第三種能力者
霞がかかった様な、まどろむ様な、何処かフワフワとした感覚を慶志朗が感じている時、ふと鼻孔を突きさすキツイ煙の臭いを感じ取る。その瞬間、慶志朗の意識は一気に覚醒した。
「待って母さん!起きたから!ちゃんと自分で起きたから蹴らないで!そして僕の部屋で煙草を吸わないで!ニコチン落とすの大変なんだよ!」
クワッと両目を開き、ガバっと体を起こす。真っ先に目に飛び込んで来たのは見慣れた部屋の天井――では無く、何処までも茜に染まった晩春の空だった。
「……あれ?」
「お前が今までどういう起こされ方をしてきたのか、実によく解るな」
不機嫌そうな声でそう言われて、慌てて周囲を見渡すと、慶志朗のすぐ側、屋上の床の上で行儀悪く胡坐をかき、不味そうな顔で不味そうに煙草を吹かしている磯谷の姿があった。
「先生?何でこんな所に……?あれ、そう言えば何で僕はこんな所で寝てたんだ……?って……ああああああああっ!僕のスーパーカスタムプレハブがぁっ!何で、どうして?」
周囲を見渡した慶志朗は、苦労して修復したプレハブ小屋が、東奥の『能力』の余波で屋根が吹き飛び、壁の半分も崩れ半壊している事に気が付き、悲鳴じみた声をあげる。
「寝ていたでは無く気絶だ。しかし、煙草一つ吸い終わる前に眼を覚ますとはな。随分回復が早くなってきたじゃないか」
「気絶……あ……ああ!そうだった、東奥君にやられて僕は!じゃあ小屋もあの時に!」
磯谷に言われ、慶志朗はようやく自分の状況を思い出し、もう一度周囲を見渡す。
「あれ……翼君と静野さんは……?さっきまで居た筈なのに……?」
「二人なら自室に帰した。お前を医務室に運ぼうとしていたんだが、俺が代わりに連れて行くって事で同意させた。話を聞いてしまったからには俺が責任を持たんとならんからな」
「……ここは医務室に見えませんけど?」
「建物内は禁煙でな。見た感じ気絶しているだけで大した事なさそうだったから、一服してから運ぶつもりだった。まぁ、その前にお前が眼を覚ましたんだがな」
「随分余裕っすね!可愛い生徒がいきなり襲われて、住む場所も壊されたって言うのに。も少し緊迫した対応を求めてもいい筈なんですが?」
ブスッとした顔で言うと、磯谷は不味そうに煙を吐きだしつつ、
「状況は結城達から聞いた。お前が東奥に試合を挑んだ事もな。全く無謀な真似をする」
「待ってください!僕は試合なんて挑んでませんよ!」
慶志朗が全く身に覚えが無いと訴える様に言うと、磯谷はジロリと横目で睨み、
「前にも言った筈だ。少しは予習しておけと。個人申請の領域内に、申請者以外の人間が入ると言う事はこの学園では強制介入と同義、つまり試合の申し込みと同じだ」
「………………なんですと?」
「この場合、屋上で個人的な《能力訓練》の為に東奥が申請した個人領域内に、お前が入ってきたと言う訳だ。個人練習を覗くのはウチではタブーだ。手の内を予め探るのはフェアじゃないからな。それをあえてやると言う事は、喧嘩を売っているのと同じだ。今回はお前が東奥の申請した領域に勝手に入った。形としてはお前が東奥に試合を申し込んだ事になる」
「そ、そんな……僕は知らなかった……勝手に入ってきたなんて!僕の部屋はこの屋上にあるんですよ?そんな所で申請されたら、喧嘩売るも売らないもないじゃないか!」
「まあ、普通は個人領域の申請もグラウンドか演習場を指定する物だが、別に他で申請しては駄目と言う訳ではない。つまり、お前は口実にされたって事だ。直情的な東奥らしくもないやり方だが、手順は守っている。だから学園側から東奥を咎める事は出来ん」
「何でそんな事を……?僕が東奥君と試合したって勝てない事は解っている筈なのに」
慶志朗の疑問に、磯谷はすぐには答えず、深く煙草の煙を吸い込む。
「勿論、東奥の狙いはお前じゃない。結城だ。アイツと試合する為にお前をダシに使ったんだろうよ。しかも、我々教師が手出し出来ない形で試合する為にな」
「……どういう意味です?」
「結城は東奥とお前の試合中、東奥の攻撃を《能力》を使って防いだのだろう?一対一の試合に手を出さない……それは三黒須学園特別育成課での暗黙ルールだ。しかも試合を挑んだ方を助けるなど、著しい逸脱行為だ。他人が申し込んだ試合を横取りするのと同じだからな」
磯谷はポケットから携帯灰皿を取り出し、短くなった煙草を押し込みつつ淡々と続ける。
「それだけでなく……一対一の試合に介入すると言う事は、試合の勝者に次の試合の申し込みをする、と言う意味でもある。これも扱いは強制介入に当る」
「そんな……でも、確か校則では、試合をする場合は教師の立会が必要な筈じゃ?」
「予め、試合の申請をした場合ならば、我々教師が立ちあわないと試合を行う事が出来ない。しかし……強制介入となれば話は別だ。当事者同士の合意の元に、《能力強化》を目的として協力した、と言う扱いになる。命に関わる怪我をさせたら流石に処分せねばならんが、それ以外ならば特別育成課に限り、基本的に学園側は黙認だ」
「なっ……なんでそんな決闘じみた野蛮な事が黙認されてるんですか!まるで学園は合法的に喧嘩を認めているみたいじゃないですか!」
余りにも無責任に思える言葉に、慶志朗は流石に憤慨し詰めよるが、磯谷は平然と、
「まるで、じゃない。みたい、でもない。認めているんだ」
「………………ぇ?」
「自分の身は自分で守る。それが出来ないでどうやって《能力》を持たない人間を《超人》から守るのだ?野蛮?寝ぼけた事を言うな。決闘?大いに結構だ。それで《能力》が上がるのならな。お前は何処に居ると思っている?ここは《超人学園》だ。そしてお前は特別育成課の生徒だ。卒業後、多くの生徒が《超人連盟》に加入する学課だ。いずれ《能力》を悪用する《超人》とも闘う日が来る。その為の《能力訓練》だ。《能力強化》に繋がる事ならばどんな事でも法に触れない限り全て黙認する。温い規則で守られた他の学校と一緒にするな」
淀みなく言ってのける磯谷に、慶志朗は言葉を失う。この学園、特に特別育成科においては《能力》が全てにおいて優先される。磯谷の言っているのはそう言う事だからだ。
改めて、自分が如何に場違いな人間か思い知ってしまった。《能力》が無い身で、《超人》と競う事がどれ程無意味な事か、知ってしまった。
彼等は全員《超人》と戦える《超人》を目指して教育をされている。《能力》に対抗できるのは《能力》だけだから。それがこの学園の現実。《無能》の慶志朗には、最初から彼等と共に学ぶ資格が無かったのだ。その事にようやく気が付いた。
「なんだ……馬鹿みたいだな、僕は……《超人》と戦えない《無能》が、一体何をする気だったんだよ……何も出来る訳ないじゃないか」
翼が最初に言った通りだった。この学園に《無能》の居場所はどこにもない。正しくその通りだ。それなのに《超人》と一緒に学べば、自分も変われる気がして学園にしがみ付いた。そのせいで、翼や理瀞に迷惑を掛ける事になると知らずに。
情けなさに涙が滲んできて、慶志朗は俯き地面を睨みつける。自分を口実にして翼に迷惑をかけてしまった事が何よりも悔しくて。
俯く慶志朗を不機嫌な顔で見ていた磯谷が、ポケットを探りつつ、
「それで……お前はどうするんだ?」
と、何気ない口調で聞いてくる。
「どうするって……それはこの学園を辞めろって事ですか?」
《超人》相手には何も出来ないと思い知った今、これは当然の問いだと慶志朗は思う。学園に残れば、また翼と理瀞に迷惑を掛ける事になる。だから気が付いた今の内に、さっさと他の学校に転校しろと言っているのだと、彼は思っていた。
「お前が辞めたいのなら止めはしないが……俺が聞いているのはそんな事じゃない」
だが、磯谷はそう言って首を振り、胸ポケットから煙草の箱を取り出し、もう一本吸うかどうか悩む様な素振りを見せた後、結局もう一本取り出して口に咥える。
「夜になれば、結城は東奥に乗せられて試合をするんだろう?お前が原因で。その原因となったお前は一体どうする気だと聞いている。このまま放っておく気か?」
「え?」
「お前の試合に手を出した事で、結城は東奥に試合を申し込んだ事になっている。暗黙とは言えちゃんとした手順を踏んでいる以上俺は手出しが出来ん。だが、お前なら話は別だ。試合の敗者は、勝者に対して試合を申し込む事が出来る。後から試合を申し込んだ者よりも優先して、な。例え強制介入の非公式試合であっても、これは適応される」
「つまり……僕にもう一度東奥君と闘えと?」
「まさか。教師が喧嘩を増長させる様な事は言えん。そう言う規則があると言ったまでだ」
「……でも……僕が行ったって……何の役にも立たない……試合したって、結局負けてしまえば、同じ事じゃないですか……」
慶志朗が力無く項垂れて呟く様に言うと、磯谷は反対の胸ポケットから安っぽい使い捨てライターを取り出し、煙草に火を付ける。
「やる前から諦めるな馬鹿者。俺はそんな情けない事を教えた覚えは無いぞ」
「そんな事言ったって!僕は一度も《超人》に勝った事が無い!まともに試合にすらなった事が無い!たった一発《能力》を受けただけで気絶して終わりですよ!僕みたいな《無能》が《能力者》相手に試合する事なんて、最初から無理だったんですよ!」
吐き捨てる様に慶志朗が怒鳴ると、磯谷は煙草を深く吸い込み、
「誰が言った?」
不機嫌な声と共に不味そうに煙を吐きだす。
「お前が《無能》だと誰が言った?」
磯谷の言った言葉の意味が解らず、慶志朗は「え?」と間抜けな声で聞き返してしまう。
「皆、そう言っています!僕が《無能》のヘタレだって、クラスの皆も、学園中の《超人》が僕の事をそう呼んでいるじゃないですか!」
「一度でも俺がお前を《無能》と呼んだ事があるか?そもそも三黒須学園には《無能》は入学出来ない。お前は《第三種能力者》であっても《無能》じゃない」
磯谷は何でも無い口調で言うが、慶志朗には全く違いが解らない。最初の時に翼が言っていた。《第三種能力者》とは、特別なカテゴリーを設けるのも馬鹿馬鹿しい、ただの《無能》の事だと。磯谷の言っている事はただの言葉遊びでしか無い。その筈だ。
そんな慶志朗の思考を読み取ったのか、磯谷は煙草を燻らせつつ、
「《第三種能力者》と《無能》は違う。生命プラズマとレクト・エレメの反応による《能力》を持たない、と言う点では《無能》に限りなく近い。だから混同する者も多い。だが《第三種能力者》とは《能力》を持たない《能力者》の総称だ。《無能》とは全く別の存在だ」
磯谷は一旦言葉を切り、東奥との試合で荒れたままの屋上を見渡し、何かを探す。
「今から三〇年も前の話だ。この学園に一人の男が入学してきた。そいつは、全くなんの《能力》も持っていなかった。学園始まって以来の《無能》が入学してきた、と当時としては大問題となった。だがあの男は、何の《能力》を使わずに、三黒須の《超人》達と対等以上に闘って見せた。その時の衝撃は今でも忘れられん。ただの《無能》にそんな事が可能だとは考えもしなかったからだ。だから、当時の教師陣は躍起になってアイツの事を調べた。無論、当時新任だった俺も、アイツの『力』が何なのか、調べさせられた」
目当ての物を見つけたのか、胡坐をかいていた磯谷は立ちあがると、半ば瓦礫と化したプレハブ小屋の方に近付きながら言葉を続ける。
「《第三種能力者》とは、その男の為に作られた分類だ。アイツは《能力》を持たない代わりに、ある技術を持っていた。その技術は他の誰も使えない特殊な物だった。いや、技術である以上習得は可能だが――アイツと同じ錬度での習得は不可能と判断された。既にアイツの技は、技術では無く《能力》と呼んで良いレベルにまで達していた」
壁半分が崩れたプレハブの中を覗き込み、崩れた時に一緒に倒れた棚から落ちた物を拾い上げる。それは慶志朗が持ち込んだ工具だ。工具の側には、同じく持ち込んだと見られる、農作業用の肥料の袋がそこらに散乱している。石灰、硫黄、マグネシュウム、硝酸剤。どれも、その辺のホームセンターで売られている肥料だ。それを見た磯谷は薄く笑う。
「そして教師陣はアイツの技術が、他の誰にも真似できない個人の特性であると判断し、その技術を《能力》の一つとして認定した。同時に、アイツの《能力》は既存の系類のどれにも当らない為に、新たな《系類譜》として登録された。当時は他に該当する者が居らず、アイツの《能力》の為だけに作られた系類だ。アイツの卒業後は長く保有者不在となり、時が流れて当時を知る者が減り、今となっては忘れられた系類だ」
磯谷は手にした工具を一旦床に置くと、少し離れていた場所に落ちていた、古びた木刀を拾い上げる。初めての試合の時に磯谷が慶志朗に渡し、彼の物となった使い込まれた木刀。
「お前も気になっていた筈だ。《能力者》しか居ない学園に、何故ただの木刀があるのか。これは昔アイツが使っていた木刀だ。アイツの《能力》には道具が必要だったからな」
そう言って木刀を投げて渡す。慶志朗は空中でそれを受け取るが、正直言えば、何故磯谷が今そんな話をするのか解らなかった。だが、磯谷が木刀の柄尻を指さし、その指し示す先に視線を向けた時――雷に撃たれた様な衝撃が走った。何故今まで気が付かなかったのか。そこには最初から答えが記されていたのに。
KG。かなり擦り減り霞んでいたが、柄尻には手彫りで確かにそう刻印されていた。同時に、ある日の記憶が鮮明に蘇る。
それは幼い頃の記憶。父が生きていた時の記憶。
その日、父は家を空けていた真彩に向け伝言を書いていた。文面の最後には、その時の慶志朗にはなじみの無い英文字を書いていた。
それは一体何なのか、と幼い慶志朗が尋ねると、父は笑ってこう言った。
『簡単なサインだ。慶司と漢字で書くよりもKGと書く方が格好いいだろう?』
そう言って、父は片目を瞑り、慶志朗の頭を撫でていた。その時と全く同じ英文字が、木刀の柄尻に彫り込まれている。
「先生……まさか……コレって……!」
「三黒須学園初の《第三種能力者》の名は帆村慶司。お前の父親だ。そして、お前の父親の為だけに新たに作られた系類譜は――《伝承技能系能力者》だ」




