ウィザード同士の戦い
店を出ると、蜂を逃れるように、レイジと明那は町内を逃走していた。
「……どこに逃げるの?」
明那は走りながら、レイジに尋ねた。
「駅に決まってんだろ……!」
駅入り口まで直線で約300メートルの所まで来ると、行き先を塞ぐように蜂の大群が待ち伏せしていた。
レイジの姿を確認すると、蜂の大群は一斉にレイジ達へ向かってきた。
レイジは舌打ちすると、蜂を避けるように来た道を振り返る。
蜂は適度な距離ととって追跡してくる。
「……誘導されてる」
レイジの肩に乗る朧が言った。
「みたいだな」
「……ハッキングしている暇はなさそうよ。戦闘蜂に装填されているのは間違いなく毒物かBC兵器――。一匹クラックしている間に、体中刺されるわ」
「くっそ!!」
毒づくレイジの歩道すぐ横の道路に燃料電池駆動の白いセダンが横付けされている。運転席には誰も乗っていなかった。
車の脇を走りすぎるとき、朧が「車でもパクる?」とたずねてきた。
車の防犯機能をハックし、オート運転させる違法ソフトはメモリー内に保存していた。
「……できるわけないだろ」
レイジはすぐに断る。
さすがにそれはできなかった。
駅からどんどん離れていく。
レイジと明那は反対側の道路へ渡るため、歩道橋を駆け上がり、上に達した。
階段を上りきったとき、前方の空間が歪みながら油の油膜のように鈍く七色に輝いている。
レイジは足を止める。
「……どうしたの?」
明那は尋ねるが、レイジは無言だった。
ウィザードスキルの一つ、ステルス擬態だった。
ステルス擬態――エレメント制御によるウィザードの周囲をカメレオンのように背景にあわせ変幻自在にどんな色にでも変貌するウィザードスキルで、仮象変身機能もこれに当たる。
移動と共に常に変化する背景に合わせるリアルタイムな電子迷彩技術である。
電子迷彩技術の登場は、戦場の光景が一変させた。
アンブッシュや変装によるステルス技術と、そしてそれを見破るセンシング技術はもはや戦争において、どちらも必要不可欠な戦術だった。
そしてウィザードも戦争において外す事のできない戦略の要となっていた。
「……姿見せろよ」
レイジが言うと、カモフラージュが解かれ、人影が現れた。
「――紅龍。アイコニック社のPMCウィザードだ」
紅龍と名乗る女は、赤い戦闘スーツを纏っている。
「……こっちは名乗んねえぞ」
レイジは光学剣を読込し、実行出現させると、紅龍へ向って威嚇するように構えた。
レイジの光学剣の実行スピードに、紅龍は感心していた。
「……ガキの癖にずいぶん高性能のマージを共生実装しているみたいだな?」
「関係ねーよ」
蜂が追いつき、レイジの後ろに位置する。
「……偵察型じゃないな。戦闘型か……?」
蜂を見ながら言うレイジに、紅龍は笑う。
「その通りだ。……戦闘蜂と言って、小型でありながら、スペックは無人戦闘機と同じだ。わたしのマージ<巣>は多数広範囲モデル……それをカスタマイズしたものだ」
紅龍周辺のエレメントが励起し、電子光がチカチカする。
紅龍のマージ<巣>がその姿の現していた。
<巣>の仮象体は、童話に出てくる妖精のような姿だった。
黒いヒラヒラのドレスを纏い、頭には草花で作った冠を被った妖精をカリカチェアした仮象体は、セロファンのような羽根を広げ、マージの能力を全開にする。
戦闘蜂の一匹一匹が紅龍の眼であり、手足であり、忠実な僕だった。
「下がってろ」
レイジは明那に指示を出す。
「生み出した蜂たちは、女王であり指揮官であるわたしに絶対服従だ。……では行け!!」
戦闘蜂が群れを成し、移動を開始した。
レイジは光学剣を振るい、飛び交う蜂を切り裂いていく。
剣で蜂を牽制しながら、レイジは距離をとった。
「サージ・ブリンガー読込!!」
レイジは朧に命令を出す。
「了解!」
戦闘ソフトが光学剣にインポートされ、蒼白く変色する。
「実行!!」
レイジはサージ・ブリンガーを発動させた。
光学剣を中心に、エレメントがクラッシュし、EMPパルスが発生する。
<巣>の仮象体が消え去り、戦闘蜂も電磁パルスのサージに飲み込まれ、電子回路が焼き切れる――はずだった。
戦闘蜂は健在だった。
紅龍は笑う。
「……戦闘蜂はECCMを施している。擬似EMP攻撃は効かない。残念だったな」
戦闘蜂は一旦旋回し、警戒するようにレイジとの距離を開けていた。
茫然自失のレイジに、さらに別の出来事が襲った。
レイジの光学剣が消失していく。
「……しまった!」
レイジは致命的ミスを犯した事を悟った。
エレメントの消失は、ウィザードとしての技を発動させる触媒を失うことそのものであった。
「空気中のエレメント比率、急激に低下……! 戦闘ソフトの一部が使用不可!!」
朧の仮象体も希薄になり、ノイズが走る。
レイジのDNAメモリー保存されている戦闘デッキはエレメントを媒介としたプログラムが多数を占める。エレメントが存在しないと、使用できるソフトに制限が出る。
一方で、マテリアルから作成した戦闘蜂は単独で行動し、エレメント消失にほぼ影響がない。
マージの特性が明暗分かれた形になった。
紅龍は笑う。
「……素人の戦い方だな。エレメントが消失すれば、ソフトが使えなくなることぐらい想像つかなかったのか……?」
レイジはDNAメモリーのサムネイルを開き、使用できる戦闘デッキやソフトを検索するが、殆どが使用不可であった。
焦りがレイジの全身に伝わっていく。
じわじわと戦闘蜂がレイジを追い詰めていく。
「――行け」
紅龍が蜂に指示を出す。
戦闘蜂は黒雲の様に隊列を成して、レイジに迫ってきた。
「エレメント回復まで約五分。……場所を変えたほうがよさそうよ」
警告を告げる朧の姿も希薄になっている。
レイジはあるウィザード・スキルが頭を過ぎった。
「朧、ナノブレスだ……!!」
レイジは指示を出す。
胸部が熱くなっていく。
戦闘蜂が尾部を向け、毒針の狙いを定めた時、レイジは息を戦闘蜂に吹き付けた。
蜂が突然塵と化した。
ナノブレス――胎内の代謝制御用ナノマシンなどを、別の用途に作り換えた上で息に混入させ、放出するウィザード・スキルである。
暗殺目的で、呼気にナノマシン型ウイルスを混ぜ、空気感染させるのが主流だが、レイジが合成したのは、自己組織化機能を初期化するナノマシンだった。
これを噴霧することで、カーキ・グーの自己組織化現象を破壊し、バラバラと化す。
エレメントは使用できないが、胎内のナノマシンならば存在した。
紅龍が舌打ちした。
レイジのナノブレスにより、戦闘蜂が次々と崩れ去ると、逃走経路が開けていた。
「走れ!!」
レイジの掛け声に明那は頷き、一緒に駆け出した。
「逃すか!!」
紅龍が戦闘蜂をけし掛け、レイジの後を追いかける。
歩道橋を降りようとするレイジ達を、羽音を立てながら、戦闘蜂は高速で飛行する。
レイジはナノブレスをすでに使い切っていた。
戦闘蜂全てを掃討するには、量が少なすぎた。ナノマシンの生産が追いつかない。
階段を降り切り、下に着いたとき、戦闘蜂が尾部を向けながら、飛び掛ってきた。
レイジに向けて毒針を発射した。
だが、レイジに着弾することはなかった。
明那が覆い被さって、盾となり、レイジを庇っていた。
明那の背中に毒針弾が被弾している。
レイジは明那と一緒に道路に倒れたとき、右手に光学剣が再度出現した。
「エレメント率、戦闘ソフト使用基準値をクリア! いつでもどうぞ……!!」
朧の言葉がレイジの頭に響く。
エレメント比率の回復に朧の姿も安定性を取り戻している。
レイジが起き上がると、紅龍が戦闘蜂と共に駆け足で降りてきた。右手にはレイジと同様、光学剣を出現させている。
レイジは怒りでカッときていた。
光学剣で戦闘蜂を蹴散らしながら、レイジは紅龍へ向かって行く。
力任せにレイジは剣を上段から打ち込むと、紅龍が下段から受け止める。
光学剣が合わさり、反発しあうように放電現象を起こす。
「<ニューロブレイカー>読込!!」
電磁高周波の刃を合わせながらレイジは戦闘ソフトの読込を命令していた。
ソフトの読込が終わると、光学剣にインポートする。光学剣が真っ黒に染まっていく。
紅龍の顔色が変り、光学剣を離すとレイジから距離をとった。
一方で紅龍の防衛本能に呼応するように、戦闘蜂がレイジに襲い掛かった。
蜂はレイジに張り付き、身体中に針を突き立てていく。
だが、レイジは蜂の攻撃に怯むことなく、ソフトのターゲッティングを、紅龍に設定していた。
そのまま突進し、紅龍の間合いに再び踏み込む。
<巣>の仮象体が、レイジの行く手を阻むように出現した。
レイジは光学剣を仮象体に突き刺すと、
「実行……!!」
と叫んでいた。
レイジの声と共に発動したプログラムに、仮象体が絶叫し、紅龍は激しい痙攣を起こし、頭を激しく揺らす。
ニューロ・ブレーカー――BMIネットワーク経由の神経攻撃ソフトである。
米軍電子戦略部隊が作り上げた殺人兵器として悪名高く、仮想現実内でも使用が可能であり、現実世界同様に神経系にダメージを与える。出力しだいでは、ニューロンを焼き切り、即死させることも可能な強力なソフトだった。
BMIネットワークが逆流現象を起こし、マージへ直接攻撃を企てる。
マルチワイドレンジ型マージはBMI機能により、作業機械群と遠隔操作や情報交換を行っている。
情報量の過負荷による逆流防止のため、防壁を神経繊維レベルでブロック単位に展開しているが、ニューロブレイカーの過負荷は、簡単に防壁を吹き飛ばした。
広範囲高感度のマージであるがゆえに、効果は絶大だった。
破り裂かれた布のように、仮象体が散り散りと化し、マージと脳を連結するナノファイバーが断線し、マージを形成するDNAメモリーや中枢核クラスタなどの主要回路が次々とクラッシュしていく。
戦闘蜂の動きも止まっていた。羽ばたきが停まると、地面に落下する。
紅龍は白目を剥き、後ろに派手に倒れた。
毒の影響か、レイジも足元がふらつき、息を荒くしながら、その場に膝を屈していた。
「……毒は処理中よ。もう少し我慢してね」
朧の報告に、「ああ」とレイジは身体にくっついている戦闘蜂を払いのけながら言った。
「とりあえず明那ちゃんを運びましょ」
朧の言葉にレイジは頷くと、やっとの思いで明那を肩に担ぎ上げ、その場を去っていった。