて迫ってくる。俺はおとなしく従うしかなかった。




