仮想空間 『電脳横丁』
朧を待っている間、レイジと明那は外資系の喫茶チェーン店に入っていった。
さすがにメイド喫茶には入らなかった。
「……逃亡生活はキツいけど、なんか久しぶりにゆっくりした感じがする」
身体を伸ばしながら、明那は言った。
「あんま気抜くなよ。別に逃げられたわけじゃない」
レイジは注意を促す、明那は苦笑する。
二階の窓からは秋葉原のメインストリートである中央通りが見える。
秋葉原はエレメントによる拡張現実が充実している。
店という店に情報タグやウインドウが幾重にも重ね付けされ、層と化している。
渋谷とは比べ物にはならないほどだ。
エレメントが作り出す仮象体を利用した情報は、現実世界を飲み込み、混ざり合っている。
まさに秋葉原は情報の拡張現実都市だった。
それは店内も同様である。
浮遊している情報の仮象体に手を触れるだけで、秋葉原のホットな情報をすぐ様垣間見せてくれる。現在位置や話題の店などの観光情報を手軽に、しかも無料で知ることができる。
携帯端末などはもはやこの時代、単なるファッションでしかない。
レイジはテーブル近くで浮いている喫茶店のロゴマークに触れた。
マークはメニュー表や喫茶店の運営会社が配信する情報を展開する。再び触れると、元の社名ロゴに戻った。
「レッスンばっかりで、地方出身者だから、近くに知り合いや友達はいないし、『仲間だけどライバル』っていう意識の方が強くて……。サバイバル形式だから油断してるとすぐ脱落させられちゃうの。恋愛が発覚して解雇された候補生の娘もいたな……。恋愛も禁止だから。候補者同士でも恋愛の話や、彼氏がいるとかの話はしなかったし……。みんなしてたのかな。わたしはその頃は夢に没頭してたから、恋愛してる場合じゃなかった……」
誰に聞かせるようでもなく、明那は語り出した。
明那の話を聞きながら、レイジは自分の発言を恥じていた。
今まで恋愛もままならなかったのだろう。
キスの発言はあまりにも無神経だったと、改めて反省していた。
「……歌手を目指して、どうしてウィザードに?」
レイジは明那にたずねる。
「わたし、ウィザードじゃないの。マージを共生実装しているけど、正確にはウィザードの技術を転用した、オフィリアの為のウェットウェアかな。関係者はシンカーって呼んでた」
「シンカー……?」
「森川ハルナって知ってる……?」
「一昔前の歌手だろ? 自殺したとか何とか――」
レイジは自分で放った自殺という言葉にかすかに痛みを覚える。
「彼女をデータ的に再現したのがオフィリアなの。わたしはその付属物か、デバイスみたいなもの――」
「……マジかよ」
「アイコニック社は森川ハルナのデータを買いあさって、電子的に再生したの。わたしのDNAメモリーには、そのほとんどが格納されている」
「何の為に……?」
「……さあ。過去のスターにすがりたかったんじゃない? 森川ハルナは一時代を築いた伝説的アーティストだから……」
明那はどこか投げやりに言った。
確かに芸能人志望の女の子に、周りの大人の思惑など分らないだろう。
「……もともとわたし沖縄出身で、歌手を目指して、地元の芸能養成スクールに通ってたんだけど、アイコニック社がタレント候補生を募集していて、そのオーディションを受けたの。候補生になれば、上京の手助けや当面の生活費も面倒見るって……。うち貧乏だから、親の負担も減るし、上京もしたかったから、いいチャンスかなって……下流の人間が這い上がるのに、芸能界はチャンスがいっぱい転がっている……そうでしょ?」
地方の経済格差――ニュースで語られる地方の真実を突然突きつけられた。
噂には聞いていたが、自分には関係ないとレイジは今まで気にも留めなかった。
しかし、体験者の話はやはり重く衝撃的だった。
「オフィリア開発のためのデータ収集の一環で、候補生たちの脳内データを取ったの。わたしの場合、オフィリアとの同調率が高いことがわかってね。会社はデビューの条件に、マージの共生実装を打診してきたの。わたしはその条件を飲んだ……。あたしのようなサンプル体は他にも何人かいるみたい」
「なんでそこまで――」
「候補生になってはみたものの、デビューできる当ても無く、キツい練習の毎日で、どうやったらデビューできるか先がまったく見えなかった……。ダンスが下手だったから、練習するしかないなって思って、レッスンが終わってからずっと鏡の前で自主練習したり、ビデオに撮って自分がどう映ってるのか研究したり……フリも覚えるまで寮には帰してもらえなかった……。食べることを忘れちゃってずっとレッスンをして、倒れて緊急入院しちゃって……。いっつも周りの顔色を窺ってたから、そのせいで、どんどん自分らしさがなくなっちゃってた気がする――」
明那の笑みにはいつもどこか影がある。
レイジはその理由を見た気がした。
「……でも、さすがに限界みたい――。みんなが求めているのは、わたしじゃなくて、結局オフィリア……森川ハルナだもの」
いつも明るい明那に疲れのようなものが見えた。
「ファンは裏切っちゃうことになるけど……。もう誰かの代わりに歌を歌うのはイヤだし、自分の歌をみんなに届けたいから……。また、一からやってみる。レーベルはいっぱいあるし、なんとかなるでしょ」
いつしか店内にはオフィリアの最新曲が流れていた。先日レイジが入手したものだ。
拡張都市秋葉原でもオフィリアの人気は高かった。
非現実的存在であるディーヴァノイドは、現実よりも非現実的なものを求める住人や街の空気と馴染みがよかった。
「幕張の騒ぎは……?」
レイジは別のことを尋ねていた。
さすがにそれ以上は明那の話を受け止められなかった。
「……うん、わたし。連中から逃げ出すために、オフィリアの力を使ったの」
「どんな機能を使ったんだ? オフィリアの……マージの機能は?」
「<インタラクティブ・ボイス>と<エレメント・ハーモニー>――インタラクティブ・ボイスはリスナーの識閾下やバイオリズムに働きかけ、ヒーリング効果のある声質を放つ機能。エレメント・ハーモニーはエレメントの同調による音域効果の拡張、設計上は無限に音域を広げられるって……。あとは、仮象変身機能による音源や演出の編集とか……。エレメントを媒介にして、――まあ、あくまで歌の演出効果関連のものよ」
明那のマージは、通常のウィザードのマージと仕様がかなり違うようだ。
「全部……歌のためか」
レイジはそう呟きながら、オフィリアの歌が識閾下に影響を及ぼすという事実に不快感を覚えていた。
依然、オフィリアの曲は店の中で流れている。
先ほどまで心地よかったはずの音楽が、違ったものに聞こえてくる。
アイコニック社、そしてナノテックス社のやり方にはいつもながら反吐が出そうになる。
明那は完全なる犠牲者だった。
「わたしは歌のための道具に過ぎない。自分で望んだのに……ね」
明那は自嘲気味に言う。
泣き出さないだけ、明那は強かった。
「レイジ君こそ、どうしてウィザードに……?」
明那の問いに、レイジは言葉を詰まらせる。
「……あんまし答えたくないな」
「そう」
明那はあっさり引き下がった。
「ならいい――」
話に夢中で、レイジと明那はオーダーしたカフェラテを飲んでいなかった。
二人のカフェラテは酷く冷めていた。
一時間すると、朧が戻ってきた。
朧は一匹の妖精のような仮象体を伴い、飛行している。
メイド服をまとい、背に羽を生やしている。まるで先日戦ったマージ<巣>のようだ。
秋葉原は仮象体が多いため、朧が出現していても、一切違和感はない。
朧はテーブルに舞い降りる。
「これは……?」
レイジは朧に尋ねた。
「アクセスポイント用のポート・キャラクター。この子を通して、電脳横丁には入れるわ」
「これが……」
明那も仮象体をまじまじと見る。
「暗号が組み込まれているけど、大したものじゃないわ。それでも一般人は無理でしょうね」
「じゃあ、さっそく――」
「……ちょっと待ってよ。身体をそのままにはできないでしょ?」
朧がレイジを止めた。
「どっか、ラブホテルみたいなところに移動しましょ」
「せめて漫画喫茶か、カラオケボックスにしてくれないかな。キスを奪われている立場としては――」
「……また、誤解を招くような言い方を」
レイジはウンザリしたように言う。
「いいわ。ちょっとピックアップするから。後はレイジの良心に任せましょう」
朧は含み笑いをする。
「一番危ない」
明那が笑いながら言った。
「……もう、いちいちツッコむのもメンドくさいんだけど」
ウンザリしながら、レイジは答えた。
結局セキュリティーの観点から、レイジと明那は秋葉原に程近いラブホテルに入った。
狭いパーティションで区切られた漫画喫茶のような所では、踏み込まれても即座に対応できない。
しかしホテルのような部屋ならば、さまざまな電子トラップを展開することも可能になってくる。
「こういう形で男の子と入ると思わなかったな……」
そういう明那の顔には、若干緊張に満ちていた。
「……相手が俺で悪かったな」
レイジは不満げに言う。
「そうでもないけど」
「えっ?」
「……嘘。ドキドキした?」
明那に弄ばれ、レイジは顔を真っ赤にする。
明那のほうが一枚上手のようだ。
朧は手を叩きながら、「……はいはい、ラブコメはそこまで。後は帰ってからにしてくれる……?」とレイジと明那のやり取りを止める。
三時間の休憩を選び、レイジと明菜は部屋に入っていった。
共にベットに腰掛けると、朧は妖精の仮象体にに触れると、コードブレイク作業に入った。
妖精に施された暗号は解読されると、妖精は別の仮象体アイコンと化す。
一枚の扉だった。
ポートキャラクターには特定空間のアクセスの為の情報が組み込まれている。
「……いつでもいいわよ」
朧の言葉に、レイジと明那はうなずく。
「……身体のほうは、わたしが見張っているから。だから一緒には行けない。この部屋に幻覚防衛などの電子トラップ全種を展開して警備は万全にするけど、危なくなったら、すぐに戻すからそのつもりでね」
朧の言葉にレイジも明那も頷く。
「……ウィザードなら、一度行ってみるべき場所かもしれない。まあ、君は半人前だけどね」
むっとしながらもレイジはあえて反論しなかった。
「明那は仮想空間ヘアクセスできるのか?」と尋ねた。
「……あっ」と声を上げる明那に朧は微笑む。
「あなたのマージは休眠状態だけど、仮想世界へのアクセスポートは付いているみたいだから、わたしがヘルプすれば問題ないわ」
朧の言葉に、明那はほっとした表情を見せる。
「あなたたちのアバターは任意にセットしておくわ。文句言わないでよ」
アイコンの扉が開いた。
「始めるわ」
朧の声と共に、レイジと明那の視界内の景色が急速に伸縮し、意識が拡張していく。
二人の意識は現実世界から、仮想世界へと旅立った。
11:10:43 <denno-yokotyo> LOGIN
意識が現実世界のホテルの一室から、ブロックが幾つも積み重なったような壁が左右に立ちはだかっていく。
欧州の古都にあるような石畳の路地と壁にはさまれた圧迫感に満ちた世界だった。
まるで迷宮に迷い込んだような感覚だった。
「ここが電脳横丁……!」
レイジの言葉に明那は頷く。
「ウィザードの情報交換の地、社交空間――」
レイジのアバターに、明那は吹き出す。
レイジは木の杖を持ち、フード付きのローブを纏った、まるで魔法使いのような格好だった。
「……何その格好?」
明那は笑いながら尋ねた。
「……そっちこそ、スベってるぞ」
「そう? 結構似合ってると思うけど……」
明那は童話に登場するお姫様そのものだ。
王冠を頭に乗せ、チェーンの首飾りにイヤリングを身につけ、裾の広がったピンク系のドレスを纏っている。髪の毛はご丁寧に緩く巻かれ、セットされてある。
朧の作為を感じた。
現実世界に戻ったら、文句を言わないといけない。
「ファンタジー世界を模した仮想空間か……」
レイジは自分の姿と周りを見ながら言った。
まさに、剣と魔法の世界だった。
電脳横丁は、ウィザードの魔法使いや秘術を伝え受け継ぐ隠者へのあくなき憧れを象徴しているような世界だった。
サーバー上に築かれた仮想世界に敷かれた路地は曲がりくねり、どこまでも続いている。
路地の両脇には露天市場が並び、露天の店棚には、果物や野菜などの食材がぎっしりと置かれている。
レイジは露天においてあるリンゴを一つ取り上げた。
ただのオブジェクトだと思っていたが、違った。
フルーツと野菜は、違法ソフトを偽装ファイル化したものだった。
軍の横流しのものから、マニアが作った同人戦闘ソフト、物を違法複製する偽造レプリケータのOS、フリーウェアのマージ形成ナノテクプログラム、神経系の擬似感覚麻薬などウィザード関係のアプリソフトやアングラツールが売買されている。
もちろん偽造されているのは捜査当局の眼を逃れるためである。
偽装を解く技術が無ければ、使用はできない。
「……あんまりグズグズしてられないぞ。さっさと情報避難地へ行く方法を探し出して、現実世界へ帰ろうぜ」
レイジはリンゴを戻しながら言った。
「うん。……では魔法使い様、参りましょうか」
そういいながら、明那は手を差し出した。
「ったく、ノリが良過ぎるんだよ……」
「……レイジ君こそ、せっかくなんだからもうちょっとノッてよ」
「はいはい、姫」
レイジは明那の手を取ると、ローブとドレスを翻し、道の奥へと進んでいった。