“トリクルマーメイド”
「それじゃ、そうきちにはきちんと説明してもらおうかな」
阿澄家のリビングにて。慣れ親しんだ木製のテーブルを挟んで、我が幼なじみは指を組み。
「私が知りたいのはただ一つ────」
彼女は、視線をちらと俺の左隣に座る少女へ向け。
「その子が何者か、そしていつから関係を持っていたのかです」
真姫奈はキメ顔でそう言った。……いや、二つじゃん。
「関係を持っていた」って言うとどこかいかがわしく聞こえるのでやめて欲しい。話の腰が折れるから黙っておくけど。
「この子は凪。二日前からこの家で預かってるんだ。」
「預かっている? 親戚の子とか?」
「いや、親も分からないし、どこから来たのかも分からない」
「えぇー……。怪しさ満点なんだけどー?」
怪訝そうに眉をひそめられる。この説明では当然であろうが、どう伝えたものか。
「…………。」
これまで沈黙を貫いていた凪が、くいくいと袖を引っ張って何かを主張しようとしている。そちらを向いてみれば、その小さな掌に一通の手紙が握られている。
「あの……。これで説明できませんですか?」
見覚えがあると思っていたそれは、よく見ればアネキからの手紙であった。礼を言って受け取り、そのまま真姫奈に渡す。
「んー、なになに…………ああ、瑠璃姉の仕業ならさほどおかしくないかー」
俺のアネキ──瑠璃、と真姫奈は俺と同様、昔からの長い付き合いであるため、お互いの性質はよく理解しあっている。その上で、それ故に、我が姉の為したことに対して「さほどおかしくない」と言いきれるのである。あの自由人、今度会ったときにはとことん言ってやらないとな……。
「事情は分かったよー。一応こちらで面倒みれるけれども。ほら、私の家広いし」
あっけらかんと言ってみせる真姫奈。実際に彼女の家はかなりの資産を有している。人ひとり住まわせることなど容易いと思わせるほどの。そして、一人娘を溺愛する夫婦が、彼女の頼みを無下にするとは思えない。
あとは凪の気持ち次第だが。
「あの……」
こちらを見上げながら、言の葉の海を彷徨い探し────やがて、おずおずと。
「蒼さんは、私のことが迷惑じゃないですか……?」
「迷惑だなんて思ったことはないよ。家のことも手伝ってくれるし、生活費だってアネキが送ってくれてるからね」
「それじゃ…………これからもこの家で、暮らしてもいいですか?」
「もちろん。これからもよろしくな、凪」
「なかなか見せつけてくるねー。帰っていい?」
凪の気持ちを確認し和やかムードに浸っていると、真姫奈がどこかジトっとした目をこちらに向けていた。
壁掛け時計に目を遣ると、すでに午後八時を過ぎている。当然、外は真っ暗だろう。
「そうか、親御さんも心配しているだろうしな。送ってくか?」
「そうきちよ、そうじゃないんだよ……。今日はこっちに泊まるってもう連絡してあるし。着替えあるよね?」
「ああ。突発的な泊まりにも対応できるよう準備してありますよ、っと」
アネキの残していった服は、こうして幼なじみの着替えとして再利用されている。余談だが、凪が濡れたワンピースの代わりに今着ている灰色のセーラー? もアネキが幼いころに着用していたものである。よく残っていたなー。
「りょーかい。お腹空いたしささっとご飯作っちゃおう?」
「作るのは俺なんだけどな。……ああ、そうだ」
きょとんとした顔をする真姫奈。先ほどの海岸での一件にて感じたことを口にする。
「“トリクルマーメイド”をやらせてみようと思うんだ、凪に」
その言葉を聞き、何やら考え込んだと思えば、真姫奈は凪の方に近付き神妙な表情で、
「生半可な覚悟で挑めば、死あるのみぞ」
「おいこら部長、適当なことを教えるな」
凪は可哀想なくらいに身を震わせている。いや、トリクルマーメイドは普通のスポーツだから、死にはしない…………はず。
「明日は土曜日だし、教えるのにちょうどいいと思うんだよ。真姫奈がいてくれれば色々助かるし」
「はいな、付き合いますよっと」
かくして、明日の予定は決まり。
「さて、今日の晩ご飯は何にしようか」
◇◆◇◆◇◆◇
女子三人寄らば姦しい。ならば、二人ならばどうなるか?
阿澄家の浴室と、二階にある凪と真姫奈がいる部屋との間にはそれなりの距離があるために、今彼女達がどのようにこの夜を過ごしているかは分からない。
凪は人見知りの気があるし、うまく会話できていればいいのだが……。
などと、まるで親のようにかの少女のことを気にかけている自分に気付き、苦笑する。
静寂の中、ふと想起するは。奇しくも同じ少女の、月の下魅せた、あの美しい泳ぎ。これほどまでに心動かされたのは、いつ以来だろうか。
「…………そろそろ、上がるか」
腰を浮き立たせる。波紋が広がり、熱が去っていく。
遠慮がちな冷気が下りてくる。
◇◆◇◆◇◆◇
「あー、楽……この手に限るぅ」
どこかレトロな路面電車に揺られ、だらんとしている右隣の真姫奈が言う。なにせ、坂道の多い渚見市である。七月の日差しに灼かれながら自転車で上っていくことの大変さを考えれば、こうなるのも必至といえよう。
とはいえ、このだらしない姿を見るクラスメイトあれば、仮にも大和撫子として通っている彼女のイメージは崩壊するだろうなと思えども、車内に人はまばらである。夏休みが始まれば、利用量も多少増えるだろうが……。
「あの、今はどこに向かっているのですか?」
猫かぶり幼なじみとは打って変わって、姿勢よく座っている左隣の凪が問う。
そういえばこの少女には、「トリクルマーメイドは水中スポーツ」としか伝えていないな、と思い出す。
だが、家の近くの海とは正反対へ、近所のプールも高校も越えてなお車輪は回り続けている。
「ちょっと特殊なスポーツだからね、本格的にやるには相応の場所じゃないといけないんだ」
頭上にクエスチョンマークを浮かべる凪。少しだけ説明をしておこうかな。
「有鱗人はその特徴として、水中での運動能力が従来の人間よりも非常に優れていることが挙げられる。それは凪も知ってるよね?」
自身もまた有鱗人である凪は、こくりと頷く。
手足に鱗を持つ、突然変異的に出現した新たな人類。
これといった努力をせずとも、水泳のプロにも勝るとも劣らない速度で泳ぐことができ、素潜りでの潜水可能時間もまた段違い。
そういった側面から、水中での活動においてはまさに“超人”。そして────
「そんな俺たちのために考案されたスポーツ、それが“トリクルマーメイド”なんだ」
途端、路面電車が停車する。タイミングばっちり、目的地にたどり着いたようだ。
名を“TM総合プール”。その建物は、非常に巨大であった。
◇◆◇◆◇◆◇
「うわ、おっきぃーー、です」
仄かに目を輝かせる凪。目の前に広がるは、50×50メートルの特別製プール。通常の長水路と比べ、2倍────そして、深い。
その水深、なんと10メートル。いったい何リットルの水が使われているのか、見当もつかない。
従来の水泳競技に活用するには、明らかに過剰なスペック。
初見であれば、まず間違いなく呆気に取られることだろう。
「それにしても、そうきちのその水着……やっぱり似合ってないねー。」
可笑しげに言う真姫奈。
実際、自分でもそうだとは思っている。全身を覆う、スイムスーツのような出で立ち────撥水性を有する布地がぴったりと張りつき、あまり筋肉質とは言いがたい、やや細身な肉体が遺憾なく強調される。
これがトリクルマーメイドというスポーツにおいての、男性の規定水着。それに対し、
「お二人さんはよく似合ってらっしゃる」
真姫奈は、俺よりも身長が低い……が、同年代女子の平均よりは高い。そして、よく引き締まったしなやかな肉体。ある意味、芸術的とさえ言ってよい。華美な装飾が施されていない紺のスクール水着は、むしろ彼女をよく引き立てている。
人一倍小柄な凪は、非常に調和している白のスク水と相まって、どこか芍薬を思わせる。控えめな佇まいは、しおらしい少女という印象を与え、庇護欲を掻きたたせる。
両者それぞれが与えるイメージこそ違えど、どちらもよく似合っている、そう断言出来る。
「他の皆さんも、全員似たデザインの水着ですよね。ちょっとおかしな気分です」
辺りを見回して凪が言う。実は、このスポーツをするに当たって割と重要なポイントであったりするのだが……まあ、追々説明していくか。
「さてと。トリクルマーメイド──日本語に訳すなら、“滴る人魚”、かな。あんまり情報はないと思うけど、凪はどんなスポーツだと思ってる?」
「どんなスポーツ、ですか……? えぇと、シンクロナイズドスイミングみたいな感じでしょうか」
あわあわぷわぷわ、手ぶりにて表現しようと試みる少女。俺は少し苦笑して、言った。
「俺も、始める前はそう思っていたんだ。でも、トリクルマーメイドというスポーツはね、いわば『水中の格闘技』なんだよ」
「…………ふぇっ?」
一拍置いて、凪の言葉にならない言葉が聞こえた。
かつては。肌の露出面積が広い水着が泳ぎに関して有利とされていた。だがしかし、技術の向上により、人間の皮膚よりも水の抵抗の小さい布が開発され、現在では布地の面積が広い水着のほうが良いとされている。
作中にて、全身を覆うタイプの水着についてが描写されていたが、それは前述の理由が密接に関わっている。決して、「女子は肌をむやみに晒すなかれ」という私の持論が作品に反映されたわけではない……です、ハイ。
初めての人は初めまして、そうじゃない方はこんばんは~。かわいい女の子と夏が好きな、遅筆系文字書きの由希です。
お待たせしました! ついに2話の投稿です! どんどんぱふぱふ~。
次話もなるべく急いで書きます! 首を長くして待っていただければ!
それでは、3話のあとがきでまた!
PS.水中の格闘技ってもうあるじゃん!?
“うたうた”は水球の話ではありませんよ、などと一応補足してみたり。