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支払い

支払い。代価の代償。

物々交換が始まりとされるこの行為は、人と人が複数存在する中で行われる生活の根幹を成す行為。

貨幣が誕生して以降は物品と貨幣を交換することが主流となり、これにより商いで儲けを出し生活する商人が生まれた。


現在では、商人だけでなく様々な物が金で売り買いされる。

当然のことながら、それは人外の存在たるコーフィ=チープの経営する喫茶店でも執り行われる。

永く短い宴が終わり。

人々がセブンという見慣れぬ幼子の存在に驚愕と畏怖を抱きながら会計を済ませている頃。

麒麟達の群れもその行為の重要性に気づきかけていた。


ここに単独でやってきた幼き麒麟のコワムゥは一応、獲物を持ってきている。

だが、コーフィ=チープという未曽有の悪夢と戦うべく立ち上がった肝心の大人達は無一文でここに来た。

何の獲物も捕らえていない。

物々交換のしようもない。

交渉の余地もない。

完全なる無一文。


続々と会計を終える人間達を見ながら彼らは悪寒と恐怖からか全身から冷や汗と脂汗が噴き出していた。

口は閉まることも開くこともなく、顎がガタガタと震え、歯がカチカチと音を立ててぶつかり合う。

彼らには今、この状況を打破する算段がまるでなかった。


「お皿下げますね~。」


周囲にいる無数の店主。

その全てが幻影ではなく、実際に物体をつかみ取っていることから、この店主はスライムのような分身能力を有しているのだろう。

常に自分達の周りを飛び回り、逃げる隙を与えない。

否、それどころかいつ襲われてもおかしくはない。


ここに来るまでは、決死の覚悟で挑み。

命を散らす事さえ厭わぬ鋼の精神があった。

だが、この店に連れてこられコワムゥの無事を確認し、もう一度歓待を受けたことで安堵してしまった。

そのためだろう。今の麒麟達には死の恐怖に抗う精神がない。


否、そんなものは初めからなかったのだ。

自分達は最強たる古龍種に名を連ねる一族。


『たとえどれほどの難敵であろうとこの数で攻めれば勝てる。』


そう思っていたのだ。

だが、この分身術と先に見た全てを圧倒する質量エネルギーを感じたことで理解してしまった。


『自分達では勝てない。』


その事実が彼らを奮い立たせるはずの心を折った。

最早彼らに残るのは、潔く散ることのみ。

だが、それを受け入れるには彼らの心は弱すぎた。


ある者は注文をしていれば、食事をしていれば会計はまだ来ないと思い食事を続けた。ただ、既にお腹はいっぱいだ。むしろ食べ過ぎて吐き気がする。

ある者は現実を逃避して妄想に想いを馳せた。ただ、夢から覚めさせるように視界にはチラチラと店長が映る。

ある者は死ぬ前に子孫を残そうと異性を捜して回った。ただ、今回の決死隊は雄のみでの構成だった。


そんな誰もが現実を直視できない状況で、絶望を告げるかの如く足音が近づいてきた。

それはシュルツの横で止まると何かを語った。

麒麟達は人間の言葉を完全に理解できるわけではない。

だが、なんとなく感想を聞かれている気がしたので、盛大に鳴き声を上げて歓喜を表現した。


絶望のあまり涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしていたためだろうか。

その鳴き声はひどく悲観したような悲しい鳴き声だった。


だが、隣に立った男は嬉しそうに微笑んだ。

何を言っているのかは定かではないが、その声は嬉しそうに弾んでいる。

男は、シュルツの答えに満足したのか。

鼻歌交じりに帰っていった。


いったいなんだったのだろうか。

いや、あの男の行動はどうでもいい。

それよりも支払いをどうするべきか・・・。


シュルツは男の行動が何だったのか理解できずに戸惑ったが、すぐに現状打破のために思考を切り替えた。

現状では打てる手などほぼない。

だが、やるしかない。

シュルツは仲間達を集めて最後の決戦に出ることにした。

もうこれ以外に、彼らには方法は残されていない。

古龍種としての誇りプライドも尊厳もかなぐり捨てて最終奥義を出すしかない。

仲間達は長のその判断に一瞬だけ戸惑ったが、最後には覚悟を決めて頷いたのだった。




ガイ達やヨシュアの連れてきた一団の会計が終わった後のことだった。

もうそろそろ麒麟達の食事も終わるだろうと思っていると、なぜだかさらに追加で注文が来た。

どうやらまだ食べるらしい。

既に結構な量を食べているはずだが、麒麟達は意外と食欲旺盛なのか。さらに食事を進める。

だが、異変はすぐに起きた。


麒麟達が食べ過ぎて吐き出したのだ。

無論のことながら、衛生面をしっかりと行っている自信はあるが、それでも、お客様が吐き出せばこちらの不手際を疑ってしまうのが人間のさがだろうか。


「大丈夫ですか?!」


すぐに吐き出したお客様方に近づいたが、彼らは何かに取りつかれたかのようにまだ食事を続けようとする。いったい何がかれらをそこまで突き動かすのか。

料理人としてはまだまだ若輩者の俺にはわからない。

ただ、麒麟達は涙を流しながらまるでこの世の終わりのような顔をしている。


しばしの逡巡後。

俺はその答えに辿り着いた。

そうか。

彼らは次にこの食事をいつとれるかわからない。

だからここでできるだけ多くの食事を取るつもりなのだ。


どうして、もう一度ここに来るのが難しいのかまでは想像できないが、彼らには彼らなりの理由があるのだろう。

だが、俺も喫茶店のマスターとして今まで何もしてこなかったわけじゃない。

ここはマスターとして彼らを精一杯元気づけてあげよう。

俺は麒麟の長の下に歩いていくとできるだけ優しく語り掛けた。


「君たちが何を不安に思っているかは知らないが、私はいつだってこの場所で君たちを待っているよ。」


いつでもここに来ていいよ。

そう優しく駆けると長の麒麟はひときわ大きく声を上げて鳴いた。

その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、声はどこか悲しげにかすれていたが、俺にはわかる。

彼はきっと俺の言葉に感銘を受けているのだと・・・。

俺はうれしくなって笑顔で彼らの健闘を祈る旨を伝えた。


「また会おう。私はいつだって君たちを歓迎するよ。」


そう言って俺はその場を後にした。

ついうれしくて鼻歌を歌ってしまうぐらいに俺は浮かれていた。

そして、この後。

俺は予想だにしない事態に見舞われる。


それは、麒麟達が何かを話し合い。

意を決した後のことだった。

何か話したいことがある。

そう感じとった俺は麒麟達の前にやってきた。

後ろではガルム君が「お会計でしょうか?」と首をかしげている。

いや、彼らには前回の不手際があるから今回はお金は取らないつもりなんだ。


そういえば、彼らにはそのことを言っていなかったな。

そんなことを考えていると、何を思ったのか。

麒麟達は突如としてバタバタと倒れだした。

意を決したかのようなあの表情は何だったのだろうか。

そう思うほどに一斉に倒れて仰向けに寝転がる。


一瞬、食事が体に合わなかったのかと危惧したけれど。

どうやらそうではないらしい。

彼らの目にはこちらに何かを訴える光が宿っている。


「こ、これは・・・!」


その光景を見たガルム君が驚愕のこもった声を上げた。

どうやら彼はこの事態が何なのかを知っているようだ。


「ガルム君。これはいったいなんなんだい?」


俺が振り返って話を聞くとガルム君は恐る恐る口を開いた。


「これは【服従のポーズ】です。本来は動物が行うのですが、まさか魔獣が行うとは・・・ しかも、相手は古龍種に名を連ねる麒麟。このようなことおそらくは歴史上で初でしょう。」


なんでも、この【服従のポーズ】は生物の弱点である腹部を晒すことで降参や服従を意味するらしい。

たしかに、今まで魔獣と戦う中で何度か見たことのある姿だけど。

あまり気にしたことはなかったな。

よくわからないが、お腹を撫でるとそれを受け入れたことになるそうなので、撫でてみた。

麒麟達は嬉しそうに声を上げてくれた。


いや~。よくわからないが良かった良かった。


この後、ガルム君の話によって服従を受け入れたことで俺は麒麟の群れをしもべとして使えることが判明した。

ただのいいお客さんだと思っていた麒麟達が、なんと従業員になってしまったのだ。

なんということだ!!

これじゃ、リピーターとして来店してもらえないじゃないか!!


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