― 6 ―
俺は、レティシアのパフスリーブが破けて肩が露になっている所へ、そっとマントをかけてやっていた。
レティシアは、それに小さくお辞儀を返すと、アレスの足へ治癒術を施し始めた。
「一時はどうなる事かと思いましたが……」
アレスがそう言うと。
「ええ。これも、あの方のお陰です。何かお礼をしないと……」
レティシアが話を引き継いで俺の方を見やるが、俺は別に礼など望んでいない。
「礼などいらない」
レティシアの話を途中で折り、礼を断った。
「そうはいきません。貴方は私達の命の恩人だもの。何かお礼をさせてください」
そう言って、穏やかな笑みを称えた美しい顔が、俺を言いくるめる。
華やかな中に凛々しさを持つ、不思議な女性だった。
「なら、……コイツらのパーツは全部貰っていく。それで良いか?」
普通ならこう言う場合、収穫物の利益はその場に居たもの達で割り合うのが定石だが、礼を貰うつもりの無い俺と、礼をしたいという相手との折り合いをつけるのには丁度良いだろう。
「え……?それで良いんですか?」
レティシアは不思議な顔でこちらを見た。
「ああ。あなた達の取り分を、礼として俺が貰う。それで良いだろ」
改めて、そうする意図を説明した。
「でも、私達は戦いの役に立ってないどころか、完全に無力な私達を貴方が救ってくれたのですから、取り分などは元々貴方のものです。それだけじゃこちらの気も済みませんので、こうしましょう……」
レティシアがそこまで言った所で「ふう。」と嘆息して。
「街に来られたら私の家にお越しください。せめて、お茶とお食事だけでもおもてなしさせてただけませんか?」
なかなか芯が揺るがない女性だ。
そして、金品で吊らない辺りも、こちらへの気遣いというワケか。
「……わかった。俺は今日、旅に出たばかりだ。恐らく戻りは一ヶ月後。少なくともそれまではお預け願いたい」
「わかりました。……あ、自己紹介がまだでしたね……」
二人がかりで治癒した事で、大まかな治療を終えたレティシア達は、アレスを気遣いながら立ち上がる。
「……私は、レティシア・ヴェル・レイスです。この者は当家の執事でアレス・マーロン……」
ミドルネームがあると言うことは、貴族のお嬢様と言うことだ。
そう考えると、レイスと言えば、オーリーの東西南北をそれぞれ統治する四大諸侯の一つ、北方伯のレイス家だろう。
伯爵家の娘ともなれば、命を救われた事に礼の一つもしないのは貴族の恥と言うことか。
体面だけ礼を受ければ、この関係も終わり。
この時の俺は、そんな事を漠然と思っていた。
「……そう言えば、貴方は先程、『今日、旅に出られたばかりで、一ヶ月後に戻られる』とおっしゃいましたね?」
「……あ?ああ」
俺の自己紹介の前に、突然の質問に虚を突かれて軽く動揺しながら応える。
「……と言うことは、貴方もヴァン・メイデンにお住まいなのですか?」
続く質問に、いまだ頭が整わないまま応えた。
「あ?ああ、そうだ。俺はセグ。セグ・セイダースだ」
ついでに名前も名乗ったのだが、言った後になって後悔した。
フルネームを語るつもりはなかった。
なぜなら……
「まあ!貴方はあのセイダース家の!?グーリッド様のご子息でしたの!?どうりでお強い訳ですね!」
……こうなるからだ。
俺は、家系にかかる国民の期待など、正直どうでも良かった。
だから、セイダースの名を名乗る時、こうしてチヤホヤされるのが嫌だった。
俺は思わず一瞬の陰りを表情に出してしまう。
その一瞬の顔を、レティシアは見逃さなかった。
「……あ、ごめんなさい」
「い、いや……」
レティシアに謝られた俺は、どう答えて良いのかわからなくて答えに窮した。
「貴方も、もしかしてお家のしがらみに嫌気を感じる方なのかしら……」
先程までの明るい顔が、心配を浮かべた暗い顔になる。
俺は、そこまで重く考えてはいなかったが、確かに、父の息子という立場が俺の人生に関わってきた事には、色々と嫌な思いをさせられてきた。
「まあ、……な」
そう応えると、アレスが控え目に割って入る。
「お嬢様。そろそろ……」
アレスの言葉に、レティシアが少し慌てた。
「ああっ、そうね。じゃあ、今度会うのは私の家はやめて、喫茶店にしようかしら?」
アレスに返してこちらに問い質すレティシア。
「あ、ああ……」
とりあえず曖昧な答えを返すと、レティシアがニコリと笑った。
「じゃあ決まり!セグが帰ってきたら……あ!貴方の事はセグと呼んで良いかしら!?私の事はレティで良いから!」
俺の返答を承諾ととったらしいレティシアは、笑顔で話を進める。
「……あ、ああ……」
その勢いに押されて、またもや曖昧な答えを返した。
「うふっ。それじゃあ、セグが帰ってきたら、レイス家に来て!帰ってくる頃には私の公務も休みにしておくから!そしたら、一緒に喫茶店に行って、気兼ね無くお話しましょ!?」
一気に捲し立てられ、俺はまたもや。
「……あ、…ああ……」
と返していた。
どうやら、お嬢様は自分と同じように家の重荷に嫌な気持ちを抱く俺と、共感を抱いたのだろう。
そして、家で俺に礼をしようとしていた所を、喫茶店に変えて家の者の耳などを気にせず気兼ね無く話をしたい、と言う趣向なのだ。
俺の返事を聞いたレティシアは、アレスと二人で馬車に乗り込む。
「それじゃ、また、一ヶ月後に」
レティシアはコーチの窓から顔を出して俺に念を押す。
「ああ、わかった」
話を理解した所で悪い気はしなかったから、今度はハッキリと答えた。
「旅、気を付けてね。無事を祈ってます」
「どうぞご無事で」
二人に手を振られ、俺も無言で振り返す。
立ち尽くす俺に、遠ざかる馬車が街の東門を潜るまで、レティシアはコーチから手を振り続けていた。
馬車がメイデンの門を潜って見えなくなるまで、俺は手を上げて見送ったのだった。