カルデラの炎 04
剣の刃にこびり付いた赤黒い血液と肉片を振り払い、俺は深く息を吐く。肉片と化した火竜の上に立ったまま、俺は何となく空を見上げた。
「子供とはいえ、やはり竜は骨が折れる相手だね」
ジューザスも片手剣に付着した血を腰布で拭い、俺に語りかけるようにそう呟く。
「死にそうな怪我でもしたのか?」
俺が視線を向けそう問うと、ジューザスは「死にはしないと思うけど」と疲れたような笑みを返し答えた。
「でも結構ボロボロだよ。……怪我すると面倒だから、気をつけてはいるんだけど」
「だらしないな」
「ははっ……でも君は本当にすごいな。無傷かい?」
怪我をしてしまうとレンツェに心配をかけてしまうが、ゲシュの特性なのか小さな怪我なら一日もあれば治る。だが大きな怪我となるとそうはいかないので、彼女にはこの仕事のことを内緒にしておきたかった俺は怪我にだけは気をつけていた。
「”コレ”とはもう戦うのも五回目だ。攻撃のパターンは大体把握したからな。当然だろう」
「君より二回も多く戦ってる私に、そんな堂々とそういうことを言っちゃうんだ?」
傷や痣だらけのジューザスが、苦笑しながら俺を見る。俺はもう一度奴に「だらしない」と呟いた。
「……いや、私は元々こういう荒っぽいことは苦手なんだよ。言い訳に聞こえるかもしれないけどね、向いていないんだ」
「確かに……」
「え……やっぱり君もそう思う?」
俺が真顔で頷くと、ジューザスは肩を落としてため息を吐いた。
「さて……長くこんな危険で熱い場所にいても仕方ないよね」
ジューザスは額に滲んでいた汗を拭いながら、そう言う。
溶岩を地中に孕む火山は何もしていなくても汗ばむ程に暑く、確かにジューザスの言うとおり用もなく長居するような場所ではない。俺とジューザスはギルドへ戻る事にした。
俺とジューザスの足が、ほぼ同時に止まる。気配を感じた俺たちは一瞬顔を見合わせた後、後ろを振り返る。視線の先には、今俺たちが倒した火竜の亡骸。
「……何かまだいるな」
「逃げた方がいいんじゃないか?」
小さくそう囁きあう俺たち。
逃げ腰のジューザスに対し、俺は好奇心が湧き、”なにか”の正体を確認しようとする。
「マギ?」
立ち止まったままの俺に、ジューザスが不安そうな声で呼びかける。
ジューザスは今すぐこの場を離れた方がいいと判断したが、しかし俺の中に流れる野蛮な魔の血が見えぬ”何か”の気配に期待し、俺はこの場にまだ留まる事を選択した。
「マギ、何かすごく……まずい予感がするよ」
ジューザスの警告を無視し、俺は武器を構え直す。直後、ジューザスの溜息が聞こえた。
「……仕事は終わったのだから、お前が俺に付き合う理由はないぞ?」
「だとしても、君一人を残して帰るわけには行かないだろう」
諦めの言葉を呟くジューザスも、再び鞘から剣を抜き構える。
「それに私も一人で帰るのは心細いし」
「俺に付き合うよりも、一人で帰るほうがマシだと思うがな」
呟く俺にジューザスが力無く笑うと、やがて”そいつ”は俺たちに姿を見せた。それは俺たちが予感していた通りの存在だった。
「古代竜……」
呆然としたジューザスの呟きが聞こえる。
俺たちの正面に切り立つ崖の上から、その巨体からは信じられないような静かさで姿を現したのは、古代竜と呼ばれる旧時代から生きる巨大な魔物だった。
「ちょ……っと、洒落にならなすぎないか、これ、は……」
ギガドラゴンと現代では分類される巨体の竜は、鋼に似た鈍色の鱗に身を包み、同じく金属を思わせるような無機質な銀色の瞳を俺たちに向けていた。
審判の日という大災厄を生き延びた竜は、俺たちを観察するように見下ろし眺める。
「以前ここに出た古代竜はギルドの他の連中が倒したと聞いたが、まだ生き残りがいたのか」
強敵を前にして、俺は緊張とそれ以上の興奮を感じていた。やはり俺の本質は、他者を食らい成長する野蛮な血のそれに近いのだろう。
「マギ……逃げる気ないよね?」
最後の確認をするジューザスを無視すると、ジューザスも今度こそ本当に諦めたようだった。
『オオオオオォォォォオオォオオオォオオオオっ!』
威厳と迫力に満ちた古代竜の雄叫びが、空気を振動させながら辺りに響く。そして古代竜は禍々しい両翼を広げ、俺たちの元へと向かってきた。
「行くぞジューザス!」
「あぁもう、わかったよ!」
古代竜が俺たちの前へと降り立ち、威嚇するように再度吼える。気にせず、俺は正面から竜へ向けて駆けた。
大剣を横脇に抱えた状態で走り、竜の間合いへと入った瞬間に俺は大地を蹴り高く飛ぶ。
無機質な色の眼差しが俺を見るが、かまわず俺は飛んだ勢いのまま振り上げた大剣の刃を古代竜の右前足目掛け振り下ろす。
硬い手ごたえ。硬質な鱗に跳ね返される感覚に、俺は忌々しげに舌打ちを鳴らす。
「マギ!」
ジューザスが叫び、俺も気配を感じていたので素早く攻撃を中断し下がる。俺を狙い振り下ろされた竜の鋭い爪の凶器は、ただ空を切った。
一度下がった俺と入れ替わるように、ジューザスが竜の腹の下へと滑り込むように入り、その勢いを利用し刃を突き立てる。しかし、やはり金属板に剣を突き刺すような硬い手ごたえだけで、ただ衝撃音だけが激しく音を鳴らした。
竜が雄叫びを鳴らし、体を一度回転させる。体全てが凶器の巨大な竜は、体に触れた周囲のもの全てを破壊し、岩壁がいくつも土煙とともに砕け周囲に残骸が散った。
上手く竜の腹の下辺り、大振りな攻撃の影響を受けない死角に潜り込み回避した俺たちは、そこから脱出し一度古代竜と距離を取る。
「なんて無茶苦茶な破壊の仕方だ……大きいというのはそれだけで脅威だね、本当に」
「だが図体がでかい分小回りは利かんから、そこが俺たちには優位でもあるぞ」
古代竜の大きさは確かに脅威だ。単純にそれは力の差となるのだから。しかし先ほどの攻撃でわかるように、奴の巨体は巨体であるがゆえに大雑把な攻撃となる。圧倒的な破壊力は、精密さを犠牲にしたものなのだ。つまり冷静な判断が出来れば、回避の余裕は十分にあるということ。
「優位って言っても……」
「泣き言は聞かん。付き合うと決めたのはお前の方なのだから、自己責任で最後まで付き合ってもらうからな」
ジューザスの返事は聞かず、俺は再び古代竜へ向けて駆け出す。古代竜も俺へまたあの無機質な銀の眼差しを向けた。
確かにこいつらと俺たちゲシュは似ているかもしれない。いや、正確には俺とこいつら、か。
歪な血の形で生まれ、その結果に忌みられる運命を互いに背負った。そんな者同士がこうして殺しあう事はひどく滑稽なことだろう。
それでも戦わざるを得ないのはそれが世界のルールだからで、しかしそれ以上に互いの中に共通する”血”がそれを宿命としているような気もする。
魔族は自分を鍛える以上に、他者の力を奪う事で自分を成長させることが出来る。だから彼らは戦いを好み、自身の進化の為に他者を襲い喰らう。それが魔の血を持つものの本質で、血の呪いとも言える宿命なのだと。そしてその血が俺たちゲシュにも、魔物の中にも宿っている。
だが俺たちはいくら本質的に似ていようと、分かり合う事は不可能だ。同じだからこそ理解などせず、命を狩りあう。
ただ世界のあり方のまま、血の本能のまま、俺たちは異端として生まれた自分の全てを受け入れ生きているだけだ。
ジューザスは俺を『孤独』と言ったが、そう思った彼は俺たちとは違うのだろう。
ジューザス自身は自分と魔物はにているのだと思い、だから魔物を無条件に殺すことに迷う事があるらしいが、迷う時点で奴は少なくとも俺たちとは違う場所に立っているのだ。
俺は迷いなど感じない。そしてこの古代竜の眼差しにも、そんなものは無い。
俺たちは自身の本能にのみ正直に生き、それ以外には無関心な獣でしかない。そんな獣が生きられる世界は、戦いの中にしか無いだろう。
『オオオオオォォォォオオォオオオォっ!』
ジューザスが囮となり、古代竜を誘う。身体能力は人ならざる者らしく標準以上に良いジューザスは、派手な動きで古代竜の意識を自身に向けさせた。そして俺に攻撃のチャンスを作る。
「っ……マギ、目を閉じて!」
高く飛んだ勢いと隙を突き、ジューザスは古代竜へ向けて戦闘補助用の閃光弾を投げつける。閃光弾は威力は無いが、しかし強烈な光を発して、一時的にではあるが対象の視覚を奪う。
ジューザスの叫びで、俺は腕で目を覆い隠し視界を守る。直後に閃光弾が放たれた音を聞き、俺はそれを合図に再び目を開け動いた。
『オオォ……』
弱々しい古代竜の声。狙い通り閃光弾で目をやられた古代竜は動きが鈍る。
『コオオァアアァアアア!』
一瞬大人しくなった古代竜だったが、しかし直ぐに古代竜は奪われた視界に混乱したのか無茶苦茶に暴れだす。周囲を闇雲に破壊する古代竜には圧倒されそうになるが、しかし狙いの無い攻撃ならば冷静に判断すれば回避は容易だ。自分の真上を古代竜の尾が空を切って通り過ぎるのを確認すると、俺は怒りを吼える古代竜の顔の 真正面へと向けて飛んだ。
「残念だが、死ぬのはお前だ」
呟きは、竜の雄叫びに掻き消される。すぐにそれは断末魔へと変わった。