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宗教的仮想空間

 レイジが電子トラップを抜け出した頃、一人のウィザードが瞑想寺院へ違法侵入を試みようとしていた。

 追っているマージの追跡プログラムを妨害する無数の囮プログラムに手を焼き、やっとの思いで、接続先を探り当てた。

 仮想空間へのアクセスが成功し、足を踏み入れた瞬間、襲い掛かってきたのは仮想トラップファイルだった。

 侵入者に対し、マージのBMI機能を通じ、仮想現実を応用した疑似体験型の幻覚作用ファイルを強制インストールするものである。

 しかし、侵入者が常時展開する防壁や防御フィルターには何の効果もなかった。

 ファイルはすぐ様検出解析され、消去すると、ウィザードは瞑想寺院へ踏み込んでいた。

 侵入者の周りに石造りの歴史ある荘厳な仮想空間が広がっていた。

 空間内に一人の老人が現れていた。 

「……よくここが分かったな。さすがPMCウィザードだな」

 老人の言葉に侵入者――ブラックシェルは笑う。

「そうでもない。無数の囮プログラムから割り出すのは中々骨のいる作業だった。しかし、まだ瞑想寺院が生き残っていたとは、な」

「……久しぶりだな。ブラックシェル」

 老人――グレイン教授が言うと、ブラックシェルは満足そうな尾錠を浮かべる。

「グレイン教授……リチャード・グレインか。シミュレーターか、それともオンラインか……?」

「当ててみたまえ」

「天才科学者にして大導師グランドマスター、いや<クリエーター>に会えるとはな……」

「ヴァーチャルアイドル作りにご執心とは酔狂なことだ……最近のナノテックス社は人身売買も行うのかね?」

「自社でモデルージェンシーを抱える企業など珍しくは無いだろう。ましてナノテックス社は、世界有数の複合企業体コングロマリットだ」

 ブラックシェルの言葉に、教授は冷ややかな目を向ける。

「……ただのナノテクフリークとは思っていなかったが、まさか瞑想寺院に関わりのある由緒正しいウィザードとは、な。あのガキはお前が仕込んだものか……?」

 ブラックシェルは尋ねた。

「友人の頼みでね。家族と本人を守れる様な強い男に育てて欲しいと――」

「ナノテックス社に買収された会社社長の息子……か。ようは復讐か……?」

「……そこまで暗い育ち方はしていないはずだ。君とは違う。若者が抱く若さゆえの無謀な行為と、高潔な精神に基づくものだ。試練と通過儀礼は人を無限に成長し、高めていく」

 グレイン教授の言葉にブラックシェルは鼻白んだように笑った。

「自由意志を持つマージの研究――だったな。あれはその試作品か何かか……?」

「……私の作品ではないが。人間ですら自由意志は幻想に過ぎない……人は平等ではなく民族、宗教、家族、経済状況といった呪縛に囚われ、植えつけられたマインドセットに支配される」

「……幼少時からのマージを共生させ、ともに発展させるなど狂気の沙汰だ。我々と大して代わらんな」

「――否定はしない」

 教授は手元の情報ウインドウを見ていた。

 停滞していたマージの攻略作業が再開していた。

 レイジの生命活動および脳波計の動きも活発化している。

 教授は安堵した。

「彼ら若きウィザード風に言えば、人類はテクノロジーの発達により、エレメントという魔力マナを取り戻した。……いや、獲得したという言い方が正しいな」

 教授はブラックシェルに視線を戻す。

「……しかし、現実の魔法使いは違った。トランスヒューマニズム主義と非難され、さらに為政者達は危機感を抱き、犯罪者と断罪した。……当然だな」

「…………」

「弾圧を避けるために、お前達はネットのさらにアンダーグラウンドに潜り、このような空白空間に身を顰めるしかなかった。技術や情報と共に」

「君のように企業に飼われるしか、生き延びる術は無い……か」

 教授の皮肉に、ブラックシェルは鼻を鳴らす。

「……下流の人間が上流に上がる為の努力と言って貰おう。上を目指して何が悪い?」

 教授は冷めた眼を、ブラックシェルに向ける。

「錬金術は、物質を完全な物質に精製すると共に、さらには人間も完全な存在に変性しようという意味を持つこともあった。哲学的思想と精神的向上無くして、大地の秘術(アルス・マグナ)はなされない。あってはならない」

「まさか使うものの思想無くして……などという寝言を言うつもりか?」

「……技術とはそういうものだ。哲学的理想なくては、ただ暴走するだけだ。ナノテックス社がいい例だろう」

「……何故、お前はこうして生きている?」

 ブラックシェルはうんざりした様に言った。

「私はナノテクとの対話による人類の変容と行末を見てみたいだけだ」

「……マッドサイエンティスト風情がキレイ事を吐かすな。ましてお前はコピーに過ぎん」

 ブラックシェルは低い声で言うと、光学剣を出現させる。

「……君たちの企みは読めている。イモータル・プロジェクト――意識の完全アップロード化か」

 グレイン教授はブラックシェルに言い放つと、明那から入手したデータの一部をブラックシェルに見せた。

 ブラックシェルは笑う。

人間モータルイモータルにでも成るつもりかね……?」

「……金持ちの考えることはいつの時代も変わらない。ナノテクが全てを実現するこの時代、無理もないだろう」

「哲学的思想と精神的成熟さを併せ持つものが、技術を使う資格のあるものだ。それ無くして、技術はただ暴走するだけだ」

「老人の戯言だな」

 ブラックシェルは一蹴する。

「ナノテクにより人類は身体的疾患を全て克服できた……ように見えた。しかし、エレメント耐性型インフルエンザに代表されるような新種のウイルスが毎年のように発生している」

 教授はどこか憂いたように言った。

「人が進化すれば、それに比例するように新たな病が出現する。自然がバランスを保つ為のホメオスタシスそのものだ。恒常性の関係で環境と種は保たれる」

「人は永遠に人を超えることはできないと……?」

「その通りだ」

「……あんたが言うと詭弁にしか聞こえんな。まあいい――」

 ブラックシェルは光学剣を閃かせると、背後に黒い蛇竜が出現していた。

 ブラックシェルはマインドクラック機能を発動した。

「……我がマージ<メルトダウン>のマインドクラックは、最新型の電子戦略プログラムが組み込まれたものだ。お前の弟子は膝を屈したぞ」

 光学剣にメルトダウンの仮象体が絡みつくと、ブラックシェルは剣を振り上げる。

「この空間ごと、消却デリートしてくれる――」

 意気込むブラックシェルに、グレイン教授は溜息を吐く。

「……今度は私が君に訊こう。ここは現実か、それとも仮想か?」

 グレイン教授およびブラックシェルの周囲が光を放っていた。

 グレイン教授の求めに応じ、瞑想寺院という仮想空間が真の姿を現していた。

 石造りのゴチック建築風の仮想空間は影を潜め、空間面積をどんどん拡張しながら、神殿や大聖堂のような空間へ変化していく。

 幾何学模様にも似たさまざまな装飾が施された天蓋に、荘厳な祭壇がいくつも出現し、膨大なデータを収めた宝塔や柱が立ち並ぶ。

 ある種の宗教的世界観を体現した仮想空間は、東洋思想的曼荼羅に似ていた。

 瞑想寺院は、空間が秘めている情報処理能力を解放しつつあった。

  いつしかグレイン教授は空間内に設けられた最も高い祭壇に立ち、ブラックシェルを見下ろす。

「ここは瞑想寺院……膨大な情報を蓄積するアーカイバにしてライブラリー。世界に存在するあらゆる情報を収集する知の保管庫――」 

 ブラックシェルの周りに無数のウインドウが展開する。

 瞑想寺院の攻撃システムがブラックシェルへのハッキングを開始していた。

 ブラックシェルの顔にも動揺が走っている。

 瞑想寺院の力の前に、さすがのブラックシェルも肝を冷やしたようだ。

 攻撃システムがブラックシェルの電子的身体の手足の末端から量子単位で侵食していく。

「これほどの処理能力を保有しているとは……。さすがは瞑想寺院、腐ってもリチャードグレインのシミュレーターという訳か……」

 ブラックシェルは口惜しそうに言った。

「狼藉者はとっとと立ち去りたまえ。俗物風情にこの聖域がどうこうできるものか。身の程を知れ」

 そう言うグレイン教授の目の前に新たなウインドウが出現した。

「……弟子がデータの抽出、およびマージの物理的消去の最終段階に入ったようだ」

 グレイン教授はブラックシェルに告げた。

「行き先はメモリーシティ――データヘイブンだろう……? 電脳横丁でのやり取りは確認済みだ。ならば、先回りして奪い取る。貴様の弟子である以上、手加減は無い……」

 感情の揺らぎのようなものを見せながら、ブラックシェルもウインドウを出現させていた。

「……よかろう。イモータル・プロジェクトともども潰させてもらうぞ。データ・ヘイブンで互いの雌雄を決しよう――」

 グレイン教授の言葉に、ブラックシェルは鼻で笑うと、ウインドウに手を叩きつけた。

 その瞬間、ブラックシェルの姿がその場から完全に消え去っていた。

 非常事態を回避する為に電子身体に設けられた緊急転送避難による逃走であった。

「……相変わらず、逃げ足だけ速いな」

 グレイン教授はそう呟いていた。

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