40.転倒
キルトス大臣は影のある笑顔で、痣だらけになったエミイを眺めていた。私とアルトナは冷や汗を流しながら、ひたすら様子を見ている。
「ほう…なるほど、地下に…」
ぶつぶつと呟くキルトスを、玉座から険しい表情で見ているエシトラ女王が口を開く。
「その者はどういった咎で捕らえられたのだ」
「咎?そんなものはありません!魔物は魔物です!魔物だから捕らえるのです!」
キルトスの狂気的な口調にゾッとした。
「大臣。いくつか本人にも聞いておきたい」
「女王は罪人にいつもそう仰いますな」
軽口を叩いたキルトスを、女王は一瞥した。体の内側まで凍りつくような視線に、キルトスは口をつぐむ。
少女が、女王の目の前ににひざまづいた。
「名は」
「エミイです…」
私は必死に無事を祈っていた。アルトナは、状況をこれ以上悪くしないようにと気配を消していた。
「捕まった理由に心当たりはあるか」
「いいえ」
「どうやって地下に来た」
「…元々住んでたところを追い出されて、迷っているうちに」
エシトラが私とアルトナをちらりと見た。
「教会関係者との関わりは」
「あ、ありません!」
この子からこんなに大きな声が出るのかというくらい大きい声が出た。エミイの体はぶるぶる震えている。
「そうか」
心が痛む。動けないのが憎い。エシトラは重苦しく口を開く。
「最後に聞く。今はどうだ。どんな気持ちだ」
「こ、怖くありません」
涙目で、しかし真っ直ぐに女王を見て答える。
「…大体分かった。連れて行け」
「待ってください!」
入り口から声が響いた。
「その子は何も悪くありません!」
シラナだ。肩で息をしている。
「あいつ、なんで来たんだよ…」
横でアルトナが歯軋りする。状況はますます混沌とする一方だ。
「おやおや、シラナではないか…何の用だね?」
キルトスが意地悪くにやりと笑った。
「魔物だからというだけで、捕まる理由もなくこのような目に合わせるのはいかがなものかと思います!」
「そこなのだよ、魔物なのだ。それだけでもう十分なのだ!」
真っ当な物言いを、狂った解答が跳ね返す。
「神は、そしてその伝者たる私は、悪魔を廃絶するのだよ!それは正義であり、世界の総意だ。」
それから、女王のほうに振り向く。
「億千の民の前では、女王がなんであろう?法がなんであろう?」
エシトラは表情を変えない。キルトスは僧侶に歩み寄る。
「シラナ、いい子だ。だから分かるだろう?この子は、この餓鬼は死ぬんだ。正義の断頭台は神に従うんだよ」
今やキルトスは狂気に支配されていた。明らかに異常な空気を生み出し、私たちはただそれに呑まれていた。
「…離してください」
「まだ分からないのか小娘!」
怒号が飛び、ぱん、と一度、平手の音が響く。シラナはよろよろとよろめき、少し後ろにさがった。私は飛び出そうとしたが、タイミングを測っているアルトナに手で御された。
「神はすべての悪を許さぬ!神は悪に連なるものを断絶する!それこそが全てなのだ!圧倒的な力で支配し、屈服させるのが神なのだ!許すわけがなかろうが!愚か者めが!」
喚き立てる大声に、静かに質問が飛ぶ。
「…本当に、それが神様ですか」
「何だと?」
「神はただ等しく救うのです。神は決して、破壊など望んでいません。だから、権力の手によってその子が死ぬことは神に背くことと同義です」
「貴様…まだ口答えするか」
キルトスの眼光にも怯まずに、シラナは話す。いや、もはやそれは許しを請う絶叫に近かった。
「私は、神様なんて信じていません!あなたにだけ都合の良い神様の何が貴いのですか!」
「貴様…!貴様貴様貴様!」
「…キルトス。その者はただ異議を申し立てたに過ぎぬ。放っておけ」
女王が見かねて口を挟むが、キルトスは聞き入れない。
「いいえ、禍根は即座に断つべきです!神の名において、悪魔の肩を持つ者は全て殺し尽くさねばならぬのです!」
エミイは、感情がめちゃくちゃになっているらしかった。震えて涙目でひたすらシラナを見ている。
横のアルトナは、機会を見つけ損ねているようだが、それは仕方がないことだ。こんなに精神が不安定な教組は見たことがない。いつ何がきっかけでとんでもない行動に出るか分からないのだ。
「その子を離してください!」
シラナはもう周りが見えていなかった。ただ懇願していた。
「黙れ!貴様も悪魔に与するか!外法を操り道理を踏み、暗闇に喰われるつもりか!」
キルトスの怒りは最高潮に達していた。それでも、僧侶は叫んだ。
「その子が助かるなら、私はそれでも構いません!」
教組は怒りのあまりに言葉を失った。
その場は異様に静まり返っている。
誰も動かない。
「そうか…なら、仕方のないことだ…」
キルトスはばっと右手を上げた。すると、衛兵が一斉に槍を構え、シラナに襲い掛かる。
私は駆け出した。アルトナは少し反応が遅れていたが、同じく走っているようだ。
「シラナさん!」
私は叫び、横からシラナを突き飛ばす。横転するのが見えた。同時に、腹部に、胸元に、腿に、槍が突き刺さる。痛いと感じるような余裕はなかった。倒れながら手を横に振ると、兵士は後ろに吹き飛んだ。槍が抜けて、私は後ろに倒れる。
誰かが私を呼ぶ声がした。しかし、答えられそうにはなかった。意識が暗転する。
下へ。
下へ。
下へ…。




