11.負傷者、反駁者
こんなにも煙が立ち込めていると、普通ならどうなっているか分からないところだが、今回は違う。
大臣レーグは唐突に叫んだのだ。
「その者を殺せ!」
反射的に立ち上がって頬を叩いたが、既に遅かった。
椅子からはみ出して倒れた大臣は満足げな顔でこちらを見ている。
水晶玉を見ると、魔物の拳がミトナに直撃していた。
「…っ!やってくれたな」
「それはこちらのセリフだ、旅人よ。貴様は私を殴った。公権を持つものへの暴力行為と見なす。そして、この送り出した女もどうせ生きて帰っては来ぬ。」
後悔していなければ悔しくもなかった。そんなことは些細なことだ。俺にとって問題はただ一つだった。
「クソッ…ミトナ!」
煙の中に人影が動いたが、そこにめがけて魔物は再び拳を放つ。瓦礫が飛び散るが、血や人体の一部が吹っ飛んだ様子はない。
ミトナは高く跳躍したらしく、魔物の背後にいた。だがもちろん完全な状態ではない。よろよろとよろめいている。魔物は容赦なくミトナに向かって走る。距離が縮まる。ミトナは動かない。
俺は焦りながら水晶玉を凝視していた。すると、視点が動いて上を向く。
ホールの天井が崩れて、一部が巨石となって落ちてきた。
その落下地点は、ミトナの立ち位置だ。
視界の端で魔物が動かない手負いの相手に一撃を見舞おうと拳をかざす。まだ動かない。
落石が魔物に直撃した。その少し前、観測できないほど僅かな差でミトナがその場から後ろに飛び退いた。
魔物は怒り狂って直進するが、ミトナにかすりもせず壁に激突する。
俺はこのじれったい攻防に歯噛みしていた。
普通ならてこずらない相手だが、余計な邪魔が入ったせいで思わぬ展開に引き摺り込まれている。
少しずつ魔法は打っているが、先の一撃で大きく体力を削られているせいで魔力がもつかどうかも怪しい。
さらに、槍が魔物の額に深く突き刺さったせいでなかなか落ちてこない。継続的なダメージは与えているが、それも大した効果をあげてはいない。
最初はゆっくり、少しずつ確実に仕留めるつもりだったのだ。俺と自分の身がかかっているのである。慎重にならざるを得ないが、ここにきて状況は一変した。奇策か極端な短時間での戦いでなければ太刀打ちできない。
「全く仕方ない奴じゃ、できないことをして死ぬくらいなら最初から受けず、大人しく捕虜となっておればよかったのだ」
「分かってないな」
俺は水晶玉を見ながら呟く。
「ほう…?」
「砕くか、砕かないか。何かに向かう奴は、それくらいの気持ちはいつだって持ってるもんだ。自信のほどは無関係で、一切の打算は破棄される」
ちらりとレーグを見る。不満顔だ。俺は構わず続ける。
「…あんたは余程自分に自信があるみたいだが、裏返せばそれは不都合から逃げてるだけだ。自分が負けるという、最大の不都合から。惨めだぜ、負けすらも認められない奴は」
「衛兵!こやつを殺せ!」
大臣が叫び、数名の兵士が部屋に入ってくる。
俺は球に映る一進一退の戦いを見ていた。
俺にとってはこっちの方が大事だ。
「この大きさの部屋に剣なんか持ってくるとはな。どっちが死ぬんだよ」
ミトナは肩で息をしている。距離を詰められてはいないが、次第に走行速度が低下していた。
「いいのか?お前ら、俺のこの処遇は王子と大臣で決めたものだ。仮に大臣の命令に従って俺を殺せば、お前ら兵士は王子に逆らったと見做され、大臣がどうこうする前に反逆罪で死刑だ。」
後ろで気配が揺らぐ。どよめきが広がり、迷いがこちらまで伝わってきた。
「この件自体を抹殺しようとしたところで、話は王子も知ってる。どうしたって大臣のかばえる話じゃない。下手すりゃ大臣ごと消えるぞ」
今度は明らかに動揺があった。武器を下ろす音や「本当か…?」という声が聞こえる。
こちらではようやく魔物の頭から槍が落ちて、足元に転がったところだ。ミトナは…暴走する魔物の動きがあまりに変則的なので攻めあぐねている。
「しかし…私に暴行を加えたことは変わらんぞ」
「傷なんてねえだろ」
大臣は目を見開いて頬に手を当てる。
殴ったと同時に治癒魔法をかけておいた。
本人が痛いというだけでは証拠にならないし、現場には俺と大臣しかいなかった。バレないだろうという目算があったのだ。
「俺はこっちの方が気になるんだ。その後はどうなろうが、約束の通りに進むだけだ」
兵士の動きは完全に止まった。大臣はその場で犬のように唸るだけだ。
ミトナに傷は少ないが、いよいよ体力の限界に近づいているようだった。槍を手にしているが、持つ手がかすかに震えている。
魔物は、まだ体力を残しているようだったが、かなり負傷していた。継続的に強撃を当てなくては倒すのは難しい。
魔物が迫りくる。ミトナの腰がひけていたのを見て、嫌な予感が背中を走った。
避け損ねた。
ミトナが吹き飛ぶ。
壁を突き破ってさらに別の空間にいるらしかった。
心臓がこれまでにないほど脈打った。
一筋の汗が首を伝ったのが、いやに生々しく知覚できてしまう。
魔物は動かなかった。
視界が振動している。
「何が起きた…?」
思わず口にした言葉の答えは、すぐに姿をあらわした。




