28.魔法の深部
「おい…大丈夫か?」
目をゆっくりと見開く。
私は、自室のベッドに横たわっていた。
まだ力が入らない。
どうしたのだろうかと訝しんでいると、森長が杖をついてかつかつと歩み寄ってきた。
「途中から汗をかきはじめ、顔色も変わった。何がみえたのかね」
私は、光の塊のことを話した。
話すうちに、森長の表情が険しくなっていく。
「ふむ…もう少しで魔法の深部に突入するところだったのやもしれぬな」
「魔法の深部…?」
首を傾げるアルトナに、森長は答える。
「闇でも光でもない、永遠の孤独。先には何も待たず、ただ進んでゆくだけじゃ。意識は戻らず、体は目覚めず。実質、死に等しい状態に陥る。しかし、そこから戻ることは難しいはずじゃが…」
「アルトナがずっと額に手を置いてくれてたことは、何か関係があるんでしょうか」
「あるかもしれぬ。この世との関わりを認知できる事柄が近くにあれば戻りやすい。」
アルトナも質問する。
「魔法の深部に落ちた人は、戻ってくることができるのでしょうか」
「それについては、私が説明するよりももっといい資料がある」
森長は空中から分厚い本を取り出した。
煤けた赤で、銀の装飾が施された立派な書物だ。
表紙には『深部の記録』とある。
「私の師は、深部に落ちたときの対処や深部の情報を調査していた。深部に落ちた師を私が様々な方法で呼び戻すというリスキーな実験の結果がここにまとまっておる。」
よくやったなそんな実験、と語っているアルトナの表情をよそに、森長はページをめくる。
「これじゃな。『深部に落ちる時間が長いほど、呼び戻しにかかる時間は長い。呼び戻しの基本である、【身に覚えがあるものや事象を対象の近くに置く】がこれにも適応される』とある」
「そうですか…」
アルトナは複雑な表情で答えた。
「まあ気になるのは分かるが、深部に落ちるのを真似ようとすると魂が穢れて変質するから、やすやすと手を出していいものではないな」
森長はぱたんと本を閉じた。
「ミトナといったかな。ひょっとしたら、近いうちに魔法のことで何か起こるかもしれぬ。よく注意しておきなさい」
「はい!」
私の返事で、森長は満足げに頷いて踵を返す。
「もう夜じゃ。晩ご飯を食べて、今日は寝たほうがいい。じきにガイレルが帰ってくる。支度をさせるでの」
窓の外はもうどっぷりと暗闇に浸かっていた。
思った以上に長い間気を失っていたらしい。
「ありがとうございました」
寝たままで、私はアルトナに言う。
なんだかスノッリを思い出していた。
「戻ってこれたのはお前の力だろ」
「…照れてますか?」
「さあな」
「もう一回撫でてください」
私がそう言うと、凄まじい速さで額にデコピンをくらった。ばちん、といい音が鳴る。
「いったあ!?な、何するんですか!」
「うるせえ!甘えんなよ!」
「うう…」
ため息をつくアルトナが、妙に沈んで見えた。
「でも、本当にありがとうございました」
「ああ」
私ではなく外を眺めながら、アルトナは気のない返事をする。
「このことは忘れないと思います。」
「忘れちゃ困る。貸しだからな」
窓の外は、ずっと前に見た景色に似ている。
まだ両親がいた頃の窓際で、母が編み物をしていた。
父が隣の鍛冶場で鉄を打つ音が聞こえた。
理由は忘れたけど、私がひどく泣きじゃくっていたことがあった。父はその時、ちょうど武器の研磨を終えたところだった。
こちらに来て、頭を撫でてくれた。
そのごつごつした手の感触を、ふと思い出した。
「…お父さんみたいでした。アルトナが」
そういうとアルトナは一瞬硬直したが、すぐに「そうか」と答えた。
「何か悩んでますか?」
「…まあな」
質問する私を少し警戒しているように、ぶっきらぼうに答える。
「そうですか。あんまり無理しないでくださいね」
気をつけるよ、と元気がない返事が聞こえた。
アルトナの背中が少し震えている。
きっと辛いのだろうなと思いながら、その後ろ姿を呆然と見ていた。
「勇者を追いかけてるんです、私」
ばっ、と振り返る。
「え…?」
「兄なんです。私の」
アルトナは動揺している。無理もない。
「何を言って…」
「勇者って、血縁関係者にも箝口令が発動して、自分のことも話せなくなるんです。でも、あなたにならいいかなって」
呆気にとられたままのアルトナが、私に聞く。
「…何で俺に…」
「お礼です。…助けてくれたじゃないですか」
釈然としない表情のアルトナを見て、私は思わず吹き出してしまった。
「秘密を話すのは、言いたい時でいいですから。いくらでも待ちますよ」
多分私はその時、笑っていたと思う。
「そうか、ありがとな」
夕飯ができたと声がして、私たちは階段を降りていった。




