アプマーシュ 5
「ヴァ―――ティ―――ム―――ス―――ファ―――」
エリザはまだヴァティムスファの捜索を続けている。
「今の話を聞くとなんだかエリザさんがものすごく哀れに見えてきたんですけど・・・。止めた方がいいのかな」
「行ってくるといい。そして言い放て、『ヴァティムスファっていうのは空想のもので、現実にはいないんですよ。つまり、あなたがやっていることには何の意味もありません。片腹痛いので今すぐ辞めてください』とな」
「なんでそんなケンカ腰なのさ。クフォンが言ってきてよ」
「私は嫌だ。美人に嫌われたくない。胸も、あるしな」
クオンは胸の前に両手を持って行き、巨乳のジェスチャーをした。
「なんなのこの大人!列車の車輪の点検中に列車が走り出せよ、もう!」
「なんだ、お前は胸がある美人は嫌いか?」
「うるせえ!」
「そうか、僻みか」
「世界中のありとあらゆる人間に呪われろ、このくそ野郎ぉ」
一瞬にして距離を詰め、クオンの首筋に手刀を繰り出したが、止められた。
「やれやれ、そんな暴力的でどうやって嫁の貰い手を探すのだ」
「うるさい。僕は結婚なんてしない」
攻撃を諦め座席に座る。
「どうしてもというなら私が貰ってやろう」
「たとえ全世界のクフォン以外の男が全て滅んだとしても僕はクフォンとは結婚しない」
「大丈夫だ。そのうち『結婚してください』と泣いて懇願することになる」
「誰がするかっ!」
「私だ」
「お前かよっ!」
「ああ、天国のママ、もう少しだよ。彼女が成人するまで待ってるんだ」
「息子のまさかの少女嗜好に天国のママもドン引きだよ!」
「やれやれ話を戻すぞ。まったくセバスよ、お前はすぐに話をそらすのだから」
「お前の口ちぎって法廷で争うぞ!」
間違いなく話をそらすのはクオンの所業である。
「・・・・・・って僕はロリじゃない!」
2テンポ遅いノリ突っ込みだった。
「ふむ。ロリではないのか。・・・・・・どれ」
「なにが『どれ』だっ!?・・・ってさっきもやったよこのやりとり。もおシートベルトが絡まったままチキンレースやれよバーカ!」
「ヴァ―――ティ―――ム―――ス―――ファ―――」
再びエリザの声が通り過ぎた・・・と思ったら個室のドアが開き、中に入って来た。セバスはびくっと身構える。
「だめ。全然だめ。私のヴァティムスファは私が嫌いになってしまったのかしら」
突然エリザはセバスに手を伸ばした。
「えっと、ども」
てっきり握手を求められたのかとその手を握ると、ぐいっと引っ張り上げられ、立たせられた。そのまま肩を押されて窓際に追いやられ、代わりにエリザが座席に座った。
「座らせてって言えばいいじゃん!」
要するにどけということらしいが、それにしたってやり方ってものがあるはずである。
「ねえ、ほかにアドバイスはないかしら。私のヴァティムスファがいないと明日とっても困るのだけど」
「無視?なんでそんな頑ななまでに僕を嫌うの!?」
もう泣きそうだった。というか目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ふむ。しかし距離を置くからこそわかるものというのも多々あると私は思うのだよ。ところで失礼ながらひとつ質問させていただこう。エリザちゃんはかの有名なバイオリニストのエリザベート=エヴァンズであらされるのかな?」
「敬語の使い方がいまいち定まってないし、二人称は気安すぎるし言語の勉強が必要だと思われるよ」
エリザの手前声が小さくなった。いや、声が小さくなったのは泣きそうだからだ。
クオンは右手の中指で眼鏡を上げ、左手を水平に掲げてよくわからないポーズを決めた。
「なにそれ・・・。恥ずかしっ」
「ちょっといい加減になさいよ!」
エリザがキレた。セバスに対して。
「えっ・・・ええっ!僕ですか?・・・ごっ、ごめんなさい」
「いーえ、許さないわ。なんて失礼な子なの!信じられない、信じられないわ!そうは思わない!?」
「ああ思う。まるで礼儀というものがなっていない」
ここにセバスの味方はいなかった。
「ここが列車じゃなかったら窓の外に吊り下げてやるところだわ!」
「そ、そんな・・・・・・」
「おおっ、それはまさか。デカトラスの尋問方法では!?」
「ええ!そういうあなたもさっきのポーズはヘプタロッサの勝利のポーズね」
セバスは宇宙人の会議の中に迷い込んだ気分になった。言っていることが何一つわからない。
「なにを惚けた顔をしているの!?ばか?ばかなの!?」
「えっ、いえ・・・・・・ぐすん。ひっ、ひっく・・・」
ついにセバスがガチ泣きを始めた。
「あら?その嗚咽はまさかドデカティオンのあのセリフの前触れね」
「うっ、ひっく・・・ひっく」
期待されてもセバスに応えられるわけがない。
「ああ、もうなんなの!さっきから私をいらいらさせることばっかり!・・・出ていって!むしろ消えて!二度と私の視界に入らないで!!」
「うわああああああん!!」
セバスはドアを開け、勢いよく個室を出ていった。その背中に「おお、そのセリフはオクトラの母親が死んだときにヴァティムスファに言い放ったあのツンデレなセリフか」というクオンの言葉が確かに聞こえた。
明確な目的があるのか、それとも深層心理によるものか、セバスは先ほどエリザと出会った列車の先頭の方ではなく、後ろの方へと駆け出した。
ドンっ
誰かとぶつかったようだ。一瞬だけ顔を上げると、クオンが今朝話しかけられたという初老の男だった。両手で大事そうにバイオリンのケースを抱えていた。セバスはその男に構うことなく、泣いている顔を見られないように顔を伏せ、小さく謝ると再び駆け出した。