プロローグ
まるでテレビの複数同時チャンネル表示機能のような光景だった。
夜風と共に、<エレメント>が頬を撫でている。
静電気のようなエレメントの息遣いを比嘉明那は肌で感じていた。
眼下に広がるのは夜の海で、大都会や環境建築が発するネオンの光の煌きに加え、エレメントが作り上げる仮象広告が浮かび上がっている。
明那は不意に飛び込んでしまいそうな衝動に駆られそうになった。
明那がいるのは、アイコニック社ビル屋上だった。
明那の頭上からスポットライトのような眩しい光が降り注いだ。
上空ではアイコニック社所有の飛行艇ヘリがホバリングし、屋上にサーチライトを投下している。
屋上入り口から、数人の警備員に混じり、スーツの男が現れていた。
光を手でさえぎりながら、明那は顔を確認する。
「……シンカー 比嘉明那」
アイコニック社極東支部支社長の田宮が明那に詰め寄っていく。
明那は、自身のメンテナンスの最中の隙を尽き、逃走を試みた。
田宮の背後にはアイコニック社の警備部のガードマンが電極発射型スタンガンを構えながら控えている。
明那は逃げ場がない屋上へあえて逃げてきた。
脳内の<マージ>はすでにアクティブ状態である。
頭痛が酷くなっている。
痛み止めではすでに抑えられないほどだ。
マージを使用すればするほど、侵攻は進む。だが、マージを使用しなければ、この場を乗り切ることはできない。
「高い金を払って生み出した商品に手荒な真似はしたくない。素直に我々の元に戻って来い」
――……迷っている暇はないわ。連中を振り切るには私に変身しないと無理よ。
脳内のマージである<オフィリア>が明那に語りかけた。
――分かっている。
明那は脳内でマージと対話した。
明那は決心したように眼を見開くと、マージを通し、エレメントに働きかける。
マージの呼び応えに対し、エレメントが反応し、励起状態になると、電子の光を放っていた。
エレメントが明那の周りを収束し、ある形を作り上げていく。
明那の姿が変わった。
「……オフィリアか!?」
アシンメトリーの前髪に、長い髪をなびかせ、眼の下に星型の印がある。
顔はおろか体型、そして着衣も何もかも変化していた。
変身した明那=オフィリアはどこか淡い光を全身から放ち、歌を奏でていた。
声を振るわせて放つ歌は、高周波にも似ていた。
「インタラクティブ・ボイスだと……!?」
田宮が驚きの声を上げた。
「撃て! 撃て!!」
田宮の命令に、警備員はトリガーを引き、電極弾を発射する。
周囲のエレメントがオフィリアに感応同調し、防御壁を展開していた。
防壁は電極弾を弾き返す。
オフィリアの歌声は、どこまでも響かせ行き渡らせるような伸びやか唄だった。
オフィリアの周囲に無数のオフィリアの仮象体が出現した。
「エレメントハーモニーか!?」
田宮の顔には動揺が浮かんでいた。
エレメントハーモニー――オフィリアが生み出す特化機能だった。
エレメントの広範囲一斉励起現象で、空気中を漂う、無限のエレメント全てが呼応し、合唱しているようだった。
エレメントが一瞬にして塗り替えられていく様は、歌が光となってに周囲に伝播していくようだった。
オフィリアの歌を聞いている人間にも、影響を及ぼしていた。
警備員も歌の力により無力化され、思わず膝を屈した。
田宮はオフィリアがこんな機能を持っていることに驚いているようだった。
オフィリアの歌が響き渡る中、本人の姿が霧のように消え去った。
「消えた……!?」
歌もいつしか止み、周囲の仮象広告がノイズを起こし、エレメントの電子の光が激しく乱れている。
「……目標は完全にロスト。半径十メートル内のエレメントも機能障害を起こし、使い物になりません……!」
警備員が報告した。
「調査部と連携してすぐに追え!」
田宮は警備担当者に指示を出す。
「『イモータル・プロジェクト』の要に、こんな形で逃げられるとは……!」
エリートに相応しからず、田宮は感情を露にしていた。
田宮の顔には慙愧の念と焦りがはっきりと浮かんでいた。