帳簿をつけるよ
開店から苦節一か月。
時に挫折し、心を折りかけたがついに・・・
ついに俺はお店にお客様をお出迎えすることに成功した。
(今日は記念日だな。)
「~~~♪」
思わず鼻歌交じりになりながらも俺は帳簿を開く。
購入したのは開店前からだが、開くのは今日が初めてだ。
(最初はこの帳簿を開くことがあるのかと不安だったけれど、今となってはそのこともいい思い出だな・・・)
俺は遠い何処かを見ながら感慨にふけった。
残念ながら帳簿には冒険者用の回復メニューのことしか書けないが、それは仕方がない事だろう。
だって彼らは『もうお金がない』という理由で注文が取れなかったし、『人間の文字は読めん』とも言われた。
(これからは、魔族の文字も勉強すべきかな?)
でも、魔族の文字って魔界に行かないと学べないんだよな。
言葉がなぜか通じるから文字も通じると思っていたが、実はそんなことはなかったみたいだ。
勉強するために一度、魔界に行くべきかもしれないが行く場所を間違えると複数の魔族に取り囲まれて殺される危険があるのでおいそれと向かうことはできない。
仕方なく、今はあきらめることにした。
「ああ、それにしても水ぐらいは飲んでいってもよかったのに・・・」
そう思いながら俺は六人の魔族たちが残していった水の入ったグラスを見る。
この水は魔の森で取れる湧水を使用しているのでただで手に入る。
飲めることは俺が飲んで実証済みだ。
なのに、なぜか彼らは俺の入れた水を飲まなかった。
お金を取られるとでも思ったのだろうか?
確かに、こんな辺鄙な場所でなら水はタダじゃないかもしれない。
(まぁ、水が定期的に手に入らない街なら水が有料の所もあるしな。)
もしかしたら、彼らはそういう場所出身の人だったのかもしれないとあきらめることにした。
彼らが飲まなかった水は魔の森に捨てておこう。
水の使いまわしはお客様に失礼だからな。
周辺が森なので捨てても問題はない。
街中だったら地面に水たまりができたり、ぬかるんだりして危ないからこんなことはできないだろう。
(ああ、あの人達が俺の店のこと宣伝したりしてくれないかな・・・)
俺は初めて来た魔族のお客さんがお店のことを宣伝してくれないかと勝手に夢想していた。
だって、そうなればお店が繁盛するのは間違いないだろう。
『魔の森にとてもいい喫茶店がある。』
『魔の森の喫茶店では回復や応急手当てをしてくれる。』
『魔の森に宿泊施設付きの喫茶店があった。』
こういう、宣伝がなされれば俺のお店もきっと繁盛するだろう。
そうなったら本当にアルバイトを雇う必要があるかもしれない。
俺はそう思ってふと以前作ったアルバイト募集のチラシを見た。
『日給10万G 住み込みOK 最初は見習いなので日給8割からスタート。 素人でもOK 技能持ちや魔法使い方の日給は応相談 一日のアルバイト時間は8時間を予定しております。』
(ううむ・・・ 日給10万のアルバイトか・・・ 労働時間は8時間。悪くない条件だよな・・・)
俺はアルバイト募集のチラシを見てそんなことを思った。
宿泊施設付きの喫茶店なので労働時間は応相談になるが非常に悪くない労働条件だと思う。
魔の森にあるこの喫茶店に辿り着けるかが最大の難関かも知れないが、まぁ来ない人はこのアルバイト募集のチラシを目にすることもないしいいだろう。
そうして、いずれアルバイトを雇うほどに店が繁盛することを祈りながら俺は明日の為の仕込みとお店の掃除をするのだった。
「は・・・!」
(コーヒーや軽食をサービスする代わりに宣伝してきてってお願いすればよかったのでは?!)
俺は掃除途中に思わず閃いてしまった。
だが、時すでに遅し・・・
お客様第一号はとっくの昔に帰ってしまっていたのだった。
もしかしたら俺は千載一遇のチャンスを逃したかも知れなかった。