父の遺産
レイジはその日は暇だった。
放課後、特に予定はなく、街をぶらぶらしていた。
アイコニック社ビル前広場で行われるはずだった、オフィリアの屋外ライブが急遽中止になった。
バージョンアップに伴い、プログラムの不備およびメインサーバーの不調が発覚し、現在原因究明のためメンテナンスにはいり、活動を休止するというのが、所属会社の公式発表であった。
復帰の目処は立っていないらしい。
ライブに参加するはずだった裕樹は残念がっていた。
ウィザードの修行はエレメントのバージョンアップ期間に伴い、休みである。
使用できないわけではないが、エレメントを主体とする以上、影響がまったくない訳ではない。
学生服に入れてある携帯電話が突然鳴った。
「……なんだ?」
携帯を確認すると、プロフの受信だった。
『AKINA』という名前の女の子だった。
画像に年齢などの人物紹介が画面いっぱいに映る。
プロフの情報を確認すると、通信モードになる。
――薬師レイジ君……?
女の子の声だった。耳障りのいい、いってみれば美声だった。
「……誰?」
――今、話できる?
「……別にいいけど」
レイジはプロフを見る。
プロフには画像データが載っていた。
データ通りならば、中々の美人だ。
――プロフ突然送っちゃってご免なさい。会って話がしたいの。ナノテクに詳しいって聞いたから……。
「誰から?」
――リサちゃんて娘?
「ああ、あいつね。友達……?」
リサは都内の女子高に通う女子高生で、放課後はリサーチャーのバイトをしている。
リサーチャーとは、繁華街の流行を調査したり、新商品の拡販などを行う仕事で、リサはマーケティングリサーリ会社に登録している。
流行発信地の渋谷において、彼女のようなバイトをしているのは珍しくない。
女子高生がもたらす情報は、企業側にとって垂涎の情報だった。
――うん。渋谷公園近くのクラブ『アーバン・トライブ』って知ってる?
「……知ってるけど」
――明日7時そこに来れる? 明日は未成年でも入れる日だから。
「……ちょ、ちょっと」
――入り口で待ってるから、絶対に来て。
そういい残すと、電話は一方的に切れた。
レイジは困惑していた。
電話の後、どこか気分を削がれたレイジは自宅に戻っていた。
母親は海外に出張に出かけていた。
長期出張のため、しばらくは家事一切は自分で行わなくてはならない。
荷物と着替えを行なう為、部屋に入ると、グレイン教授が居た。
「――無礼を許して欲しい。早急に君に伝えることがあってね」
「……いいえ」
仮象体メッセンジャーだった。
グレイン教授の分身そのもので、ある程度の独立行動は可能だった。
バージョンアップ中にも関わらず、仮象体に乱れは無いのは流石だった。
グレイン教授の技術の高さを証明している。
「で、なんでしょうか?」
「先日の幕張での大規模なエレメント励起現象の件だ」
「……あ、はい。やっぱりウィザード同士の戦闘ですか?」
「アイコニック社の動きが騒がしい。ナノテックス社傘下の民間軍事会社からアイコニック社がPMCウィザードを招聘したようだ」
「マジですか……?」
「連中は、ウェブ上の仮想空間にも網を張り、情報を集めている。現在連中がネットに放ったエージェントを一体捕獲し、解析中だ。もし、情報が耳に入ったら知らせてほしい。十分注意してくれ」
そういい残すと、グレイン教授は消失した。
グレイン教授と入れ替わりに、朧が出現した。
「……なんか、事態が緊迫しているわね」
朧の言葉に「ああ」とレイジは言う。
朧もバージョンアップの影響はほとんど無いようだ。
夕食を自分で作り、食べ終えると、レイジは部屋に戻っていた。
「この前のオフィリアのハイパーアルバムのデータとプロテクト、解除できたよ」
朧が報告してきた。
データが最近ネットに流出し、ようやく入手できたデータだった。データは偽造防止用のプロテクトが施されていた為、その解除に手間がかかっていた。
「ああ……ありがと」
「さっそく再生してみる?」
「ああ」
朧は音響システムにデータをアップロードする。
ディーヴァノイドの対話機能を切り、再生する。エレメントとの調整を終えると部屋が一変し、外国の風景と共に、一人の女性が出現した。
オフィリアだった。
エージェントにありがちな最大公約数で生み出された人工的美ではなく、あくまで人間の持つ天然の美を持つ存在だった。
オフィリア――アーティスト名兼商標名で、二年前ほどデビューし、瞬く間にトップ・ディーバノイドに躍り出る。
アイコニック社所属のアーティストにして、社の所有ソフトウェアおよび音楽コンテンツそのものである。
アジア系の美しさを有し、公式プロフィールによれば、製造が韓国製ソフトメーカーとの共同開発の為、韓国籍を取得している。
フィギュアのように、さまざまな限定バージョンをリリースする販売戦略を行っている。
レイジは情報ウインドウを開き、楽曲情報を見る。
仮想世界は、ロンドンのストーンヘンジをデータヴァース化したものだった。
音楽世界に身を委ね、オフィリアの歌声を聴きながら、レイジは目の前に立方体を出現させていた。
エレメントを通して作り上げた仮象体である。
ルービックキューブのような形をしたものだった。
父からの遺産の一つだった。
仮象物体は、立体型積層暗号が施され、このような形を成している。
仮象物体が浮遊し、レイジの目の前で、緩やかに回転している。
暇があれば、子供のころから暗号の解読に取り組んでいた。
いまだ成功には至っていない。
仮象体は触覚情報を追加することで、文字通り立体として触れることも出来る。
ウィザードには造作も無いことだった。
オフィリアの歌は良かった。文句のつけようがない。
だが、アイコニック社製作のコンテンツに反発心が存在した。
アイコニック社、いや親会社であるナノテックス社という言い方が正確だった。
父からの受け継いだマージである朧を胎内に共生実装し、ウィザードとしての能力を得た。
ある日、すべてを無くした。
レイジがまだ小学生に上がって間もない頃、会社の社長だった父は謎の死を遂げた。
ナノマシンによる他殺も考えられたが、検視の結果、自殺と断定された。
遺書は残されていなかった。
ナノテックス社の買収工作が原因であるのは明白だった。
風評を流され、株価は暴落し、あっさりと軍門に下った。
研究の成果や債権の回収に財産のほとんどは奪われ、残されたレイジとは母は突然裸同然となった。
父は死の直前に、レイジに開発中のマージを共生実装させるナノマシンのマテリアルを
手渡していた。
興味があるなら、大人になったら身につけてみろ、と言われていた。
突然訪れた受難と理不尽に対し、レイジは復讐のためにためらうと無く、ナノマシンをインプラントし、朧というマージを自らに共生実装させた。
父の遺産であるマージ朧を胎内にインプラントした時、瞑想寺院へのアドレスとアクセス・キーのデータとして保存されていた。
父の影響もあって、ウィザードの技能を身に着けることにのめりこんでいった。
きっかけは私怨だったが、勉強や部活よりも遥かに面白かった。
朧が出現し、立体暗号の周りを漂う。
キューブの暗証コードは、朧の演算能力をもってしても解くことはできない。
携帯端末が鳴った。レイジは手に取る。
――レイジ、おひさ。電話くれた……?
リサだった。
「ああ」
――なんか面白いネタ無い?
リサの口癖だった。リサーチャーというアルバイトの影響のようだ。
「……ないよ、別に。お前こそ肌のほうは良くなったのか?」
――うん。一時はカブれちゃってヤバかったけど、今は大丈夫。
「アキナって娘から電話あったぞ」
――ああ、あのかわいい娘でしょ……? クラブで出会って、ナノテクで困ってる話だから、レイジのこと教えてあげたの。
「……人の番号あんまり簡単に教えんなよ」
リサはナノテクが詳しいレイジのことを便利だと思っているフシがある。
機械が本質的に苦手な女の子にとって、レイジのようなギーグは何かと重宝するらしい。
――いいじゃん、別に。話、聞いてあげてよ。ホント可愛いから。
最後に「じゃあね」と言い残すと、リサは電話を切った。
「……ったく、どいつもこいつも、便利に使いやがって……!」
毒づくレイジに、朧はふふっ笑う。
「……で、どーすんの?」
朧が尋ねてきた。
「あんまり関わらない方がいいんじゃない……? プロフは可愛かったけど」
「……そこなんだよなあ。リサの知り合いだからあんまり適当にできねーし」
「スケベ心出すと後悔するよ。それに女の子の『可愛い』は信用できないって言うでしょ……?」
朧の忠告に、レイジは顔をしかめる。
裕福でもないが、貧しくも無い。
母のおかげで少なくとも生活には困らない程度の暮らしは出来ていた。
自らに訪れた受難と理不尽さに子供ながらに、たぎるような怒りに身を焦がしたときもあった。
しかし、もはや子供じみた復讐心はもう無い。
自分の家族と友人を出来うる限り守っていく――それだけだった。