PMCウィザード
アイコニック社ビルの支社長室で男は、ガラス窓から環境建築型タワーマンションが立ち並ぶ幕張の様子を見ていた。
男は銀髪に、黒いコートを羽織っている。コートの下は戦闘スーツだった。
NBC対応型の自己組織化装甲機能を持つ戦闘スーツである。相手の攻撃に対し、形態を変えることで、フレキシブルに対応する。
この部屋の主であるアイコニック社支社長田宮はデスクに座り、電話での対応に追われていた。
全てオフィリア関連のビジネスに対する電話だった。
三〇代と若いながら、極東支部社長にまで上り詰めた男だった。
男が身に着けているのは、極めて上等なスーツだった。
ナノテクで作り上げられた大量生産の安価な衣服ではない。
天然素材使用の職人が作り上げた、極めて高価なものだった。
ナノテクにより、あらゆるものが製造できる時代だからこそ、人の手により生み出されたものが価値を帯びる。
右手には職人が作り上げた舶来製の時計を巻いている。
「オフィリアの特化機能『インタラクティブ・ボイス』をこんな形に使用するとは……」
田宮は親指を噛みながら言った。
インタラクティブ・ボイス――バイオリスムに干渉し、ヒーリング効果をもたらすオフィリアの歌であり、能力である。
男は資料を手に取った。
「もう一つの機能が『エレメントハーモニー』……エレメントとの連結により無限に歌唱効果の有効範囲を広げる特化機能。無数の仮象体を出現させ、音楽を広範囲で視聴させる……か。聞きしに勝るディーバノイドだな」
ブラックシェル――銀髪の男は感心したように言った。
アイコニック社は、親会社のナノテックス社の宣伝部が独立し、広告およびPR業務を行っている業界有数の広告代理店である。
広告代理業務やマーケティング業務に加え、自社製品のみならず、PR戦略により世論誘導を行い、販売促進業務を行っている。
ナノテックス社のナノテク商品をイメージ戦略により販売の普及に努め、世に広めてきた経緯がある。
PR業務は商品販促だけに留まらない。国家間の戦争や紛争の情報戦やイメージ戦略業務も行なっている。ネガティブキャンペーンなどにより世論を巧みに操作し、紛争の行方さえも左右するほどの影響力を持つ。
国際世論を味方にしたものが勝つという現代の戦争において、アイコニック社が繰り広げるPRにより、事実に関わらず、クライアントにとって都合にいい構図を作り上げ、国際世論を誘導するなどアイコニック社にとっては造作もないことだった。
アイコニック社は自社でメジャーレコードレーベルを抱え、レコード出版業務およびタレントのマネージメント業務も行っている。
自社でモデルを抱え、親会社の製品を世間に売り込むためだ。
「新曲の発表に加え、ライブも控えているこの大事な時期に……」
ブラックシェルは民間軍事会社に登録しているPMCウィザードで、特殊工作を得意とする指揮官クラスのウィザードでもある。
ナノテックス社は海外で民間軍事会社を運営している。
表向きは自社の危機管理およびテロ対策だが、実態は戦争に加担し、ナノテク兵器を納入していた。
ナノテックス社傘下のPMCの日本現地法人はさすがに存在しないが、荒事に対し、招聘され、非合法活動を行う。
ウィザードは戦争においても重宝され、ナノテク兵器が蔓延する現代の戦争を語る上で外せない存在だった。
「宣伝費はもとより、彼女を作り上げるのに、肖像権や遺伝子データ、仮象領域の賃料、遺伝子デザインに至るまで莫大な投資が……」
田宮は苛立ったように言う。
「逃げられたら世話は無いな」
「……ナノテックス社上層部は大変ご立腹だ」
「何故逃げられた?」
「オフィリアを構成する論理人格は我が社に絶対服従である反面、音楽的能力を学習成長させるために、生存戦略の創発や自己保存、自由意志を有している。拡大解釈により、抜け穴を見つけ出し、シンカーをけし掛けたのだろう。シンカーの精神状態が最近極めて不安定だという報告も上がっていた」
「ようは互いに示し合わせて逃げたというわけか」
ブラックシェルは失笑する。
「で、どっちをだ? シンカーか、マージか……?」
「両方だ!!」
田宮は思わず大声を上げた。
「まあ……我々に任せておけ」
ブラックシェルは余裕げに言う。
「彼女のマージは休眠状態のようだ。追っ手を振り切るため、マージの活動を自閉モードにして追跡機能も一緒に眠らせたらしい。うちの調査部も手をこまねいている。どうやって見つけ出すつもりだ……?」
社長室に一人の女が入ってきた。ブラックシェル同様、赤い戦闘スーツを身につける。
女の背後にスーツ姿の男を一人いた。しかし、男は肌はおろか、髪の毛、スーツの色までカーキだった。
「俺の部下だ。仕事名は紅龍という」
ブラックシェルが説明すると、紅龍は軽く頭を下げた。
「後ろは……?」
田宮は尋ねる。
「嗅覚センサー搭載の追跡型クレイマトンです。犬以上の識別能力を持ち、地雷や兵士を探り出す為に実際の戦場で使用されています。わたしが作り上げました」
紅龍が答えた。
肌や頭髪まで再現された、人と見まがうほどの精巧な造型に、カーキ色の肌だけが、人工物であるということを認識させる。
戦場ですら死が忌避される時代に、クレイマトン兵は格好の道具だった。
「造形師の異名を持つ女でな。ナノ素材さえあればなんでも作れる。後方支援に長け、マルチワイドセンサーを搭載したマージを実装共生したウィザードでもある」
「複製師……という訳か」
田宮は揶揄するように言った。
レプリスト――ウィザードの別称である。
「現在アイコニック社との提携先などに設置されている防犯カメラの映像分析を中心に大まかな逃走経路の絞込みを行っています。シンカーの体臭データや使用していた化粧品、香水などは入手済みです。このクレイマトンがシンカーの匂いやフェロモンを辿り、見つけ出すのも時間の問題かと――」
紅龍は自信げに答えた。