001 転生
もっと生きたい……と願っていたはずなのに。失われてしまった大切な人た
ち。彼らの魂はどこに流れていくのだろう。大切な命は、どこに行きつくの
だろう?
僕はそれが知りたい。どうしても知りたい。
もはや死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。 ヨハネ黙示録21:4
僕は死んだ。
もうじき成人式を迎える、ほんの一歩手前で。
そのことを、とても残念に思う。僕は特別優秀な人間じゃない。将来有望という
わけでもない。それでも……。それでも精一杯生きて、人並みに努力もしてきたの
に。
「大丈夫よ、すぐに救急車が来るからね」
「もうじき救急車が到着するから、がんばって!」
僕を励ましながら、声を掛け続けてくれる人たちがいた。…優しいな。見知らぬ
僕を安心させようと、気遣ってくれた人たち。誰だか知らないけれど、あなたたち
の幸せを祈っている。
そう思いながら、母親や二つ違いの姉や、同じ大学の同級生の顔を数人思い浮か
べていたら、僕の意識はだんだん朧になって、やがてふんわり消えていった。
周囲は深淵。どこまでも闇で、自分の手のひらさえ見えない。そもそも、今の僕
に手のひらがあるのかもわからない。
……僕はたしかに死んだはずだ。酷い交通事故で……。
そして…。
次に目が覚めた瞬間に、僕の新しい人生が始まっていた。
「おめでとう、サイラス!」
いきなりガバッと抱きしめられる。にこにこ微笑んでいる金髪の人懐っこい青年。
彼が誰だか、僕にはすぐにわかった。
「えっと………オリバー?」
オリバーは僕の三つ年上の兄だ。間違いない、僕・サイラスの兄。だがしかし。
「成人おめでとう、サイラス!」
えーっ? いきなり成人? 待て待て待て! 「生まれ変わり」っていうのは、
赤ん坊に転生してやり直すんじゃないのか? あちらで成人前に死んだから、その
分をスキップしたとか?
「……もしかして、これは夢?」
僕はコテリと首を傾げる。誰か、頬をつねらせてくれ!
「夢じゃないよ、今日からお前も立派な大人だ。貴族として、ドイル家の一員とし
て恥じないようにがんばりなさい」
父親のシオドアから声を掛けられる。
…父親か。ユウキだった頃、僕には父親がいなかった。母親はシングルマザーで、
姉と僕と三人で都内に暮らしていた。
「今日は僕の………成人式だね?」
「今日はお前の元服の日だよ」
茶色の髪の中年男性が応える。いかにも優し気なこの男性が、僕・サイラスの父
シオドアだ。父は元服という古い言い回しを使っている。まるで昔のサムライみた
いだな…と感心する。
父も兄も美しいエメラルドグリーンの瞳をキラキラさせている。「サイラスの成
人がうれしくてたまらない」というように。
僕は帯の結びを確認するふりをして、鏡に映る自分の姿を見る。サラサラの水色
の髪。そして、エメラルドグリーンの瞳。父と兄と同じ瞳を持つサイラス。
水色の髪か!
嘘だろ? 水色の髪の人間なんて、アニメか漫画でしか見たことないぞ? そも
そも人類じゃないんじゃないか? 異世界人種……いや、もしかすると僕が知らな
いだけで、水色の髪の原始人くらいはいたかもしれないけど…。
鏡の中のサイラスは、僕を不思議そうに見返していた。サイラスは真新しい、白
い衣装を纏っている。それは少し着物に似ているような、あるいはバスローブのよ
うなデザインだ。下には袴より少しだけ幅の狭いボトムスを履いて、簡易な帯で結
んでいる。この袴もどきと帯は同じ紺色で、帯には金の刺繍が施されている。
「とっても似合うよ、サイラス!」
オリバーが晴着姿を褒めてくれる。
「遅れたらまずいから、少し早めに出かけよう」
「父上、もう馬車は呼んだのですか?」
これから成人式で、同時に僕の任官式でもある。貴族の成人は十五歳、これもサ
ムライのしきたりと一緒だ。
僕の第二の人生は、なんと成人式の朝から始まった! スキップしすぎだろ!
馬車の御者は物慣れた感じに、「本日はおめでとうございます」と挨拶する。馬
車にはドイル男爵家の家紋が刺繍された旗が立てられている。我が家お抱えの馬車
ではないが、こうして家紋入りの旗さえ掲げておけば面目が立つ。
面目が大切なのは、この世界の貴族もサムライと一緒らしい。僕は時代劇が好き
だったので、貴族として(余裕で)やっていけそうだ。
オリバーがにっこり笑いながら、御者に「こころづけ」を渡す。心づけを渡すこ
と自体が、我が家では珍しいのだ。僕の成人を父と兄がいかに喜んでいるのかわか
る。
……我が家は貧乏男爵なのに、僕の成人式だから馬車を呼んでくれたんだな。
そんな知識がどこからもたらされるのかわからない。それでも「ありがとう、父
上」と素直に喜ぶ自分と、「いったい何なんだ、これは?」と戸惑う自分がいる。
僕がどんなに戸惑っても、サイラスの灰色の脳細胞はこの世界の知識をしっかり蓄
えているようだ。
サイラスの記憶の通りの、控えめな邸宅の門を抜けて、馬車はゆっくりと走り出
した。この世界の馬は、僕の知っている日本の馬より少し足が太い。全体に太って
いる気もする。
荷物を運ぶことが多いために、そうやって進化したのか。まったく別の種類の馬
なのか。そんなことを考えているうちに、馬車は小高い丘に出た。
……えっ、サクラ?
青い空の下で大きく枝を広げ、まるで雲のようにモコモコと咲く白い花。丘の上
に一本だけ植えられた木が、美しい花を咲かせている。ここは今、まさに春の盛り
なのだ。その枝の広がりと大きな幹で、かなりの古木だと思える。
……ソメイヨシノ?
そんなはずがない。ソメイヨシノは、江戸時代に日本で交配された品種だ。自生
はしていない。ソメイヨシノは接ぎ木でしか増えないのだ。だから、こんなところ
に咲いているはずがない。
だけど、びっくりするくらいそっくりだ……。
サイラスが不思議がっているうちに、馬車は町外れのアトス寺院に到着する。こ
こで本日の式典が執り行なわれるのだ。
今年元服するこのエリアの貴族はすべて集まる。もっとも、サイラスと同じ歳の
未成年者は、同じエリアでたった五名しかいない。貴族街でも、ここはやや外れに
位置しているためだ。
「ご成人、おめでとうございます」
新成人よりも付き添いの家族が多い会場で、シオドアとオリバーも周囲に挨拶を
して回っている。サイラスは新成人に用意されたテーブルに近づいていく。
「よっ!」
「やっ!」
同級生が声をかけてくる。貴族らしい気品もなにもない、男の子同士の挨拶だ。
今日成人を迎えるといっても、人は急に大人になれるわけではない。
「サイラス、このアトス寺院で働くんだって?」
「ああ、ここは寮があるから都合がいいんだ」
「町外れだから、家からの通いじゃ遠いからね~」
「俺のところは寮がないんだ、毎朝、片道2キロ以上だよ!」
「え~、馬車代(通勤費)はつかないの?」
「まさか! 馬車がつくほど俺らは偉くないだろ?」
みんなが口ぐちに、春からの新しい職場の話題を始める。成人すると同時に、貴
族は何某かの仕事に任官するのが一般的だ。よほど経済的な余裕がなければ、無役のま
ま過ごすことは難しい。
寺院特有のゆったりした音楽が流れて、式典が始まることが周知される。
成人の式典は、シンプルで美しい。新成人の名前が順番に読み上げられ、成人の
証として錫杖と短剣が授与される。役職によっては、錫杖の代わりに長剣と盾
を授与される者もいた。
サイラスの順番がきて、名前が呼ばれると白い法衣を着た男性の前までそろりそ
ろりと進んでいく。お貴族様の作法は厳しい。見よう見まねで躓いて、自分の錫杖
を受け取る。
……あっ?
錫杖を受け取った瞬間、体の中にビリッと大きな痺れを感じた。
記憶が……。
僕・ユウキの中に、サイラスの記憶が下りてくるのがはっきりわかる。サイラス
の最初の記憶。微笑む父上、今はもういない母上、まだ子供だったオリバー。
サイラスの記憶はどんどんスピードを増して、僕の中に溢れてくる。どこからか
もたらされていた「何故か知っている」知識ではなく、この記憶が誰のものかはっ
きりと知っている。
……記憶がダウンロードされた?
「サイラス、短剣を授与します」
「謹んでお受けします」
僕は左手で錫杖を持つとシャランと一回遊環を鳴らし、右足を軽く後ろに引く。
短剣を右手で受け取ると、左腰の帯にしっかり差し込んだ。もう作法に迷うことは
ない。サイラスは成人式の作法をしっかりと覚えていたから。
「カッカラ…」
カッカラというのが、この国での錫杖の呼び方だ。サイラスは家に帰る馬車の中
で、自分の錫杖を見つめる。このカッカラを手にした瞬間、自分の中にサイラスが
降りてきたのだ。
そして、今はまるでサイラスとユウキがぴったりと重なり合ったように感じられ
る。
なんていうんだろう、こういう感覚……。もしかして、二人羽織?
「……不思議だ」
金色の錫杖は揺らすとシャラシャラと音がする。頭部に遊環と呼ばれる輪っかが
ついているためだ。サイラスのカッカラには、遊環が2つだけついていた。
「サイラス、どうした? 疲れたのか?」
ふと気がつくと、馬車の中でオリバーが心配そうにこちらを見つめている。
「…いや、大丈夫」
オリバーはいつもそうだ。子供の頃から、いつも弟のサイラスを気遣ってくれる。
「ほら、サイラス。お前の好きな木だよ!」
馬車は朝も通った小高い丘にと差し掛かっていた。丘の上をオリバーが指さす。
日本の桜によく似た、満開の白い花が見えた。
そうだ、あれはたしかに僕のお気に入りの木だった。日本の記憶を持つ前の、サ
イラスが好きだった花。偶然にも、サイラスはサクラによく似た花が好きだったん
だな。
「きれいだけど、この花はあっという間に散っちゃうんだよな…」
「そうだね」
オリバーと僕は馬車の中から雲のような花を見送る。馬車はあっという間に丘を
通り過ぎて、やがて僕たちのささやかなドイル邸が見えてきた。
「サイラス、着替えておいでよ! みんなでお茶にしよう」
オリバーの快活な声に見送られて、僕は自室にと戻っていく。
つい昨日まで、僕は母と姉のさやかと三人家族だった。三人で、都内の小さなア
パートに住んでいた。
日本は安全な国といわれているけれど、男の僕が思う以上に、母と姉は怖がりだ
った。夜間に物音がしたといってふたりが怖がるので、僕が野球のバットを持って
外を見回ったこともある。「夜道は怖い」といって、姉からお迎えの催促がきたり
もした。
……僕がいなくなってしまったら、ふたりはどうするんだろう?
子供の頃から、父親がいたらいいなと思っていた。同性の兄弟も欲しかった。一
緒に遊べる兄がいたらいいな、と何度も空想した。兄弟とサッカーや野球ができる
友達がすごく羨ましかった。ゲームだって、さやかより兄や弟とやる方が楽しいん
じゃないかって、ひそかに思っていた。……姉には悪いけど。
今、僕にはずっと欲しかった父親ができたんだ。そして、優しい兄もいる。
でも、ここには日本で一緒に暮らしていた母親がいない。仲の良かった姉のさや
かもいない。僕が子供の頃から欲しいと思っていたものは与えられた。だけど、僕
が今まで持っていたものはすべて、本当にすべて根こそぎ取り上げられてしまった。
母が用意してくれた、成人式で着るはずだった新しいスーツも、姉がプレゼント
してくれた新しいネクタイも…。
世の中って、僕が考える以上にバランス良くできているものらしい。
結局、すべてが手に入るなんてことはないんだ。何かを手に入れたら、何かを失
う。僕は母と姉を失って、父と兄を手に入れた。
なんてバカバカしいんだろう? まるで心臓を失って、左手を手に入れた気分だ。
それ以前に、僕はいつこんな世界を願ったんだ?
父親と兄のいる世界に飛ばされた僕は、「こんな世界を願わなかった!」という
思いでいっぱいだ。悪魔にでも騙された気分だよ!
めでたい成人の日なのに、僕の目には次から次に涙が溢れてくる。
ひとりで自室に籠った僕は、ぽろぽろと流れる涙を止めることができなかった。
あまりにも悲しくて…。
僕の中のサイラスが、「父上とオリバーが心配するぞ」と忠告してくる。早く服
を着替えて、ふたりの許に戻らなければ…。
わかってる、わかっているんだ。でも、溢れてくる涙を止めることができない。
サイラス、君は家族と成人を祝うことができたじゃないか?
だけど、僕はもう死んでしまって、母にも姉にも二度と会えないんだ…。




