37.対面
アルトナに呼ばれて、私は弾かれたように椅子から立ち上がった。
アルトナの後ろをついて歩き、再び女王の前で頭を下げる。
「よいよい。顔をあげておくれ」
言われて私たちは顔を上げた。アルトナくらいの年齢に見えるが、やっぱり何歳なのか分からない。
「余がそなたたちに話しておきたいのは、スノッリのことじゃ」
「スノッリの…?」
私は首を傾げた。
「そうじゃ。アルトナは聞き及んでおろうが、スノッリではレーグ大臣一派の暗躍により、正統な王権が失われようとしている。…失われるだけならよいが、行政において大きな波乱をもたらす可能性も捨てきれぬ」
女王は椅子からゆったりと立ち上がり、横の文机に巻かれて置いてあった大きな紙を手に取って広げた。
それは地図だった。
私達の国とエギルとの国境を指差してから、女王は深刻な面持ちで話す。
「サンチマル国の首都、スノッリは戦争のためというよりは貿易や他国との交渉のための都市じゃ。兵が強いのでなんとか成り立っておるものの、地形や城の条件は軍事的な視点から見ればいいとは言えぬ。我が国との国境に近く軍が不利な場所に設けられた首都が、いざ戦争となればどのように苦しむかは想像に難くない」
次に、細く白い女王の指はエギルの国を指差す。
「レーグが大臣に就任する少し前から、エキリマース教がこの国で発足した。教祖はみるみるうちに行政機関の上層部と繋がり、大臣職に就いた。途端にエキリマース教を国教として、信仰を義務付けた…国民は盲目のままに、信仰という風にゆさぶられて、盲信し始めるというわけじゃ」
「ここも大変だな」
アルトナの相槌に、女王は困ったように笑う。
「さて、ここまでの人間が集えば並大抵のことでは動かぬであろう。強い者が指示を出さなければ」
私は、聞いているうちに嫌な予感がしてきた。
続きを聞くのは恐ろしかったが、聞かないままで状況が良くなるとも思えなかった。
「仮に、信者が教祖の指示に従って軍となり、スノッリに攻め入れば、軍が強くとも数で負けるであろう」
口調は淡々としていたが、鉄面皮の裏では苦しそうなのが伝わってくる。
「し、侵略ってことですか?」
「そうじゃミトナ。今の余の力では、少しの間水際で食い止めることしかできぬ。だらだらしておれば決壊する、まさに砂の堤よ」
私にそう言ってから、女王は三大国の上の六国を指した。
「東から順にサンチマル、エギル、ロナと並ぶ三大国の北側には六国がある。この三大国が均衡を失えば、六国は互いに手を組んで三大国を侵略する。波打ち際の砂の城のように、何もかも削り取られるまでそう長くはないであろうよ」
ふうっと息を吐き出して、女王は玉座の前の階段を降りた。
私達を見て、一言ずつに並々ならぬ思いを込めて話す。
「スノッリも、エギルも、表沙汰になっておらぬだけで随分な苦境に立たされておる。レーグ大臣とエキリマース教の教組は親しいらしいとも聞く。最悪の場合は、どちらも共に崩壊するやもしれぬ」
アルトナも驚いて、言葉が出ないようだった。
「…せめていい政治をと思うが…あの大臣じゃそういうわけにもいかないんだろうな」
レーグ大臣の底意地の悪い顔がはっきりと浮かんでいるのが、横で見ていても分かった。
「サンチマルの王は決して無能ではない。…しかし、大臣の底意地の悪さに勝てるほどだとは思わぬ。メリド王子の勢力が強くなっておかなくてはならぬ」
そこで、はっとしたようにアルトナが聞く。
「メリドは今どうなってるか分かるか」
「ひとまずは持ち直しておるようじゃ。彼は城内での人望も厚い。あとは民衆の前で何を語るかが鍵じゃ。いかに王であれども、結局は民の支持なくして国は成立し得ぬ。…余も、そうでなくてはならぬ」
女王がそう呟いたとき、背後から声が聞こえた。
「いかがなさいましたかな、エシトラ様。客人と随分長い間話し込んでいるようではありませんか」
高い声にびくっとして振り向く。
白くて長い衣を着た女性が泰然と立っていた。
横には護衛の赤い僧服が控えている。
「何用だ、キルトス大臣。人払いをしておったはずだが」
女王エシトラは、私たちと話していた時の声色とは違う威厳のある声でキルトスに問いかける。
「いえいえ、客にしては随分長くお話になっていると思い、何か異常が起きていてはならぬと思った次第にございます」
思ったより冷たい声に、背筋がぞっとした。
アルトナは全く感情の読めない目で大臣を見ている。
「下がれ、キルトス。時計は読める。今はまだ、定められた刻限ではなかろう」
「そうでございましたか、失礼しました」
キルトスはそう言い残して、いそいそと出て行く。
その途中で、開けっ放しの扉から兵士が入ってきた。
「ほ、報告…!捜索していた悪魔がとうとう発見されました!」
エシトラは立ち上がった。
「真か」
「なんとなんと…!どんな奴で、どこにおった」
驚くキルトスに兵士は答える。
「地下街の一番広い家に住んでいました!体中から発火しています!」
アルトナと私は顔を見合わせた。思い当たる節しかなかった。
「家主は不在、現在捜索中です。地下街の住人から随分抵抗がありましたが、どうにかやり過ごしました」
「よろしい。連れてきなさい」
その声がしてすぐに、体の数カ所に大きな傷をつけられたエミイが、よろめきながら兵士に引っ張られてきた。




