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仮想現実型幻覚の罠

 鼓膜を突き破るような轟音に、レイジは目が覚めた。

 レイジはコンサート会場にいた。

 何万人も収容できるような巨大な施設だった。

 客席は全て埋まり、会場中央にはステージがあった。

 スポットライトが目まぐるしく切り替わるステージには、後光のような淡い光を放つ一人の歌手がいた。

 オフィリアだった。

 神経攻撃による仮想現実型シュミレーテッド・リアリティ幻覚・ハルシネーション――オフィリアの氷壁が繰り出した電子トラップの正体だった。

 仮想現実が作り出す疑似体験と幻覚世界の迷路に、レイジは迷い込んでいた。

 レイジ自身ようやく自分の状況を理解した。

 観衆はオフィリアのパフォーマンスに熱狂する。

 圧倒的な疾走感のあるオフィリアの曲にサイリュームを振り、声を張り上げ、歓声を上げる。 

 仮想現実は明那の記憶を元に生み出されているようだった。

 最初はレイジもどこか冷めた気持ちで見ていたが、徐々にオフィリアのパフォーマンスに魅入られていった。

 仮想現実型幻覚の恐ろしさは、時間の経過とともに判断力が低下し、現実なのか仮想現実なのかが区別がつかなくなる点にある。

 仮想現実妄想――この世界は仮想現実で、現実など存在しないという精神障害である。

 現実と仮想現実の曖昧さと拡張現実技術が齎した現代病である。

 もちろんこうしている間も、朧は氷壁攻略と同時に、電子トラップにより強制介入されたファイルを削除する為の検出作業を行なっているはずだった。

 レイジ自身行動を起こさないと、仮想現実から生還できなくなる。

 だが、疑似体験の迷路は簡単に抜け出せるほど甘くない。

 脳内分泌液や神経間の電位変化を測定し、相手の願望や欲望をフィードバックし、自分にとって都合のいい世界を映し出す。

 何よりオフィリアのステージがレイジを捕らえて離さない。

 ダンスと歌が一体となった見事な内容だった。

 アジア系の美しさを秘めたルックスは人工的といえばそれまでだが、セクシーなステージ衣装を身につけ、バックダンサーと共に生み出される激しいダンスパフォーマンスに加え、オフィリア、正確には明那の歌唱力とインタラクティブボイスの相乗効果により会場全体が沸く。

 バイオリズムおよび識閾下へに干渉するインタラクティブボイスは、一種の集団催眠のような状態へ観客を導いていく。

 観客のボルテージが高まっていくと、会場のエレメントが励起状態になり、電子の光を放つ。

 光がさまざまな音符の形に変化し、乱舞する会場で、エレメントが収束し、オフィリアの仮象体と化すと、会場の至るところに出現していく。

 エレメントハーモニーだった。

 エレメントとの同期によるインタラクティブボイスの効果を最大発現させる機能により、全員スタンディング状態になり、会場の熱気は最高潮に達しようとしていた。

 プロモーションビデオのような世界が会場に広がり、観客全員が宗教的現象にも似た共有体験へ誘う。

 エレメントハーモニーの真髄を図らずも見せ付けられていた。

 レイジもすっかりオフィリアの歌を聞き入っていた。

 日本人のみならず、さまざまな肌や顔の特徴を備えた観客達が訪れている。

 人工的存在であるディーヴァノイド<オフィリア>は、人種や文化の壁を軽々と飛び越えて虜にする、まさに模倣子ミームの化身だった。

 開発・販売元であり、レイジの宿敵たるアイコニック社がアジア的美を徹底的に研究し生み出された外見パッケージと、森川ハルナと明那という二つの内容コンテンツが作り出す中身ソフトは、確かに時代を象徴するに足るアイコンだった。

 そのことに戦慄しつつも、オフィリアのパフォーマンスに抗えない自分がいることをレイジは意識していた。

 いつしか、オフィリアがレイジの近くに出現し、頭上に浮かんでいた。

 幽霊のような淡い光を全身から放ちながら唄うオフィリアの視線は、はっきりとレイジに向けられていた。

 レイジを飲み込むような妖しい魅力に満ちた瞳だった。

 オフィリアはレイジに微笑みかけ、手を伸ばした。

 頬に触れるオフィリアに、レイジも心を奪われそうになっていた。

 ――レイジ。

 誰かの声が頭の隅から聞こえ、レイジは我に返ると、オフィリアの手を払いのける。

 朧なのか、それとも明那なのか分らなかった。

 誰かの似ていた声だった。

 オフィリアの誘惑を受け入れていれば、レイジの意識は埋没し、永遠に仮想世界を彷徨うハメになっただろう。

 レイジはオフィリアから逃れるように席から立ち上がると、コンサート会場から出ようとした。

 昏い通路に出ると、レイジの前に女が一人立っていた。

 オフィリアだった。

「――どこへ行くの、レイジ……?」

 オフィリアはレイジに尋ねてきた。

 レイジの後ろで観客が熱狂することが聞こえてくる。

 目の前のオフィリアは仮象体のような淡く、虚ろなものではなく、肉の質感を伴った生身の女だった。

「最後まで聴いてくれないの……?」

 オフィリアは右手を上げる。

 手には銃が握られていた。

 リボルバー式のスナブノーズだった。

 レイジはたじろぐ。

 仮想現実内ではこれほど効果的な武器は無かった。

 もし銃弾を喰らえば、現実的に死ぬ危険性がある。

 これほど直接的に攻撃を仕掛けてくるとは考えていなかった。

 レイジは光学剣を読込実行していた。

 暗い通路の中で、光の剣を揺らめかせながら、オフィリアを威嚇するように構える。

 電磁高周波の振動音が二人の間で響いた。

「切れるの?」

 オフィリアはレイジをからかう様に笑う。

「――わたしを」

 オフィリアは明那に変わっていた。

 動揺がレイジに走ると、明那は引き金を引く。

 マズルフラッシュが瞬く中、レイジも反射的に前に出ていた。

 銃弾は大きく逸れ、レイジは明那を斬っていた。

 光学剣の削除デリート機能により、プログラムならば消滅する――はずだった。

 明那は消えることなく、血が飛び散りながら、後ろに倒れた。

 レイジは明那に近づく。

 明那の死体がそこにあった。

 傷から夥しい血が流れ、血溜まりを広げていく。

 頭では分っていた。

 取り返しのつかないことをしてしまったのではないか、という疑いがレイジの中で芽生える。

 罪悪感が沸き、激しく混乱していく。

 そもそもこれは現実なのか、仮想現実なのか、レイジはよく分らなくなっていた。

 困惑状態のレイジの首に、誰かが後ろから腕を回してきた。

 オフィリアだった。

「……あーあ、殺しちゃった」

 オフィリアはレイジの心理的空隙を突き、忍び込んで来る事は頭では理解していた。

 オフィリアの息遣いが耳を撫でる。

 生温かい甘い息はあまりにもリアルで、生々しかった。

 催眠状態にも似た現実から遊離したような感覚が全身を包んでいく。

 レイジはもうどうでもよくなっていた。

 オフィリアはレイジにキスをした。

 オフィリアの唇が触れた瞬間、レイジは明那とのキスを思い出していた。

 その時、レイジの全身に電流のようなものが走った。

 ――非常事態と判断し、強制離脱(ジャックアウト)を敢行します。

 頭に入ってきた報告に、レイジの意識に活力が入り、失い掛けていた現実感を取り戻す。

 ――失敗エラー。防壁改変作業率は60パーセントを突破……現在も進行中。

 オフィリアの手を振り払うと、レイジは再び光学剣を読込実行させ、オフィリアを切り裂いた。

 オフィリアが画素単位で電子的に消失すると、明那の死体も消えていた。

 周囲の景色が漂白されるように白色の光と化し、レイジも光の激流に飲まれていった。

 

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