21.猪
バーヴルから、部下に槍捌きを見せてやってほしいと頼まれて、途中に出てきた大型の魔物を一人で倒すことになった。
何か不手際があれば周りに構えている山賊が駆けつけるし、背後から監視されて襲われるようなこともないので、洞窟での戦いに比べたら大分気持ちも楽で状況も良かった。
魔物は四足歩行で、肥大した猪の胴体に太く短い脚を持ち、赤く小さな目を光らせ、不揃いの長い牙をこれ見よがしに突き出している。
私は背中から槍を取り出して構える。すうっと息を吐いて、相手の様子を探る。まずは我慢比べからだ。大猪は足元の土を掻いて、突進する機会を窺っている。体の軸を僅かにずらした。大猪は待ってましたとばかりに突っ込んできた。とん、と横に跳び、私のいた場所に脇腹が見えたそのタイミングで、素早く槍を突き出す。焦げ茶の毛の内側の肉まで到達した感触があった。勢いよく引き抜いて距離をとる。自分の攻撃が躱されて、脇腹を負傷したという二つのダメージに、大猪は怒り狂って暴れ始める。どしどしと鈍い足音と、体格の割に高い機動力でたちまち周囲の草は踏み潰された。
山賊達は輪を広げる。私も大猪の死角に回り込んで氷の魔法を放つ。白い尻に直撃した氷塊に驚き、こちらを勢いよく振り向いたが、そのごくわずか前に、私は地面に伏せていた。再び茶色の毛玉が跳ねているのが見える。私はじりじりと近寄り、重い足が頭を踏みつぶさないすれすれの距離で止まる。しばらく暴れ回った大猪は、鈍重な動作で敵を探し始め、私のいる方向へと顔の向きを変えた。
その瞬間を待っていた。体勢を起こす勢いと共に槍の先端を喉元に向けて突き出す。いくら魔物の肉が硬いとはいえ、確かに刺した感覚が手に伝わってきた。ぶるっ、と一回だけ腕が震える。しかし、重傷ではあっても致命傷ではない。大猪はごろりと横転して、じたばたしながら首を振って槍を落とそうとする。私は駆け寄って猪を飛び越え、同時に槍も引き抜いて反対側へ着地した。再び構えると、大猪も起き上がって土を蹴り始める。私は防御力がないので、一度でも攻撃を当てられたらそれだけで状況がひっくり返る。まず当たらないことが重要なのだ。
相手の動作を慎重に見る。槍先を自分の体幹に合わせて動きを止める。大猪は、優れた第六感で攻撃のタイミングを計っていたが、私が攻撃されるような隙をなくしたために、それを見失っていた。腕の力を抜く。
次の一刹那、私は前に跳んだ。槍を地面と平行に構えたまま、右足でさらに地面を蹴る。大猪の頭上に飛び上がり、真下に槍を突き出す。体重を乗せた一突きが頭に突き刺さり、大猪はそれまでどうにか保っていた頭部のバランスを崩して倒れ伏した。
着地した私はひくひくと動く猪の頭から槍を引き抜いた。その途端、猪は動かなくなった。
「…倒したな」
アルトナが言うと、山賊達が凄まじい勢いで猪の死骸に駆け寄った。再び震えだした私の腕を、誰かの手が掴んだ。
「…よくやったよ」
アルトナは、なだめるように私に言った。目の前で、猪がばらばらにされていく。とても無駄のない動きで、滑らかに臓器や骨が露わになっていくのを、私はぼんやりと眺めていた。バーヴルはきびきびと指示を出す。
「肉はメシにするからとっとけ!牙は洗って拠点においとくぞ!大きめの石も準備しとけ!」
アルトナが私の手を引いて歩きだしたので、私も歩き出す。
「なにかを、明確な意思を持って殺したのは初めてなんだろ?」
「はい…」
「最初はそうだよな。でも、ただ殺すだけで済ますのも違うからな。そこら辺のことは、ちゃんと分かってるつもりだ」
山賊の何人かが、どこからか大きな石を持ってきていた。アルトナはバーヴルに何か言っている。一度、私を指差した。それからバーヴルは頷いた。
「嬢ちゃん、来な。」
私達は大きな石や猪の内臓や骨を運ぶ山賊達とともに、林の涼しくて時折日の当たりそうな場所にたどり着いた。そこにみんなで穴を掘って、猪のからだのかけらを投げ入れた。それからまた土を被せ、最後に大きな石をどすっと置いた。
石の表面をあらかた整えて、「大猪の墓」と文字を刻んだ。
「あなたの教えは無駄にしません、ありがとうって祈るんだ」
アルトナに言われた通りに祈る。
あなたの教えは無駄にしません、ありがとう。
手の震えは止まっていた。私達はその場所を後にして、また進みだした。
国境がもうすぐやってくる。




