歌姫の秘密
アイコニック社の社長室で、田宮とブラックシェルは寿司をつまんでいた。
工場で作られた養殖ものやナノテクで作られた成型食材のものではない。日本全国の有名漁港で水揚げされた天然の高級食材だった。
築地の寿司職人が料理したものを、ここに宅配させた。
「……外人の癖に、寿司が好きとは意外だな」
田宮はあきれたように、ブラックシェルに言った。
「日本に来たら、必ず食うことにしている。美味い寿司を、な」
極上の寿司を食しているにもかかわらず、ブラックシェルの表情にさほど変化はない。
ナノテク関連企業の最大手でありながら、ナノテクで生み出された物に価値を見出さず、あくまで本物にこだわるのは、上層にいる人間ならば誰もが行なう性癖であり贅沢だった。
「なぜ、金を掛けてこんなディーヴァノイドを作った……?」
ブラックシェルは牡丹海老の寿司を醤油を着け、口に運びながら尋ねた。
「ネットの発達により、大衆は手軽に且重要な情報を入手できるようになった。今の時代、外見を整えただけでは、物は売れん。消費者が賢くなり簡単に騙されなくなった時代、中身こそ重要だ。だが、コンテンツの充実を図ることは容易ではない。我々広告代理店の情報操作や広告活動だけではどうにもならん。そこで、我々は過去の遺産を有効活用することを思いついた。オフィリアのオリジナルである、森川ハルナというアーティストを、な」
「……聞いた事がないな」
「この国では知らないものはいないほどの有名な歌手だ。歌唱力に天性の音楽センス、そして美貌……、特に独特のビブラートや高音の歌声、豊かな表現力は、幅広い年代を魅了した。まれに歌の妖精や楽神が人の姿を借りて、この世に光臨することがある……。彼女はまさに歌の女神の化身だった――」
「だった……?」
「……優れた才能の代償と言うべきか、精神的に不安定でね。こればかりはセラピーでもどうにもならん。結果、自ら命を絶った」
「芸術家肌……という奴か」
ブラックシェルは失笑するように鼻で笑う。
「その楽神の化身を莫大な投資を行い、復元したのがオフィリアだ」
「基本的な質問になるが、彼女はマージなのか? それとも人間が化けたものか?」
「定義は難しいな」
田宮は日本茶を啜る。
「本体はむしろマージだ。共生実装された本人はオフィリアを構成するパーツに過ぎない」
「本人の意思に関係なく……か?」
「アイドルというのはそういうものだ。伝統工芸品のように、優秀な素材を発掘し、技を仕込み、時間を掛けて育成し、さらに戦略的プロモーションを仕掛けていく。多額の投資と、さまざまな人間の手が入り、やっと完成するのだ。特に今の時代、ナノテクによる人体拡張は避けられん」
「奴隷契約と変わらんな……俺たちと同じだな」
「……所有物といって欲しいな。所詮、商品だからな」
田宮の言葉に、ブラックシェルは再び笑う。
「アイコニック社は森川ハルナの入院時の脳波データや遺伝子情報はもとより、彼女の楽曲の原版権やマスターテープデータ、動画や映像データ、そして肖像権に至るまで、法的手段に則り、現存するあらゆるさまざまなデータを入手し、論理人格技術を応用し、さらにDNAデータを基に、ゲノムシンセイサイザーによりコンピューター上で仮想身体を構築、サンプリングし、電子的な複製に成功した。その結晶がマージ、オフィリアだ」
「究極のディーバノイドの誕生……という訳か」
「……そうだ。まさにこれは楽神の電子的な方法による再誕そのものなのだ」
田宮は自分の言葉に酔っているかのようだった。
「そして、シンカーたる比嘉明那はウィザードというより、いわばシャーマンに近いな」
「……シャーマン?」
「事実、比嘉明那はシンカーとして素質に優れ、オフィリアのとの適合性も高い。脳梁部の神経線維が平均を大きく上回り、変性意識状態――シャーマニズム能力に優れた才能を持つ。タレントとしての才能は、いまひとつ伸び悩んでいるが――」
田宮の話が続く中、ブラックシェルは酢飯で口が甘ったるくなったのか、ガリに箸をつけていた。
「一体化を促すため、彼女の脳梁部の神経線維は逆転写酵素機能ナノマシンによる遺伝子適合化を行い、リフォーミングを行っている。遺伝子レベルの整形手術みたいなものだ。芸能人志望者なら誰でも行っていることだ」
「……売れない商品は、人権すらないということか」
「もちろん彼女自身には一生かかっても稼げないような契約金を払っている。文句を言われる筋合いは無いな」
田宮は鼻息を荒げる。
「オフィリアとのユニゾン、彼女達が一体化することにより、あのビブラートと低音から高音の伸びを可能にする。まったくのオリジナルではないが、ある程度の揺らぎと不確定要素なくして、リスナーの心を震わせるような感動は生まれない」
ブラックシェルは鼻白んだように笑った。
戦闘の為に感情を普段から抑制している彼にとって、歌や娯楽など何の関心も無かった。
「そして、彼女にはもう一つの役割がある。イモータル・プロジェクトの実験体――その試験体だ」
「……イモータル・プロジェクト?」
「身体および人格データを情報化して保存する人体保存部門をより発展させた転生技術――わが社のトップシークレットだ。これ以上は説明できん。いずれにしろ、論理人格が生存戦略による自己保存本能と拡大解釈による抜け穴を見つけ出すとはな……。音楽的才能を高めるため、感性面と情動面を激しく設定した結果か――」
「オリジナルが持つ精神的不安定さと、シンカーとの相互作用が思わぬ事態を招いたな」
「いずれにしろ、捕獲した後で記録を全て洗い、原因追求を行う必要がありそうだな」
ブラックシェルは急に押し黙った。
「……どうした?」
「……俺のほうの網にかかったらしい。当りとつけていた所に訪れたようだ。すぐにヘリの準備をしろ」
ブラックシェルは最後にとっておいた大トロを口に放り込むと、ソファーから立ち上がった。