44.神様
音も置き去りにするくらいの速度が出る自分の体に驚きながら、私は大臣が落ちていった窓に駆ける。
法衣を纏った姿が眼下で瞬く。間に合えと願いながら窓枠を蹴り、壁を真下に走る。みるまにキルトスに追いつき、手を掴む。
その表情の変化が現れる前に、私は背中と膝の裏側に手を当て、地面に着く前に浮遊し始める。
「な…んだ…これは」
唖然とするキルトスをお姫様抱っこで抱えたまま、ゆっくりと地面に着地する。
その場にそっとキルトスを横たえると、彼女は全身の力が抜けたらしく、ぱたりと寝転がった。
抜け殻のようになって、空を視線の先に捉えている。手足は地面に投げ出され、まるで自分にはいらないとでも言いたげだった。
「いつも…そうだ。お前たちは…まるで呪いのようだ」
ぼうっとしたまま、魂が抜けそうな声で呟く。
「勇者には…正当性があった。才能があった。力があった。優しかった。だから、大嫌いだった…」
はあっ、と荒々しく息を吐き出した。
「私には…何も、才能もなければ人格者でもない。勇者は輝いていた。羨ましかった。私に、彼の仲間など務まるはずがない…」
瞼が閉じる。顔は神妙で、昔を思い出しているようだった。
「お前がミトナか。…彼の妹だな」
「…そうです」
「手紙の宛名が、ミトナだった…たまたま見えたのだ。彼の恋人の話は聞かぬ。親もいない。とすると、近しい家族…姉か妹だ。」
彼女の口端は緩んでいた。彼女は今は大臣ではなく、勇者の仲間だった。
「裏切った私が、お前はきっと憎いだろう。だが私もお前が憎い。あまりにも偉大な兄に、その妹。万死に値する大罪だ…」
それから頭を動かして、私の方をゆっくりと見上げる。
「なぜ…なぜ助けた。裏切り者だぞ、私は」
「…私怨です」
キルトスは汚い人だった。でも、私だってそれは同じだった。
「やっぱり、あなたのことは好きになれない。したことだって、許されることじゃない。…だからこそ、思ってしまったんです。償わなくちゃダメだって。償う苦しみが必要だって」
それを聞いたキルトスは微笑んだ。さっきまであんなに凶悪に叫び、憎しみをたたえていたのと同じだとは思えない表情だった。
「本当は私は、神様なんて嫌いだ。…お前は神様みたいだな」
私が玉座の前に戻ると、アルトナが声をかけてきた。
「無事か?いきなり飛び出してどうなったかと思ったぞ」
「私は無事です!みんな大丈夫ですか?」
シラナはふらふらになって座り込んでいたが、私を見て顔が輝いていた。ガイレルは相変わらずぼうっとした表情だったが、心なしか嬉しそうだった。
「一応はみんな無事だ。エミイは運ばれて傷の治療だ」
アルトナはそう告げてはあっと深く息をついた。
「まさか…覚醒とはな」
そう。私もびっくりしたし、なんなら今もまだ実感はないのだが、覚醒したのだ。
「どんな感じだ?覚醒って」
「えーと、なんていうか…光に包まれて、声が聞こえて、ふわふわするというか…」
どういう感覚だったのだろう。自分で体感したのにこんなに形にしづらい感覚を味わったのは初めてだ。
「よくわからねえよ…」
「分かります…」
「お前は分かれよ」
ガイレルがシラナを助け起こしながら私に聞く。
「大臣はどうしたの?」
「とりあえず、衛兵の人に保護してもらいました。沙汰は女王から言い渡されるそうです」
「まあ、タダごとじゃ済まないだろうな…」
そうは言いながら、エシトラ女王ならよきように取り計らってくれるだろう。
「あの…色々と、ありがとうございます」
シラナがゆっくりと立ち上がって、深々と頭を下げる。
「いえいえ、見ず知らずの我々を家に泊めてくれただけでありがたいですよ」
シラナはとんでもないというように首を横に振った。
「全然…助けられてばかりで、本当に…」
そう言ってまた頭を下げられた。こんな綺麗な人に何度も頭を下げられると、何か悪いことをした気分になる。
「ところで、女王は今どこにいるの?」
「民衆と会話をしているらしい。歴代の王では有り得ない行動らしく、衝撃のあまり全員が黙りこくって全然会話が進んでいないらしい」
アルトナの答えに、ガイレルが興味深そうに「はあ〜」と訳の分からない音を発した。良かったのか悪かったのか分からない。
「とにかく、一旦休憩しませんか?」
「そうだな。休もう」
一日とは思えないくらい色々なことが起きすぎて、私たちは完全に疲弊しきっていた。日差しが窓からオレンジに鋭く玉座を刺し貫いているくらいには時間も経った。
「だが、エシトラに話を聞いておかなきゃな」
「そうですね」
私はまだふらついているシラナをひょいっと背負い、アルトナの後ろについていく。しばらく直進すると、ちょうどエシトラが帰ってきていた。
「おお、お主等か」
「どうだったよ、地下街の人は」
「諸々の処置はさせてもらう。罰などは特にない。国民の状態は非常に良い。これを崩すつもりはない」
それから私たちに視線を注ぐ。とても透明な目で、少しどきどきする。
「まあ、休息が先であろう。衛兵に案内させるゆえ、寝室で休め」
そう言うと、侍らせていた衛兵に私たちを寝室まで連れて行くよう指示した。
私たちはとにかくへろへろと歩き、案内されるなりベッドに倒れ込んだ。そのまますぐに寝息を立て始めた。




