2話 地球人、胎動
ロシア ニューソ連・第35統合混成軍制支援街から数十km先の巨大図書館
そこには、一人の少年がいた。
名を名、字を勝輝という…
少年は図書館の広い空間で椅子に座り込み、いつまでも分厚い辞書を読んでいた。
巨大図書館は、そのあまりにも有り余るほどの広さで、コンプレクシティを近づけなかった。
その為、少年はここに唯一の地球人の生き残りとして今まで生きてこれたのである。
茶色のショート、黒い男子校風の制服姿は、周りから惹かれるような印象を生み出していた。
そんなおり、突然少年は辞書を閉じた。
「風が…呼んでいる!?」
何かに引き寄せられるように、10年間動かなかった椅子から腰を上げる。
そして虚空を見つめ、窓際まで近づくと
ガシャーンッ!と勝輝の背後の窓が割れた。
赤黒いような気を纒った女性…メイド服姿の黒髪の少女が、勝輝を見る。
「あなたですね?名:勝輝さん」
勝輝は戸惑った。
ここ10年以上、人との会話を交わしたことはない勝輝には、何と答えたらいいのか分からず、返事が出来なかった。
そのあまりにも丸分かりの戸惑いっぷりにメイドの女性は冷めてしまっていた。
「なんですの、あなた?冷めてしまいましたわ…これじゃあ変異できないじゃない」
仕方ないと落胆するとは裏腹に隙間の無い袖から鋭く尖った細長い針を幾つも出す。
指の間にそれぞれ一本づつ…8本を携え、勝輝に忠告
「あなたのような未覚醒の状態では、変異などせずとも、十分ですわね」
勝輝を軽く睨み、黒髪メイドの女性は駆け出す。
「さあ、覚悟!」
二歩踏み出したところで、声を上げ接近してくる。
「うっ、うわあぁぁぁぁぁーーーっ!」
勝輝の中で何かが蠢くが、反応は鈍く、そのまま尻餅を付く
だが、とっさにターゲットとしていた対象がずれたメイドはそれだけで攻撃を外し足を縺れさせて倒れた。
ガスンッ!と勝輝の靴から約2mm程の距離で、その針は刺さっていた。
メイドが倒れている間に勝輝はさっと立ち上がり、図書館の出口へと向かって走っていく、が…
「やっぱり変異しないと、この子はダメな子ね…」
突然聞こえてきた悪寒のする声に勝輝は、駆ける足を止めた。
そして倒れているメイドから声が聞こえてくるものとわかるが、様子がおかしい事にも気づく
「もう、あなたは死んだも同然…地球人はようやく地球からいなくなる…」
その言葉を聞いた途端、メイドから途轍もない気を感じ取った。
まだ能力者ではない勝輝はその衝撃で、図書館の端へと吹き飛ばされる。
そしてメイドは立ち上がる。
先程の…ドジな姿とは打って変わって
いつのまに破けたのか、メイド服は数箇所がボロ切れと化し、ところどころからみえる肌には黄色い筋が幾つも入っていた。
そして髪は金色に変色し、威厳なる風格が漂い現れているのがすぐにわかった。
そう、その悠々たる姿こそ、このメイド…望月:彩美の真なる姿であった。
億人に一人の確率で生まれる能力者…それが変異能力者
希の稀と言われるこの能力に関する資料は、10年間数々の知識を蓄えた勝輝ですらも大きな情報は持っていなかった…。
そもそも、この巨大図書館にすら、その記録自体が極めて少ないのだ。
わかっているのはただ一つ
“ラー家の人間を相手にすると考えてよい”ということ
そして“人を殺める事に快感を持つ”ということ
勝輝は頭の中でそのワードを浮かべては消え、浮かべては消えを繰り返していた。
脳の命令信号は逃げろと送り続けているのに、身体が言うことを聞いてくれなかった。
「逃げられる訳ないわ」
その時、彩美が、声を出す。
「能力者っていうのはねぇ…相手の差が大きいすぎると、心が読めれるようになるのよ」
まるで先程とドジっ子さは、微塵も感じられなかった。
「更には行動の制御、気圧だけで仕留めることもできるそうよ…この意味、わかるかしら?」
彩美の言葉に勝輝は気づく
今の勝輝は、彩美の手の上で遊ばれているのだと
不敵に笑う少女に、勝輝の表情が凍る
「さあ、ブラッドパーティーにしましょうか?」
彩美の殺伐とした気が解き放たれる。
もう勝輝に、選択の余地はなかった。
逃れることのできない掌の呪縛で、それでも逃げようと、あちらこちらへと体を動かす
しかし、彩美から見れば、それはただ体を拘束されているのに諦めず、もがき続ける野兎でしかなかった。
ゆっくりと歩み寄り右腕をそっと突き刺す形へと変え、勝輝に向かってその先端を頭よりも上へとあげる。
「さようなら…地球最後の地球人、サマ♪」
笑顔で気をこめた右腕を振り下ろす瞬間!
図書館のドアが開かれた。
「勝輝!」
そして絶望に目を閉じていた勝輝は声のする方へと顔を向ける。
その途端、拘束されていた体がふわっと、後ろに倒れる。
間一髪のところで彩美の一撃は避けられた。
同時に彩美は勝輝とは正反対の方向の本棚に吹き飛んだ。
勝輝を助けたのは緑髪の長い髪、真っ白な瞳、そして宇宙服を来ていた女性のような少年
「冬嫁」
勝輝はその少年の名を呼んだ。
「どうして地球に…?」
勝輝の問いに答えは帰ってこず、代わりに冬嫁に腕をとられ、図書館を抜けたのだった。
ロシア ニューソ連・第35統合混成軍制支援街
かなりの距離を走ってきただろう
冬嫁も勝輝も、お互いに疲れきって、息を切らせていた。
「ここまで・・くれば・・・おってこないだろう・・・」
深呼吸をし、呼吸を整える冬嫁に、勝輝は不安を引きつらせていた。
「どうかな?・・・あの人、とても普通の能力者じゃなかった。何かこう…伝説上の人みたいな」
「そう…億人に一人の能力者と言われる。変異能力者」
背後から聞こえた声に二人はさっと振り返る!
彩美がそこに立っていた。
衣服が更にボロボロになったが、隠すところは隠れている。
「あなた達、足が遅いのよ…図書館にいたのなら変異能力者の資料の一巻を知っているハズよ。ラー家を相手にするものと同等に考えればよい、と」
勝輝は逃げようとしたが、冬嫁は逃げずに彩美の前に立つ
「冬嫁!?」
勝輝は驚きのあまり、出したことのない声を出す。
「勝輝、君は逃げるんだ。君は唯一の地球人…ここで死んでしまっては、僕が地球に戻ってきた意味がなくなってしまう」
その冬嫁の言葉に勝輝はまたしても戸惑いを隠せなかった。
「唯一…?冬嫁…お前、まさか…」
勝輝の中で、マイフレンドという存在が消えた…
「勝輝、君にもいずれ僕と同じようになるはずだ…だけど忘れてはいけない」
冬嫁は勝輝に共感しつつ、左腕を掌い変え、右腕を何かを弾く形に変えた。
「僕達に嘗ては人間だった、と言える人間も、もういなくなる…僕達が人間と言えば人間で通用できるんだよ」
冬嫁の体が金色に輝く
次第に左の掌には丸い小さな光の玉が現れだした。
「だからこそ今はこの、地球の救世主となるべく逃げるんだ」
その言葉をきいた勝輝は無言のまま駆け足で、この場を離れていった。
そして冬嫁は彩美に向かって叫ぶ!
「意識弾!」
光の玉は冬嫁の指ではじかれ、彩美に向かって一直線に飛んでゆく
「その程度の玉がどうしましたの?」
ふわっと、よけてみせた彩美
玉は見事に軌道を外し、何もない地平線に、更に飛んでいった。
「さあ、地球人の始末は後回しでも構わないわ…あなたから血祭りにしてあげる」
彩美が一歩踏み出し始めようとした時
ぼしゅうぅんっ!
一歩の筈が、数メートル前方に吹き飛んでいた。
「いっ…!」
声を出す前に地面に倒れこむ彩美
その姿を冬嫁はフッと笑う
「変異能力者といっても大したことはないんだね…」
同時に物足りない相手にがっかりしていた。
「意識弾は別名、ホーミングブレッドと呼ばれる下級能力…あくまで通常ならの話だけどね。それでも、能力者の中でも高等部類の君がそれを知らないわけではないよね?」
冬嫁の罵声に彩美は
しかし、倒れていた地面には彩美の姿はなかった。
冬嫁は胸騒ぎを感じて振り返ると
彩美…黒服、黒髪のメイドの彩美が髪を、手櫛で整えていた。
「私は望月:彩美。今日のところは退いてあげるわ…」
いつのまに先程の威厳は消えたのか?幼い少女のような小声で彩美は言葉を出した。
「一体どうしたんだ?」
あまりにも唐突な為、冬嫁は恐る恐る聞いてみた。
「冷めちゃったわ…あんな下級ゴミ能力に当たるなんてプライドが傷ついたわ」
「つまり、戦う気力を失ったということかい?」
冬嫁は彩美の姿に若干ながら惹かれる。
「私は、私のプライドで戦っている。例え何者であれ、私の邪魔をする奴は許せない!冬嫁といったわね?次に会ったときは手加減しない!覚悟しなさい!」
言いたいことだけを言いまくって、彩美は転移能力を発動させて光の速さで宇宙へと昇っていった。
「望月、彩美か…」
長い間のあと、冬嫁は勝輝を追うべく、ロシア市街をかけまわったのだった。