仮想世界 『瞑想寺院』
荘厳な石造りの洋風建築の大広間だった。
床には薔薇を模した模様が描かれている。
レイジの手には光の剣を握っていた。
西洋の長剣のような形状の光の剣を構えながら、レイジと対峙するのはワイヤーフレームで描かれた巨人である。
人工生命体である。
広間の隅には朧と、初老のスーツ姿の男性が立っていた。
細身の白髪の紳士で、レイジとオートマトンを静かに見守っている。
オートマトンが動き出すと、攻撃をかわしながら、レイジは、オートマトンに剣を振るう。
剣がオートマトンを切り裂き、オートマトンは消滅した。
「また腕を上げたな」
初老の男――グレイン教授の言葉に、ふっとレイジは笑う。
レイジの手にしていた光の剣が突然、錆びや腐食に犯されたように変色すると、崩れ落ちた。
剣を放り投げ、レイジは顔をしかめる。
「……ずるいですよ。こんなのアリですが?」
レイジは抗議する。
「油断しているからだ。ウイルス侵食による反撃は基本中の基本だぞ」
グレイン教授はレイジを生徒を叱る教師のように言う。
銀髪白人風の男で、白いシャツにジャケットを羽織った姿は、初老の紳士を思わせる。
「……だらしない。抗プログラム型の強力な光学剣くらい作れないの?」
レイジの様を朧は笑う。
「……簡単にできるか」
レイジは投げやりに言うと、口を尖らせる。
「だから半人前なの」
朧の言葉に、レイジは反論できなかった。
レイジがいる場所は、瞑想寺院と呼ばれる仮想空間である。
ウィザードが腕と精神を磨く場であり、精神活動をアップロードすることで、アクセスできる。
ウィザード――ナノ・ハッカー、複製師など様々な呼び方があるが、ナノテク・ユーザーでも高度な技能技術を持つ技能者たちである。
<マージ>と呼ばれるウェットウェアAIを脳内に共生実装し、マージの記憶媒体であるDNAメモリーに保存貯蓄されたソフトを元に、魔法を駆使する魔法使いのようにさまざまな現象を引き起こす。
自己組織化機能へハッキングを行い、組成改竄を行い、書き換えるのは序の口で、導師級の優れたウィザードになるとナノマシンそのものの分子設計まで行う。
ナノテクが世間に浸透し、日常の風景として完全に溶け込んだ昨今、ウィザードはトランスヒューマニズムの最先端モードとして、いまだアンダーグラウンドシーンで注目される存在だった。
一方で、犯罪と結びやすく、法の行使者たちから危険視される存在でもあった。エレメントや在野のナノマシンの組成を無断で許可なく行うことはもちろん違法行為であり、大きな社会問題になっている。
グレイン教授は人の精神活動を複製したシミュレーターであり、瞑想寺院の管理プログラムである。
オリジナルである本人が生存しているのかは、レイジにも不明であった。
「この仮想空間<瞑想寺院>は、ウィザードの技術と受け継ぐ場――」
「ようは魔法の学校って訳でしょ?」
朧の言葉に、グレイン教授は苦い顔をする。
「……まあ、そうだな」
こういう表現をグレイン教授は好まなかった。
子供の時からゲームにどっぷりと漬かり、慣れ親しんだ世代ならばファンタジーゲームと現実世界の境界が曖昧なのは無理も無かった。
「君のお父上に頼まれた以上、私には責任がある」
「分ってますよ。何度も言わなくても……」
「ゆえにウィザートの技術と能力は決して偽物を作り上げるためのものではない」
教授の小言に朧は舌を出す。
朧は瞑想寺院の力と連結し、ネットを洗い、祐樹に頼まれた目的のデータを捜索していた。
ウィザードの違法コピー犯罪は大きな社会問題である。
情報の強奪のみならず、自己組織化素材を使用し、本物と紛うこと無き偽物を作り上げることなど、ウィザードにとって造作もない。
結果、偽物が世の中に溢れかえる形となり、捜査機関が神経を尖らせていた。
「自分だってコピーみたいなものでしょ」
朧の言葉にグレイン教授はジロリと睨んだ。
「しょうがないわよ。お友達に頼まれたんだもの、ねー?」
「……前から思っていたが、君のマージは、軍用規格を遙かに凌駕する性能を持つにも関わらず、性格に若干問題があるようだな」
「性格設定はわたしの責任じゃないもの。そもそもコミュニケーション型に抑制と可塑性を求めるなんて、ナンセンスじゃないの……?」
朧の反論に、さすがのグレイン教授も口を噤む。
身体的強化処置を行う人体用ナノテクで、マージは最高峰の内部デバイスである。
マージは、ウィザードがナノテククラッキングを行う為に必要不可欠なウェットウェア・デバイスで、脳の余剰情報処理能力と連動し、驚異的な演算能力を可能とする。
ナノテククラッキングのみならず、情報処理や保存、そして仮想空間に没入するためのデータリンクなど機能は多岐に渡る。
朧は瞑想寺院を経由し、データを更新、マージとしての性能を絶えず上位互換してきた。
幼い時からレイジを守ってきた守護天使は、レイジのウィザードとしての力の根源であり、レイジの古い友人でもあった。
「……ナノテクはもはや僕たちの生活に入り込んでいます。使うなという方が無理では?」
レイジが反論した。
「生意気を言うな」
グレイン教授はぴしゃりと言った。
「……話は変わりますが、幕張一帯でのエレメントのシステムダウンについてなんですが……広告関係が機能障害起こしたとか」
旗色とが悪いと思ったのか、レイジは別の話題を出していた。
「私の耳にも入っている。今確認中だ」
「……そうですか」
「どれ、じゃあ久しぶりにあたしと戦ってみる?」
朧が仕事が終わったのか、身体をほぐしながら言った。
「……別にいいぜ」
「言っとくけど、手加減しないからね。マスターの能力向上はマージにも影響してくるから」
「待ちたまえ。別のカリキュラムに移ろう。ナノマシンの再自己組織化の練習だ」
グレインの言葉にレイジはゲッという顔をする。
ナノマシンの再自己組織化――ナノマシンをハッキングし、自己組織化機能を利用し、まったく別の働きをするナノマシンへ作り返ることである。
ウィザード・スキルにおいて、ナノマシンの変換および合成速度は、ウィザードの優劣を決定付ける重要な要素である。
特に生命維持機能タイプの短時間での生成は、生命の危機に対し、大きく影響する。
「この前の続きだ。インターフェイス型を代謝制御型への作り変えろ。目標は十秒台だ」
リポゾーム型で、触手の様な鞭毛モーターをいくつも生やしたナノマシンの電子複製体がレイジの目の前に現れる。
「……苦手だなあ」
複製体を前にし、レイジは頭をかく。
「……つべこべ言うな。鞭毛モーターおよびアクチュエーターフレームの再アセンブリングに取り掛かれ。急げ」
「……だって」
朧が悪戯っぽく笑いながら言う様に、レイジは祐樹とのやり取りを思い出し、さらに顔をしかめていた。