輪廻
砕け散った心は何になると思います?
わからない。
失った想いはどこに行くと思います?
わからない。
では、失われた命はどうなると思います?
その問を聞いた瞬間、私は俯いていた顔を上げた。妻を見ると私を真剣な眼差しで、でも少し悲しそうに、寂しそうに私を見つめている。その眼差しが痛くて、私はまた俯いてしまった。
もう何十年前の話だろうか。石油危機の後で見舞いにいったらトイレに「お見舞いの方はご遠慮願います」と札が立ててあったのを覚えている。小ぐらいいいじゃないか、と思いながらわざわざ駐車場まで降りて縁の方で用をたした。
妻の容態はあまり良くないのは知っていた。医者のほうからは悪性新生物と告げられたが、よくわからず首をかしげると、隣の若い看護婦が癌と呼ばれるものですと言った。当時としてはまだ馴染みのない言葉だったので、はあと中途半端な返事しかできなかった。だが長い命ではないと言われた時には事の重大さに気づき、寒いくらいの診察室でも汗が滲み出た。
中学生だった娘、紗栄子にはそれが告げられた数日後、居間で今後のことを話し合った。
顔をぐしゃぐしゃにしながら
家事は?進路は?お父さんの仕事は?
私は大丈夫だ。大丈夫だ。なんとかする。
大丈夫だ。
そんなことしか答えていなかったと思う。
妻の容態はいよいよ悪くなり見舞いも1日に数十分しかできないようになっていた。
亡くなる三日前だろうか。
妻は娘が学校に行ってる時間に私を呼び出し、そんな質問をした。
砕け散った心は何になるか、失った想いはどこに行くか、失われた命はどうなるか。
わからない。わからない。そう何回も俯いて泣きながら答える。そして今まで口にしなかった言葉が喉の、心臓の奥底から這い上がる。
「君にはそれでも死んで欲しくない。」
絶対に言わないようにしていた。苦しくなるから、悲しくなるから、変えることのできないものだから。
すると妻は涙を浮かべながら、とても30代とは思えないシワだらけになった顔を、とても病人とは思えないぐらいの満面の笑みになって言った。
「私も死にたくないですよ。紗栄子とあなたとまた食卓を囲みたい。紗栄子の旦那さんを見てみたい。孫の顔を見てみたい。年老いてもあなたと一緒にどこか旅行へ行きたい。私だって死にたくないですよ。」
泣いた。泣いた。とにかく泣いた。二人で泣いた。苦しさのあまり抱きしめる。腕の細さ、少なくなった髪の毛、掻きむしられたボロボロの皮膚、垂れ下がるだけの乳房、余命を感じさせる荒い息遣い。
それでも愛おしい。全てが愛おしい。
死なないでくれ。そう願うしかなかった。
だが現実は非情なものであった。
妻は静かに眠りこの世を去った。
妻の死後はたまに休みながらも娘のため昼夜、土日問わず働きなんとか大学まで出すことが出来た。今考えれば本当に頑張ったと思う。
昼は今まで通り部品工場で働き、9時頃帰って飯をかき込むやいなや商品包装の内職に深夜まで取り掛かった。そんな生活を10年近く続けたせいかその後は腎臓やら肝臓やらが悪くなり帯状疱疹まで患って辛い日々を過ごした。
そして今だ。
私は妻と同じ病院の病床で寝て起きてまずい飯を食って排泄するだけの生活を送っている。六十になって胃がんが見つかりその後は転移を続けこの間もう助からないと言われた。紗栄子はもう結婚して子供も中学生になった。
外は五月晴れ(さつきばれ)だが、その夏に近づく湿気を含んだだるい暑さは私の所までは届かない。
消毒液の匂い、ベッドのシーツの匂い、少し緊張感のある看護婦と医者の声、子供の泣き声、それをなだめる母親の声、誰かが嘔吐した音。
何も変わっていない。あの頃と。だから思い出してしまう。あの時の言葉が妻の顔とともに。
だが私はあの頃とは違う。妻の言葉に答えることが出来る。
砕け散った心は誰か自分のことをわかっている人が拾ってくれる。
失った想いはまた次の人生があることを信じてあの世に持っていけばいい。
失われた命は誰かの胸の内に思い出として残ってくれればいい。
もうすぐあの世へ向かうだろう。
ただ私は娘の安泰な生活を祈るだけだ。
あまりにも単調な文章だった。最後に遺書と書いてなければゴミ箱にポイしていたところだ。
私はこの父の遺書を胸に当てて呟く。
「幸せな生活を送れていますよ」
五月晴れ(ごかつばれ)の空は薄群青色に染まり乾いた風が窓から吹き抜ける。
「おかあさーん!こっちの片付け終わったよー」
はーいと返事をし、立ち上がると激しい立ちくらみがした。またかと思いため息をつく。抗がん剤の副作用。1日だけの仮退院。
強い遺伝性の癌と診断されて5年が経とうとしている。1か月前に余命は1年もないと宣告を受けた。娘はまだ病気のことすら知らない。
砕け散った心は、失った想いは、失われた命は私に全て受けつがれたのだ。
癌という悪魔と共に。