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「……ふう。行ってしまったか」
孫の旅立ちを祝福するかの様な快晴の下、ワシはその孫達に向けて振っておった右手を降ろす。
ふと、その手と下げておった手を自らの胸の前に揃えて、両の手のひらを見つめた。
シワが深く、年齢を感じさせる節くれを眺め、別れの寂しさと歳を取った己の侘しさが重なり、沈む心は深い闇に引き込まれる。
本当ならとうに死んでおったはずじゃった。
あの、本当に血の繋がった孫と息子夫婦が、キャンプでモンスターに殺された時に。
そして、妻にも先立たれた時が、二度目のチャンスじゃった。
もう何も残らん我が身を、人知れずどこぞのモンスターの生きる糧にくれてやるチャンスだ。
それでも生き延びたのには、我が息子達の分まで生きると誓ったからか、それとも、ただ命を絶つことを怖れたのか。
いずれにせよ、今はこの老いた体を、精一杯活かす事を考えんとならん。
それが、新しくできた我が孫のためになるんじゃったら。
セイルよ。
おぬしの未来は甘くはない。
しかし、おぬしならやれる。
それは、おぬしを選んだ神が、保証してくれておる。
じゃが、怠けてはならんぞ。
怠惰は如何なる神も救わん。
心しておくんじゃ。
我が孫へ、届けとばかりにそう思いながら、日が昇る方向に二人と1匹の影が消えていくのを最後まで見送った。
少しだけ、俯き加減に我が家へ足を向ける。
扉を開くと、先程皆に出したコーヒーの香りが鼻に届いた。
キッチンで、ポットに残ったコーヒーをカップに移し、それを持ってテーブルの定位置へ運ぶ。
つい先程まで居た、まだ幼さの残る人間の男の子と、これまた容姿が幼い天使の女の子、さらにはウサギの様な姿の精霊がこのテーブルを囲い、朝の食事に宛度ない話を添えて笑顔で溢れた光景が、テーブルの左右正面に広がる。
そんな朝の一幕が、幻像の様に視覚に映し出された。
一口、冷めたコーヒーを口に含んで、孫達の会話に笑顔を返す。
すると、正面に座る先程までおった孫が、昔に失ったはずの本当に血の繋がった孫の姿へとゆっくり変わる。
少し驚いて左右を見渡す。
すると、いつの間にか左には失う前の息子が。
右には空席があったが、最後に自分の食事を持ってきた息子の嫁がその席に座る。
ワシの隣には、我が愛する妻。
長テーブルに対面して二世帯が向き合う。
幸せな時間じゃった。
我が家族を、気付けば微笑まずには見ておれんかった。
そんな幻像を懐かしげに見ながら、ワシは現実を思う。
ワシは、女神レイアの御言葉によって、孫の妹である少女が天使であることは知っておった。
我がホビット族のほとんどが崇め、奉る、闘技と平和の女神レイア。
この世を統べる十二の大神の一人であると言われる、彼の女神が夢で語った言葉が現実となった時、我が運命もあの孫に託された。
思えば、長い様で短い人生じゃった。
我がホビットは、なりが小さいせいか、他の人類の種族に比べてその寿命も短い。
五十五を数えるこの歳も、人間族に例えるならば、70近い老体じゃ。
もう先も長くはないのじゃが、最後に大きな仕事が待っておる故、まだ命を絶つことは許されん。
それでも、ワシはこの人生を振り返らずにはいられんかった。
ふと、走馬燈の様にワシは若かりし頃の自分を思い出す。
そして、物思いに耽りながら、上を見上げ、木造りの生木の天井を見つめた。
思えば、ワシが旅人を生業とし始めたのも、もう40年以上も前じゃった――――
――――晴れた日の、日の出の時刻だった。
俺は、まだ起きていないはずの両親の目を盗んで、家のリビングをそっと歩く。
抜き足で音も立てずに歩くのだが、体に纏った鎧が時折カチャカチャと音をたてるのが、余計に緊張を駆り立てる。
繋ぎ目がたまに引っ掛かって、突然外れた時のガチャッと鳴る音で、上げた足も降ろすことができずに、全身に一際強い緊張が走った。
しばらく、動きを固めたまま、家族が起きてこないか耳を澄ませた。
昨晩は、普段家に居ない父も帰っていて、特に父に見つかると厄介なのだ。
そっと目を閉じて、僅かな音も聞き逃さない様に聴覚だけに集中する。
そのまま10秒ほど止まっていても何も物音がしないのを確認すると、俺は再び足を前に進めた。
そして、ようやく家の入り口に辿り着く。
そこで、ふと無意識に家の中を振り返り、少しだけ、幼い頃の思い出を振り返るのだった。