渋谷でのナノマシン戦
渋谷駅を出て、空を見上げるとエレメントが励起し、光の紙片が宙を舞っていた。
まるで空から雪が降っているような光景だった。
光の紙片はすぐ様、集まり、人の形となった。
エレメント型広告オブジェクトだった。
CMのイメージキャラクターが夜の空に映し出される。
ユーティリティー・フォグレット<エレメント>の機能である。位相制御による発光機能と情報伝送により見たいものをホログラムでリアルタイムに投影できる。
ビルに区切られた空は、エレメントが作り上げる仮象広告で埋め尽くされ、利用領域は極めて少ない。
情報発信基地である渋谷ならば尚更だった。
渋谷は、環境建築型タワービルがいくつも存在していた。
前世紀初頭、政府、民間、企業が一体となっておこなった都市改造計画が、「東京都再構築化計画」である。かつてこの街は、人工の過密、郊外への拡散化に因る都市機能の効率の低下、ヒートアイランド現象による都市環境の悪化などにより崩壊寸前だった。
水平拡張している都市を、一千メートル級の超々高層建築物の建設と、地下七十メートルの大深度地下利用により垂直へ拡張することで都市を立体化する一方、立体化により解放された地表面を利用した快適環境空間の創造によりメリハリのきいた街造りをするという内容である。
地下は首都圏を維持、管理する交通ネットワークやライフラインを再整備し、廃棄物処理場や発電所などの巨大支持施設の建設に活用された。
都市改造計画の最終事案として実施されたのが、ユーティリティー・フォグレット型ナノマシン<エレメント>の散布である。
この一大事業はレイジが誕生直後に終了した。
渋谷のエレメントおよび空間の使用料は、極めて高額であった。
『肌に光のアクセント――』
ナレーションが流れる。
オフィリアの化粧品メーカーの仮象広告だった。
美しい声に、宙に浮かぶ美の結晶ともいえるイメージモデルがする意志の強そうな眼差しは、街を行きかう人々の心を捉える。
足を止め、オフィリアを見入っている者も少なくない。
芸能人にあまり興味のないレイジはその場を通り過ぎようとした。
黒のコスチュームに身を包み、ミニスカートから生え出る長い足は確かに目を引くが、すぐに目を戻した。
レイジはクラブ『アーバントライブ』に着いた。
アーバントライブ――公園通り近くにあるオオバコのクラブである。
音楽やダンス、アートはもちろんこと、料理なども充実し、音楽イベントのみならず格闘イベントなども行われている多目的エンターテイメントスペースである。
クラブカルチャーを牽引する存在として、渋谷では有名なプレイスポットであるため、人の出入りも激しい。
今日は未成年も入店できる日だった。
ネオン文字に加え、仮象体フォントが、建物を飾っている。
仮象体スクリーンが展開し、近々行われるパーティーイベントが大々的に告知したり、宣伝内容がめまぐるしく変わる。
待ち合わせ時間より、若干早く到着した。
店を前にし、レイジの視界に朧が出現していた。
周囲の人間には見えない脳内エージェント・モードである。
――……アドレナリンの量が高まってるよ。
朧の言葉に、レイジはギクリとした。
――ひょっとして緊張している?
――……苦手なんだよ。こういう場所。
朧とレイジは脳内対話で言葉を交わしていた。
入り口フロント近くで待ち合わせの予定だった。
ウィザードが人間の能力を高める者たちならば、アーバントライブは外見にこだわった連中の姿が目立つ。
タトゥーに始まり、髪や瞳、肌を黒人のように変色したものや白人のように漂白したものなど、ナノテクによる簡易整形を施し、さまざまな外見改造を行っている。
アーバントライブはナノテク・フリークスの巣窟だった。
ナノテクファッションを繋がりにしたフリークスのストリートギャングの拠点であり、影で麻薬の売買も行われているという噂もあった。
「……帰りてえ」
クラブの客を見ながら、レイジの口から思わず言葉がこぼれる。
明らかに気後れしている自分がいる。
クラブを訪れたことに、激しく後悔していた。
――ナードの君にはきつい場所かな?
朧がくすくす笑いながら脳内でからかった時、「レイジ君……?」と声を掛けられ、レイジは振り向いた。
女の子が一人立っていた。手には携帯電話を持っている。画面が明るく光っているとことから、おそらくレイジのプロフを確認しているのだろう。
大きな帽子を被り、モスグリーンのファーブルゾンにスキニジーンズ、サングラスをかけている。肩にはトートバックを下げていた。
年齢はレイジとさほど代わらないようだ。
均整の取れたスタイルに、小作りな顔が乗っかっている。
ぱっと見は駅前でたむろしている様な家出娘にしか見えない。
アーバントライブは家出娘たちの巣窟でもある。
宿を求めて、パートナーを探す者たちの姿も少なくない。
店のターゲットにしているのは、主に十代や若者で、街を彷徨う都会の部族達の社交場であった。
「……はじめまして。比嘉明那です」
女の子は、顔の半分を覆うような大きなサングラスを外すと、挨拶する。
サングラスの下はかなり可愛かった。
目鼻立ちはくっきりとしていて、人目を引く大きくて綺麗な瞳に、鼻先がツンと上を向いている。
学校に通う同年代の女の子など比較にもならないほど可愛かった。
レイジも簡単には無視できないほどフォトジェニックな美しさを持つ。
リサの言葉に偽りなかったようだ。
明那と名乗った美少女はすぐにサングラスを掛ける。
「……突然、電話しちゃってゴメンなさい」
明那はまず真っ先に詫びた。
「……俺のこと、リサからだっけ?」
少し迷惑そうにレイジは尋ねた。
「……試供品をもらって、偶然仲良くなってね。プロフ交換し合って、ナノテクに詳しい人知らないって聞いたら、あなたの事を紹介してくれたの」
以前、リサの肌ケア用のナノテクが誤作動し、肌荒れが酷くなり、ウィザードの力を使い修正したことがあった。
「……中で話さない?」
明那は店の入り口を指差しながら言った。
「ああ」
明那に促されるままに、レイジはクラブ中に入っていった。
クラブの中央に存在するダンスフロアは吹き抜けで、最新の照明や音響施設が設けられ、サイバーテクノが鳴り響き、光と音が駆け巡っている。
来店者たちは、まさにトランス状態だった。
エレメントによる演出はないが、光と音で頭が痛くなってくる。
声も聞き取りづらい。
レイジと明那はダンスフロア隅にあるテーブル席に向かい合って座る。
壁を背後に座る明那に、「で……?」とレイジは切り出した。
「わたしの身体のナノテクを除去してほしいの」
「えっ? 何!?」
周囲の激しい音に、レイジは思わず明那の言葉を聞き逃していた。
「わたしの身体のナノテクを除去して欲しいの!」
明那は大きい声で答えた。
「……市販のリムーバーでできるだろう?」
レイジはやんわり断りながら、明那を観察していた。
ナノテクの改造を受けているようには見えない。
改造している来訪者に比べれば、遥かにノーマルに近いように見える。
顔立ちは自然な作りだし、整形してるようには見えない。肌の血色もよく健康そうだ。
ナノテクを頼るような先天的な病でも抱えているのか、それともタトゥーを身体に入れているのだろうか。
「……できないの」
明那は言いずらそうに答えた。
「どこの部分のナノテクなの?」
レイジの問いに明那は頭を指で突く。
「頭……?」
明那は頷く。
「……まさかマージか?」
レイジの言葉に、明那は驚いた顔を見せる。
「知ってるの……? マージの事」
「……まあ」
しまった、とレイジは思ったが、遅かった。
明那の顔が明らかに輝きを増している。
可愛いだけにタチが悪い。
「腕のいい専門医でも紹介しようか?」
レイジは話をそらすように言った。
「……難しいと思う」
明那は拒否した。
正規の医療機関を頼れないというのはそれなりに理由がある。
トラブルの匂いをエイジは嗅ぎ取っていた。
「ウィザード――」
明那が言った。
「誰か知らない……?」
「犯罪絡みか……?」
レイジは警戒した。安易に自分がウィザードであると名乗ることはできない。
ウィザードの能力を犯罪に利用しようとする連中は多い。
「……違うの。そうじゃなくて――」
「あのさあ、全部話してくれないと相談の乗りようが無いだろ。いちおこうして来てる訳だしさあ……」
「……ゴメンなさい」
明那の先ほどからどこか落ち着きがない。
サングラスを掛けたまま、常に周囲に気を配り、警戒しているように見える。
「まさか、誰かに追われているのか……?」
明那はレイジの言葉に、一瞬否定するようなそぶり見せるが結局頷く。
明那の表情が変化していた。
レイジは明那の視線の先を見る。
三人連れの男女が立っていた。
男女はレイジと明那へ向かって近づいてくる。
二人の前に立つと、「……やっと見つけたぞ、比嘉明那」と女が言った。
明那は避けるように顔を背ける。
アジア系の美女で、レイジと差ほど年齢は変わらないようだ。
女は明那と同じく、サングラスを掛けている。女性にしては長身な身体に赤の戦闘スーツに身を包み、背後には二人の黒いスーツを着た男を従えている。
アイコニック社のウィザード、紅龍だった。
「……人違いじゃないんですか?」
明那は言った。確かにサングラスをつけている為、顔は確認しづらい。
「アイコニック社に雇われた人間と言えば納得するか……?」
アイコニック社という明那の言葉に、レイジに眼つきが変わる。
「……探すのに苦労したぞ。手間を掛けさせてくれるな」
紅龍は疲れたように息を吐きながら答えた。
「サングラスで顔を隠しても無駄だ。……あらゆる痕跡は消せても、匂いまでは消せなかったようだな」
いつしかレイジの視界には朧が出現している。
周囲には朧は見えない。
脳内エージェント・モード――視覚皮質に自らの姿を書き込んでいる状態だった。
レイジは朧を通し、密かに三人のセンシングを開始していた。
背後の男は、体温分布が人間と違っていた。
――構成素材はナノマシンマテリアル、全身が化学物質を感知するナノセンサー構造になっている……匂いを感知する奴ね。ようはナノ粘土のお人形よ……。マージのブレイン・マシン・インターフェイス機能で、そこの女とオンライン状態――。
朧の告げる情報が頭の中に流れる。
「……嗅覚センサー搭載のクレイマトンか」
レイジの言葉に、紅龍は怪訝な顔をした。
「――詳しいな」
――エレメントは……?
レイジは脳内会話で朧に尋ねる。
――十分。エレメントのバージョンアップも終了しているから、誤作動の確率はコンマ以下。
――光学剣の読込を……。
――了解。このまま戦闘態勢に移行するわよ……!
「付いて来てもらおうか?」
紅龍は明那に冷たく告げた。
「イヤだと言ったら……?」
明那の代わりに、レイジが答えていた。
「……ガキが。イキがると死ぬぞ」
「……やってみろよ」
エイジは笑う。
女の後ろ右側の黒スーツの男は口を開くと、レイジに息を吐く。
男たちが口から吐き出したのはエアロゾル型のナノテク兵器だった。
「言っとくけど、ナノマシンのガス攻撃は通用しねーぞ……!」
レイジは不適に笑いながら言う。
「こいつ……!?」
「実行……!!」
レイジの声と共に、光の剣が出現した。
「光学剣……!?」
驚く紅龍に、実体化させた光学剣をひらめかせ、レイジはクレイマトンに斬り込んで行く。
光学剣――エレメントを組み替えることで、励起状態にし、電磁高周波の刃を形成、切断現象を起こすウィザード・スキルである。
麻痺モードに移行すれば、非殺傷兵器としても使用できる。
朧が仮象体としてフィギュアくらいの大きさで出現し、レイジの肩に乗っかっている。
「ウィザードか!?」
ウィザードの要、戦術AIたるマージ朧は完全にアクティブ状態だった。
朧の戦闘モードへ移行し、脳に形成されている情報処理機能が活性化する。
朧の命令受けて、ナノファイバーにより結線されたマージや胎内で待機状態のナノマシンが動き出す。
負傷を担当する医療型に神経伝達の加速化、代謝機能の調整など、様々な機能を持つナノマシンが起動し、胎内に配備される。
朧がエレメントを利用し、空気中物質を分析しながら、マージによる戦闘ソフトの組み合わせたデッキが解凍起動する。
必要なナノマシンの自己組織化および組み合わせ作業は終了している。
光学剣の切断モードによる攻撃は、クレイマトンの腕を切り裂く。
切断された断面は、粘土のような質感をあらわにしていた。
だが、粘土人形は腕を切られても、活動を停めない。
「ユニット2行け!!」
紅龍に指示にクレイマトンが動く。
だが、レイジのほうが早かった。
「サージ・ブリンガー、読込……!!」
レイジのオーダーに、朧を耳をくすぐるように笑う。
久しぶりのウィザード同士の本格的戦闘に喜んでいるようだった。
エイジの命令にマージの記憶媒体であるDNAメモリ内に保存されている別の戦闘ソフトの読込に入る。
読込と同時に、プログラムを光学剣にインポートすると、光学剣が青みを帯びる。
「実行……!!」
レイジの声と同時に、光学剣を中心に周囲に放電現象が発生し、静電気が走りすぎていくような現象が起きた。
エレメントが過負荷により焼き切れ、電磁障害が発生していく。
周囲に磁気嵐が吹き荒れ、電磁波が駆け巡った。
「どう? サージのシャワーは……?」
レイジと朧が仕掛けたのは、EMP攻撃だった。
クレイマトンに、EMP現象により発生する電磁波でクレイマトンにインストールされているプログラムを初期化する。
黒スーツの男は大きく痙攣すると、自己組織化していた身体が服ごとヒビが無数に入っていくと、崩れ去る。
放電現象が飛び散り、クラブ内の電飾が弾け飛び、四散する。
周囲から悲鳴が上がった。
「逃げるぞ!!」
レイジの言葉に、「えっ」と状況を飲み込めないのか明那は聞き返す。
「局地的な電磁パルス障害が起こって、エレメントが一気に消失した。様子を見に管理会社や警察がすぐに来る。急げ……!」
「う、うん」
放電現象が生じ、空気が焦げ臭い匂いが漂う中、レイジは明那の手を引いて、クラブを出ていた。
手を引っ張られる明那の口に笑みが浮かんでいた。
「ま、待て!!」
紅龍の制止の声が背後に響く中、大混乱の店内に二人は紛れ、消えていった。




