小鬼の郵便配達人
電脳横丁はまさに魔術師達の集まる魔法と情報の仮想世界だった。
ヨーロッパの城塞都市をモデルにしたようなファンタジーのイメージ構築された仮想世界で、鉄壁のセキュリティシステムに守られたハッキングコミュニティは、富や一攫千金を欲する者、真理や技能を探究する者、世の中の裏側や好奇心に胸をときめかせる者、そして裏社会に身を置くものなど、さまざまな目的のウィザードが訪れていた。
レイジ自身ウィザードでありながら、裏社会に近いアンダーグラウンド的仮想空間へ赴いたのは初めてだった。
電脳横丁を訪れるウィザードはレイジと同じように、魔術師のようなローブ姿の格好がほとんどであった。
まるでウィザードの趣味性を理解できないものは、必然的に排除するかのようであった。
確かに電脳横丁は組合や互助会的要素が強い空間である。閉鎖性の高い秘密サークルか、コミュニティのような、他人にはいえないような危ない趣味を持つもの同士が法の目を逃れて、情報交換を行なう為に、厳しい掟に支配されているといってよい。
情報一つとっても、表のネットワークでは決して流れない世界の裏側を知りえるような重要な情報が渦巻いている。
裏の危険な仕事の依頼や儲け話を筆頭に、表には絶対に流れないナノテク用最新ハッキングソフト販売レプリケータにインプットすれば、寸分たがわぬものを生み出すことができる有名ブランド商品の偽造防止プロテクトの解除方法を教える情報屋、違法ナノテクにさらに軍用IT兵器の売買を行なう者や地下銀行のようなものまで存在する。
そして例外なく、それらの情報商材は高額で取引されている。
事実、情報の一つ一つを集めるたびに、金がかかる。
そのことが情報の信憑性を誇示していた。
情報料の支払いは全て明那が行なっていた。
「その為に予め電子マネーに両替していたから、支払いの線からは追跡されないから安心して」
そういう明那は情報を得る為に、決して安くない額の金を払っている。
酒場のような場所を手始めに、住人達に地味に聞き込みを行い、情報避難地への情報を集めた。
――郵便配達人の元に行け。
皆が口を揃えていった言葉だった。
レイジと明那は一人の口利き屋に辿り着き、案内されるがままに、電脳横丁の奥の一角にある雑貨屋のような所に来ていた。
店内に入ると、中は木造で、蝋燭のような明りで照らされていた。
店の奥には小さな生き物が居た。身体とは不釣合いな大きな頭、目は突き出ていて、尖った耳に、口は大きく裂け、牙が生えそろっている。
ファンタジーに登場する小鬼のような姿に似ていた。
小鬼の近くには郵便箱が設置されている。
「あんたが郵便配達人か?」
レイジは尋ねていた。
「……ああ」
小鬼は大きく裂けた口で答えた。
「人間か……?」
レイジの質問に、明那は首を振る。
「いいや、メール用のソフトウェア・エージェントさ」
「メールソフト……? ずいぶん大げさだな」
「……言葉に気をつけろよ。俺をその辺のエージェントと一緒にするな」
ソフトウェアでありながら小鬼は胸を張るように言う。
「俺は情報避難地<メモリー・シティ>の代理人――情報避難地の日本法人の窓口そのものだ。で、何のようだ?」
「情報避難地への行く方法よ。場所とアクセス方法を教えてほしいの」
明那が小鬼に尋ねる。
「……難しいな」
小鬼は大きな目をぐりぐりさせながら言った。
「メモリー・シティ――世界最高峰の情報避難地だ。国家レベルのアクセス介入も許さない聖地……大富豪だっておいそれと簡単には入会できないんだ」
小鬼はいう。
「まあ、あんたらがここに来れた以上はそれなりの知識と技術を持っていることは分かる。
メールなら受け付けるぜ」
「メール……?」
「ああ、俺が受け取って、向こうへの代理人に送る。後は返事を待つだけ。ただし大概の場合、相手にすらされない」
小鬼は入り口近くのテーブルを指差した。
「その道具を使って、メールをつくってくれ。用意ができたら、また呼んでくれ」
そう言うと小鬼は消えた。
テーブルには一枚のメール用紙に羽根のペンが立てられている。
明那はペンを取った。
「情報避難地に行って何をするつもりなんだ?」
レイジは明那に尋ねる。
「AAAデータ……わたしが持っているオフィリアおよび森川ハルナに関する全てのデータの移送、および保存」
明那は答えた。
「追っ手のウィザードを振り切るには、そこに逃げ込むしかない。これはオフィリアの意思でもあるの」
「論理人格の……か?」
明那は頷くと、メールを書き始める。
「データは諦めて、マージを物理的の取っ払っていうのは……?」
「アイコニック社の交渉材料は失いたくないの。犯罪行為が立証できなくなるし、裁判起こされたら、多分負けちゃう」
明那は首を振る。
「それにわたしはオフィリアも救いたいの。彼女も勝手に再生されて、被害者みたいなものだから……」
「……そんなこと言ってる場合かよ」
「レイジ君は朧ちゃんを消去できるの……?」
レイジは明那の問いに詰まる。
「……ごめんなさい。身勝手でワケのわかんないこと言ってるのは分かってる。でも、彼女のシンカーとして活動してきたわたしの感情も分かってほしい」
レイジは何も言えなかった。
「ごめんね。わがまま言って」
「……まあ、確かにパートナーは大事だもんな」
観念し引き下がるレイジに、明那はペンを置くと、手紙の自らの手を押し付ける。
手紙には、刻印のような物が押されている。
「これは?」
レイジは尋ねた。
「AAAの電子スタンプの複写。情報真偽の証拠になるわ」
小鬼がいつしかまた現れていた。
「準備はできたか……?」
明那は小鬼に手紙を手渡す。
小鬼はメールを受け取ると、便箋にいれ、近くの蝋燭を手に取った。火で炙って溶けた蝋を封筒の蓋の上に垂し、判子のようなものを押した。
「――封蝋。他の連中が覗き見できないよう暗号プロテクトを掛けた」
そう言うと小鬼は郵便箱に便箋を入れる。
「送信したぜ。まあ、回答が来るまで二、三日……」
小鬼の前に突然手紙の封筒が出現した。
「……驚いた。もう返答がきたぜ」
小鬼は明那に手紙を渡す。
明菜は手紙を開くと、英語の文章が並んでいた。
明那はメールに翻訳機能を掛け、日本語に変換した。
「手紙を受理。ただしデータの受け渡しは本人が同行し、直接受け渡しを希望。アクセスキーを同封――」
最後にイニシャルなのか、『H』と記されている。
封筒の中には、鍵が一本入っていた。精緻な細工が施されたアンティーク調の銀の鍵で、長い鎖がついている。
「ようは、情報避難地に直接来いってことよ」
鍵を握りながら、明那はレイジにそう言った。