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アプマーシュ 4

「ヴァ―――ティ―――ム―――ス―――ファ―――」

個室の向こう側から女性の声が響く。その呼び声の音程は単調だ。ようするにソのフラットの音でヴァティムスファを呼び続けているのだった。防音の聞いていない個室には透き通ったエリザの声がよく響いた。

「やめてくれ、もうやめてくれ!」

個室の中でセバスは頭を抱えていた。エリザが通路を通るのは7回目。今ではエリザがいなくても、ソのフラットだけはいい当てられる自信があるほどになってしまった。

「夢に出ちゃう!」

「そうわめくな、セバス。いや、セ―――バ―――ス―――」

「やめろっ!!」

「おっ、今の『ろ』もソのフラットだったな」

「うわああああ!!」

どうやら感染してきたらしい。

「そういえば、どうしてヴァティムスファは知らないのにケンベルベスは分かったの?」

「ヴァティムスファっ!?」

突然個室のドアが勢いよく開いた。エリザが顔を覗かせている。

「今誰かヴァティムスファって言った?」

「「言ってません」」

2人の声が揃った。

「そう・・・・・・」

落ち込んだ顔とともにドアが閉められる。

「あの人怖い・・・・・・」

セバスの感情は当然と言える。それを受けて、クオンは髪をかきあげて、足を組み直した。

「やれやれ。まだまだ若いな、セバス。私は別に何も気にしたりはしない。美人だからな」

「お前は最低な人間だな!」

「お前の将来性にも期待している」

「殺すぞ」

「美しいニューハーフになりたまえ」

「列車の最後尾にくくりつけられたロープに足引っかけて引きずられろ。何度も言わせるな、僕は女だ」

「ふむ、そういえばそうだったか・・・・・・どれ」

「なにが『どれ』だっ!?」

伸ばされた手を全力で振り払う。どうやらこの列車の中にセバスの心休まる場所はないらしい。

「・・・いいから質問に答えてよ。どうしてケンベルベスはわかったのさ?」

強く咳ばらいをし、気を取り直し、ヴァティムスファと口走らないように気をつけながらセバスは言った。

「今誰かケンベルベスって言った?」

「「言ってません」」

どうやらどちらでも反応するらしい。

「・・・で、なんで?」

「言語というのは実にすばらしいな。そうは思わないか、セバス。日常生活に不可欠でありながら実に多種多様。これぞ人類が生み出した最高のツールと言っていい」

「答えやがれこのくそ紳士!!」

立ち上がり、クオンの胸倉を掴むセバス。動作は一瞬だった。

「やれやれ、カリカリしているな。そうか、そういう周期か」

「眼球全開にしたままで窓から顔出せこのセクハラ野郎ぉ!!」

「・・・そうだそうだ、思い出した。今朝食堂で耳にしたんだったか。どうだ、話してほしいか、ん?」

「まあ、それは・・・」

「そうだろうそうだろう。ちなみに私はいい加減放してほしい」

「ふん」

セバスは胸倉から手を離し、座席に座った。

「今朝の話だ。私はトーストにたっぷりのイチゴジャムを塗ろうか、ガーリックバターを塗ろうか悩んでいた。知っての通り私はガーリックの方が好きだ。しかし」

「はしょれ!!」

睨みつけるセバスに対して、クオンはあくまでも鷹揚に手を広げた。

「向かいに座ったのは初老の男性だった。ほら、前にいただろう、どこかのお屋敷の執事っぽいあの白髪頭の男性だ」

「ああ、いた・・・」

セバスは記憶をたどりつつ、相槌を打つ。職務上、記憶力は人一倍あるつもりだ。

「その男性が突然訪ねてきたのだよ。『ヴァティムスファとは何か知っておりますかな』とね」

「へー、・・・って割とがっつりした記憶じゃん。なんでさっきのさっきまで忘れてたんだよ」

「まあ、待て待て。話にはまだ続きがある」

「いや、どんな続きがあったとしても忘れる理由にはならないよ。でも何があったの?」

「そこで私はこう答えたのだ。『ヴァティムスファ・・・ケルン=ルイユ作の小説〈ヴァティと13騎士〉の主人公でしょう』とね」

「知っっっってんじゃねえかぁ!!!!!」

本日最高記録の声量による突っ込みだった。心なしか窓ガラスが振動した気さえする。

「けほっ、けほっ、けほっ」

限界を越えて、せき込むセバス。大してクオンは実に涼しげな顔をしていた。どうやら彼の鼓膜は相当の強度を誇っているらしい。

「どういうこと!?なになに?ピエロ?僕はピエロなのっ!?」

セバスは頭を抱える。様々な感情が錯綜して、涙まで出てきた。

「なんだ。セバスは私と同じように知っていたのに知らないふりをしていたわけではないのか」

「殺してー、こいつマジで殺してー!」

どうやら自分はクオンの掌の上で踊っていたらしい事を知る。これ以上の屈辱はない。

「おちつけ、おつちけ僕」

「言えてないぞ」

「うっさい。・・・こんなのいつものことじゃないか。こんなのでへこたれちゃだめだ。僕はできる子だ。そうだ。頑張ろう」

自己暗示をかけ始めたセバス。そうでもしないとやっていられないのだろう。

「じゃあクフォン。エリザさんはさ、ヴァ・・・小説の登場人物が実在していると考えて、それを探しているってこと?それって・・・」

なかなかお近づきになりたくない人種だということになる。いや、徹頭徹尾近づきたくないけども。

「面白い人ということになるな」

「それだけっ!?」

セバスはクオンほど他者に対して寛容になれない。これは人生経験の差だろうか。

「セバスよ、世界は広いのだぞ。私は地面を掘ったら出てくる粘土の色が好きすぎて挙式しようとした人物に会ったことがある」

「うわあ・・・・・・」

「祝福した。・・・周囲には反対されて結局実現されなかったが」

「それでも引かないのっ!?」

どんだけ他人に対して寛容なのだろうか。たとえセバスが天使であってもそれは引く。


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