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婚約破棄とキャンディ

思いを証明するために、なぜか飴を作ることになりました

前作「婚約破棄を言い渡したら、なぜか飴くれたんだが」の女性側のお話です。

このお話単独でも問題なくお読みいただけますが、前のお話をご存知の方がよりお楽しみいただけるかなと思います。よろしければあわせてどうぞ!

「どうしたらいいのかしら······」

「お嬢様、なにかお探しですか?」


 手帳を手に取りながら、つい独り言が漏れてしまったわたくしに、いつもの店員さんが人の良さそうな笑顔で声をかけてくれました。


「また重厚なミステリをお探しですか? それとももう一冊手帳を買ってくださるので?」

「ええと」


 ここはローズリー書店。王都でも一番の敷地面積を誇る本屋さんで、その一区間に趣味の良い文具などが置かれていることでも人気ですわ。


 わたくしは無類の本好き。特に良質なミステリには目がないのです。

 少し前までは女性がミステリを読むなんて野蛮という風潮があったのですが、なんとなんと今通っている学院では、一部の女子生徒の中でミステリブームになっているのです。

 さらに学院では推理小説愛好会という素敵な会によるお仲間に出会いまして、日夜語り合うことが出来る環境に身を置いています。


 今手に取っていた金猫印の手帳には、偽りが書けないという制約がついていて、主には帳簿だとか日記帳として愛用されています。

 とある小説内にこの手帳が使われたことで、このように大型書店にも置かれるようになったのでしょう。そこから利用幅が広がり、中にはこの手帳のおかげで、急に亡くなられた貴族家の後継争いに終止符が打たれたなんてことも聞きます。

 その効果を使って、わたくしの問題も解決できないかしらと思ったのですが。


「新しいミステリはいつも読みたいのですけれど、今日はこの手帳の使い方について、相談できればと思うのです」

「ええ、ええ! ご利用方法についてですね! それではカフェスペースの方で承りますよ」




     ◇     ◇     ◇




 ローズリー書店の隣。「コルージャ」という名のそこは、2階にカフェスペースを併設したシックなお菓子店です。

 本を買い求めた方が、家まで待てずにここでページをめくってしまうことから、「本好きの憩いの場」にもなっているのです。

 それを見越してか、手で簡単に摘める焼き菓子の種類が多いところも嬉しいポイントで、中でもコーヒーが香り高くて人気を博しています。ここで推理小説愛好会の会員さんとはち合わせすることもチラホラ。

 探偵マードックがブラックコーヒーを眉をしかめて飲んでいるシーンを想定しながら、わたくしも時々ブラックにチャレンジしてみるのですが、結局ミルクを追加してしまいますね。


「さて、お嬢様。ローズリーではなく金猫印本舗の者としてお聞きします。すでにこの手帳をご活用されているあなた様が、どんな利用法をお知りになりたいのですか?」


 金猫印本舗の者? この店員さんはまだ20代半ば程とお若い方なのに本の造詣に大変深く、わたくしもよく読みたい本のイメージを伝えて探してもらったりしていましたが、本屋さんの方ではなかったの? それとも兼業?

 店員さんのお仕事についても気になりましたが、まずは時間を取ってくださったのですから、事情をお話しなければ。


 わたくしはスプーンを置き、小さく息をついてから話し始めました。


「この手帳が嘘偽りを書き留めることが出来ないことは存じています。ただ書いた当人が、その時点で事実ではないことを知らなかった場合は、その限りではない。また過去に遡った内容を記入した際には、当人が知っている事実と相違ある場合において、書いた箇所が赤字に変わる。そうですわよね?」

「ええ、ええ! よくご理解されておりますね! それで? そこまで知っておられる方がなにを?」

「実は、結婚するはずだったお相手に、『お前から恋情も愛情も感じられたことがない』『俺を愛しているというのなら、その愛を証明してみせろ』と言われてしまいましたの」


 わたくしはコーヒーを口に含みました。おいしいコーヒーです。ミルクとザラメを少し足すとよく合うのですよね。

 店員さんは黙って待ってくれています。


「わたくし、そのお相手のことは好きでした。ただそれは愛なのかと言われると、よく分からないのです。ほら、子供の頃って優しくしてくれると好きになるでしょう? 一緒に遊んだら仲良くなるし、よほど嫌なことをされない限りは、ねえ。

 それから婚約して。将来この方と結婚するんだという意識のもと、お相手のいいところを見つけて、愛を育む。そういう風に時を重ねて、時を重ねた分だけ愛が増えていくといいなと思っていましたの。お恥ずかしい話、漠然と良い未来しか想定していなかったのですね」


 向かいに座る店員さんが、一口サイズのクッキーを勧めてくださいました。

 さくり。香ばしいナッツが食感も楽しく、ほろほろと口の中でほどけていきます。何の豆なのかしら?


「おいしいわ」

「新作のキャロットケーキも試していただけませんか?」

「まあ、うれしい!」


 キャロットケーキが届くまで、またコーヒーを味わいます。

 コーヒーや紅茶を傾ける茶器の音に混じって、どなたかのページを繰るペラリペラリという音が静かに聞こえます。他人の寛ぐ音が耳に入るたび、程よく落ち着くのが不思議です。


「わたくしに日記をつける習慣があればよかったのですが、生憎······。なので、この手帳を使って、過去、彼に対して抱いていた愛情を書き記したら、その思いの証明とならないかしらと思ったのです」

「そうでしたか」

「でもね、婚約破棄を言い渡された瞬間、その愛情なのか恋情なのか分からない気持ちも、急速にしぼんでしまったのです。

 なんで今までこんな方のことを大切にしてきたんだろうって。

 やはりフィルターがかかっていたのですね。わたくしの夫になる方だから、わたくしは必ずこの方を好きにならなければ幸せになれないと」


 ほのかにスパイスの香りが漂うキャロットケーキが供されました。上には生クリームと小さなニンジン。フォークで口に運ぶと、ふわりもっちりとしたスポンジから甘いニンジンの風味が広がります。


「おいしい! ニンジンはもちろんたっぷりだけれどシナモンも効いていて、あとアーモンドかしら? 甘いものが得意ではない男の方にも好まれそうな味ですわ!」

「探偵マードックは推理に行き詰まると甘いものを食べるでしょう? 僕は食いしん坊なので本の中に出てくる食べ物が気になるんです。

 ですから趣味と実益を兼ねて、これから色々な小説や絵本に出てくるお菓子を作っていこうかと話しているんですよ。書店カフェらしいでしょう?」

「素敵ね! ますます人気が出ること請け合いだと思いますわ!」


 ほっぺたがおいしさで大喜びをしています。そして本好き人間としては気になるお話もうかがえ、思わず笑みが浮かびます。

 婚約破棄されたばかりですのに、こんなに普通に笑えるのだもの。人間って面白いものですわね。


「そう。過去の気持ちの中には、たしかに愛情もあったと思うのです。でも今思い返すと疑問になってしまいました。その思いは『愛』や『恋』で正解なのかしらって。

 小説のように、燃えるような、身を焦がす感情を彼に持ったことはないですから。好きすぎて殺してしまおう、なんてこともね」

「ミステリ好きの表現ですね」

「古今東西、本の中では、恋愛のもつれで殺人が起きる事が多いでしょう? でもわたくしは殺人を犯すほどの気持ちは持ち合わせていないし、なんならもう彼のことは好きではなくなってしまったようなのです。

 家のために、貴族として、どうしてもこの方と添い遂げなくてはと思い込んでいたけれど、······彼の元から帰宅する道すがら、『ああ、もう解放されたんだわ』って。縛っていたあれこれがなくなった、ただのわたくしは、彼が好きではないわ、と」

「お嬢様が罪を起こさなくてよかったです」

「そうね、うふふ」


 ザラメの濃く残ったコーヒーを飲み切ると、わたくしはふうと息を吐きました。このカフェでは柱時計がコチコチと静かな音を立て、レースカーテン越しの陽光までも柔らかく感じられます。とても居心地がいいのです。


「整理がついてしまわれたのですね」

「そうなのです。たとえ恋愛に準拠した愛ではなくても、広義の意味での愛として、『過去の愛の証明』とやらは出来ないものかと思案していましたの。意外と負けず嫌いだったのですね、わたくし」

「出来ますよ」

「えっ?」

「ただし手帳とは違う方法で、です」




     ◇     ◇     ◇




 わたくしは父とあまり折り合いが良くありません。女性がミステリを読むのを嫌う男性の話をしましたけれど、実は父がそうなのです。

 行動する時は常に『女としての幸せ』を念頭に置け、一挙手一投足に至るまで『女性らしさ』を追求するのだと指導され、わたくしは父の定める『女性像』から外れることは許されませんでした。


 コーヒーを飲むのも駄目、ミステリも駄目。小さな頃から木登りや追いかけっこなども禁止されました。

 絵画鑑賞、読書、詩集、編み物。こういったものは認められましたが、兄が乗馬を習い始めた頃に、わたくしもやってみたいと言ったら頬を張られたこともありました。


「そうなんだね。小さな子に対して酷いことをする」


 ゴトゴトと田舎道を進む馬車の中で、幼い時代のわたくしのことを気遣うのはローズリー書店のあの店員さんです。

 店員さん――パウロさんは実は東の辺境の領主様のお孫様で、ご実家はあのローズリー書店や金猫印本舗のオーナーなのだそうです。そして、わたくしも愛用の手帳を含めた金猫印本舗の商品は、オーナーの縁故でヴィーダの森の一族の方々が作成しているとのこと。

 わたくしの相談内容を伝え聞いたヴィーダの森の一族の方が興味を示され、いにしえの力でもって『愛の証明』とやらをしてやろうじゃないかと言ってくださったんだとか。


 ただ、それを作るにはいくつかの弊害と時間がかかるということで、まずは本人とお会いしてお話を聞くことになりました。


 父は頑固者ですから、婚約者に捨てられたばかりで辺境伯家に行儀見習いに行く、と言っても、絶対に了承はいたしません。

 それで、パウロさん達と相談をして、父が最もすんなり納得してわたくしを家から出す方法――パウロさんのお祖父様、辺境伯家の後妻に行く、という形を取りました。


 辺境伯様は奥様を亡くされていることになっていますが、実はそれは形式上のもの。奥様であるヴィーダの森の一族の魔女様との婚前契約で、ある程度の時間が経ったら好きなことをさせてほしいと言われていたために、今は離れて暮らしているそう。


「こんな言い訳しなくても、普通に遊びに来てくれれば良かったんだけどねえ」

「父は『女性はこうあるべき』というのが殊更強くあるのです。婚約破棄され瑕疵がついた『可哀想な女』はもう社交界に出られない、そんな風に育てたつもりはなかったと散々嘆かれました。実際には今の時代そんな事ないのですけどね」 

「じゃあこの形でいいんだね?」

「ええ。辺境伯領に住まわせてもらえるだけでありがたいです。わたくしは本屋さんか司書さんになるのが昔からの夢なのです。それに向けて挑戦したいと思いますわ」

「こっちにもローズリー書店はあるし、図書館だってあるから、僕に出来ることがあるなら協力するよ」


 パウロさんは本当にお優しいです。ただ書店で悩んでいただけのわたくしに、ここまで良くしてくださるなんて、頭が上がりません。


 途中途中でおいしいものを食べて、馬車で5日かけて着いたのは、パウロさんのお祖父様の住まうシルヴァ辺境伯領主館です。

 家名が表すとおり、(シルヴァ)の緑が豊かな場所にお屋敷はございました。

 門からエントランスに着くまでに、こんなに敷地が広くて木が多いお屋敷ははじめてです。


「よく来たね。待っていたよ」


 出迎えてくださったのは光に溶けるような白髪のお二人。

 先に声をかけてくださったのが、奥様でいらっしゃるのでしょう。その横に立つ大柄で逞しい方、快活な笑顔を見せておられるのが辺境伯様のようです。


「この人がイレーネ・コスタ嬢だよ」

「おお、そうか! 俺が求婚した相手だな!」

「え、ええ。その、イレーネでございます。よろしくお願いいたします」


 領主様は奥様の前で恐ろしいことを言って笑っております。わたくし、大層非常識なことをお願いしてしまったことに今さら気づき、しどろもどろになってしまいました。


「まったくこの人は、言い方ってもんがあるだろうに。気にしなくていいんだよ。お嬢さんのお話はそこのパウロから聞いているからね」

「恐れ入ります······」

「しっかし若くて可愛いのに、本当にこの先辺境で生活するつもりなのかい? もちろん領主としては領民が増えるのは歓迎さ。でも依頼品が出来てからもう一度よく考えな! 慌てるとロクなことないからな!」

「お気遣い痛み入ります······」


 奥様がパンパンと手を叩きました。


「さあて、まずは食事だ! ここには王都にはないような食材がたんとあるよ! 田舎料理だけど、たくさん食べてゆっくり休んでから、依頼を受けることにしようね。パウロ、お嬢さんの荷物を持っておやり! 二人ともお入りなさい!」

「やった! うちのご飯はうまいよ、イレーネさん。早く入って食べよう!」


 なんでしょう。わたくしが勝手に抱いていた魔女様のイメージと全く違って、道中でお世話になった食堂の女将さんのような温かさのある奥様です。

 わたくしの母とは正反対の女性のように思いました。


 我が家は女性の発言権がほとんど認められていないので、母も父に従属するような形でひっそりと暮らしています。

 今回の婚約破棄のことも後妻に行くことも何も言いませんでしたけど、わたくしを悲しそうな顔で見つめていました。

 ただ、いつも悲しそうに見えるので、本当のところはよく分かりません。




     ◇     ◇     ◇




 たっぶりとした波打つ髪を緩やかなハーフアップにして、ラベンダー色のリネンのワンピースがよく似合う奥様は、宣言通りたくさんのこちそうを振る舞ってくださいました。


 キジの丸焼きには知らない香草がたっぷりと効いて、ベリーソースととてもよく合うのです。パンにはこの地域でよく採れるクルミに似た食感のドーリというナッツが入っていて、こちらは砂糖と混ぜてペーストにしてもおいしいのだとか。これ、「コルージャ」でいただいたクッキーのナッツと同じかしら?

 その他にも旨味の濃いきのこのソテーや、鴨の舌を香ばしく焼いたもの、川魚の燻製が効いたオムレツ、柑橘のドレッシングがたっぷりかかったサラダ、デザートに至るまであれこれと勧めていただき、場所を移動して食後のハーブティーを飲む頃には幸福で眠たくなるほどでした。


「ええと、俺は急に体調が悪くなったため、後妻を娶ることがむずかしくなったんだな。うんうん。そんなわけで、もう戻ってくるなと言われたイレーネ嬢は、こちらの都合でそうなったもんだから、このままこちらで面倒を見ることとなった。孫の誰かと娶せるつもりで行儀見習いをしてもらってるよ、ということにしてな! 辺境伯は横暴だから、権力に物言わせて、コスタ家にも納得いってもらうように計らっちまおう! わはは!」

「よろしいのでしょうか? そんなご迷惑を」

「平気平気! シルヴァ辺境伯に文句を言ってくる奴なんざそうそういないさ! 王家だってヴィーダの薬で命繋いだことは数知れず。俺の機嫌を損ねたら魔女の力は手に入らない。そう分かってるから、国王だって黙認するさ」


 素敵なガラス張りのサンルームは、暖かい日差しとたくさんの植物に溢れています。

 その一角をお借りしてお茶をいただきながら、パウロさんが先触れとともに送っていた『わたくしの事情』と『今後の筋書き』を改めて読み上げつつ説明をします。

 こちらの事情に巻き込んでしまうというのに、辺境伯様は先ほどのお言葉であっけらかんと笑い飛ばしてくれました。わたくしの心を塞ぐものまでどこかへ吹き飛んでいくようです。


「じゃあ明日、その『愛の証明』とやらの話を聞かせてもらおうかね。なに、ちっとも難しいことはないから、安心おしよ」


 奥様はあれだけの量を食べたのに、さらにアイシングのかかったマドレーヌを摘みながらこれまたあっけらかんとお話になります。

 皆さんお優しいです。わたくしが気に病まないように明るく言ってくださるのでしょうか?


「ありがとうございます······!」

「あー、食べた食べた! でも僕はイレーネさんにここの名物の羊肉の食べ比べをしてほしいんだ。他にもまだまだ食べてほしいものがあるよ!」

「え、えと」

「羊肉は、羊の年齢によって味わいが全然違うんだよ! 部位によってもそうだし。王都では出す店も少ないからさ、ラムのミルクな柔らかさとマトンのどっしりした肉質と、どっちが好みかここで判明しようよ!」


 楽しそうなパウロさん。身ぶり手ぶりと表情で肉質の説明をしていて、おかしくなってついつい吹き出してしまいました。


「あんたは食べ物のことばっかりだね。でもヴィーダの血だよ、それは」


 3つめのマドレーヌを食べ切った奥様が、わたくしにも勧めてくれながら、呆れたように首を振りました。


「ヴィーダの一族の血、ですか?」

「ああ、そうさ。ヴィーダは仲間意識が強いのさ。普段は警戒心が強く、食べるところなど他人に決して見せないが、ひとたび仲間と認めたら同じ鍋のものを食べるんだ」

「えっ?」

 

 わたくし、はじめましてからすぐに食事に誘われましたが?


「あんたは我が孫パウロに認められている。もうここの仲間なんだよ、イレーネさん」




     ◇     ◇     ◇




 わたくしが4歳になったある日、格上の貴族家にお邪魔する機会がありました。子供が好きそうな造形を凝らした庭園のお披露目に、5歳上の兄とわたくしもご招待されたのです。


 両親はわたくしと兄に、タヴァレス家の息子と仲良くなるようにと厳命しました。ですが、兄は年下の男の子と遊ぶのはつまらないと考える年頃で、わたくしに「お前の方が年が近いのだから頑張れ」と押し付けてきました。


 とはいえ、わたくしは男の子の遊びは全面禁止されている身。どうしようかしらと幼いながらに悩んでいた時、美しいグリーンの髪をした男の子が庭に駆け出してきたのです。


 当時、我がコスタ家以外にも数組の家族が招待されていました。大人達はお茶やポーカーなどを楽しみ、子供は庭で自由に遊んでいいことになっていました。


 期せずして遊ぶこととなったその相手が、タヴァレス家のお坊ちゃんであったのは幸運でした。

 彼は、しとやかな遊びを好む女の子達に囲まれていたのですが、すぐに嫌になってしまったようで庭に逃げてきたのです。そして、隠れようと言って秘密基地なる場所に案内されました。


 少し強引なところもありましたが、子供らしい我儘が魅力的な男の子。こうしてわたくしはアルフォンソ様と知り合いました。


「よくやった」

 父でしょうか、兄でしょうか。とにかく、眠気に飲み込まれる最中に、わたくしを認める声が聞こえて安心したものです。

 わたくしは、これで正しく生きられる、と思ったのです。


 どんどんと父に似てくるアルフォンソ様を真正面から見ないようにして。



     ◇     ◇     ◇




「このような過去の思い出話を続けるだけでよろしいのですか?」

「ああ。これでいいんだ。『愛の証明』に必要なのは、その時の思い出だから。その部分を抽出してキャンディに変えてしまうよ」

「キャンディに?」

「そう。その思い出、もういらないだろう? だからイレーネさんの中から取ってしまって、固めて甘くしてしまうんだ。そうして出来たものを食べたら、イレーネさんの思い出がその人の目の前に浮かぶ。イレーネさんの見た通りに鮮明にね」

「追体験するような感じなのでしょうか?」

「うまい言い方をするね。まさにそんな感じさ。だからイレーネさんの中にない思い出は、キャンディに出来ないし追体験出来ない。そして誰かに食べられてしまえば、その思い出はイレーネさんから消えてしまうよ」


 奥様はなんてことないように話してくださいますが、どういう力が作用してそうなるのか、まったく分かりません。

 とにかくわたくしは、アルフォンソ様への思いが伝わるような思い出を奥様にお話しして、奥様はそれをわたくしから取り出してキャンディにする、という作業を繰り返しました。


 奥様は上手にわたくしを誘導してくださるので、忘れていたような思い出もふいに口から出てきます。時には愛の証明に関係のない思い出――アルフォンソ様のお相手様に酷いことをされた――まで、ついつい話してしまったりもしましたが、そういう時でも奥様はふんふんと聞いてくださるのです。


 聞き上手な奥様のおかげで、わたくしはたくさんのアルフォンソ様への思い出を吐き出し、話したら話しただけすっきりし、気づいたら痛みも何も消えてしまっていたのです。


 奥様が作ってくださったキャンディは、小さな星の粒のように輝いて見えました。


「終わったね。さあ、こんなにたくさんのキャンディも出来た。あとは綺麗に包装して、あいつに届けてやろう。絶縁状でも付けてやるかい?」





     ◇     ◇     ◇




 再び店員さんの姿に戻ったパウロさんは、ヴィーダの一族が使役している鳥を使い、一刻で王都のアルフォンソ様のところまでキャンディの配達をしてきてくれるという。


「すごいのですねえ。ヴィーダの森の一族のお力って······」

「いやいやー。でも、チャチャッとあいつに渡してくるからさ! イレーネさんはここでのんびり待っててね!」

「すみません。わたくしの我儘に皆様を付き合わせて。特にパウロさんには最初から最後までご迷惑おかけします」

「全然気にしないでー」


 ニコニコと笑って手を振るパウロさん。思えば最初はこの店員さんのお姿で、ほとんどお話もしたことがなかったですのに、気づいたらとてもフランクに冗談も言えるようになっています。

 

「じゃあいってくるよ!」

「はい、いってらっしゃいませ。ここでお待ちしていますね」


 わたくしがそう告げますと、パウロさんはより嬉しそうなお顔を浮かべました。釣られてわたくしも笑顔になります。


「いいねえ。『いってらっしゃい』って」

「え? そうですね。たしかに良い言葉ですわね」

「僕が朝出かける時に、イレーネさんがじいちゃんの家にいて、『いってらっしゃい』って言ってくれて、僕が帰ったら『おかえりなさい』って言ってくれるんでしょう?」

「ええ。そうですわね。パウロさんが戻られたら言いますわ」

「それで帰ったら、おいしいご飯食べるでしょう? 僕もおいしいものをお土産に買ってくるかもしれないし」


 落ち着いた雰囲気のある店員用の制服姿と、弾んだようにおっしゃるその様子があまりにも不釣り合いですが、どちらのパウロさんもわたくしのよく知る彼の一面なのですから、人とは面白いものです。


「行きの時も、一緒においしいものをたくさん食べましたわね」


 そう思い出しながらパウロさんに話すと、パウロさんの瞳がキラキラと光りました。


「そう、僕は食いしん坊だから、おいしいものはたくたん食べたいんだけど、イレーネさんと食べるのはとても楽しい」

「えっ?」


 突然目を合わせて告げられ、わたくしはドキリとしてしまいました。


「僕は多分これから先おいしいものを食べたら、イレーネさんに食べさせたくなる。イレーネさんと毎日一緒にご飯を食べるだけでおいしいだろうし、あれを食べさせたいな、これも一緒に食べたいなと考えるその時間も、楽しくてとても幸せだなと思うんだ」

「パウロさん······」

「ねえ、好きな人と一緒においしいものを食べるっていいね! 約束だよ! 僕が帰ってきたら、まずは羊肉の食べ比べしようね!」

 

 これは······どちらなのでしょう? 好きな人、という言葉にドギマギしてしまいました。


 パウロさんはいつもと変わらずのお顔ですが、どんな意味でおっしゃったのかなんて、そのお心は分かりません。


 わたくしだって、婚約破棄されたばかりでまだ何も定まらず、ふわふわしているのです。

 『愛の証明』をすると意気込んでいましたものの、証明してくれたのは奥様で。わたくしはアルフォンソ様が問いかけていた恋も愛も、実際のところ何なのか知りません。


 それでも、穏やかに丁寧に接してくれていた店員さんの一面や、今の飾らない伸びやかな話し方をする一面も、どちらのパウロさんも好ましく思うとしかまだ分からないのです。


「はい! パウロさん、帰ってらっしゃったら、おいしいものを食べましょう! いってらっしゃいませ!!」


 わたくしは鳥達に囲まれて見えなくなっていくパウロさんにたくさん手を振りました。


 彼が戻って来るまで時間があります。新しい金猫印本舗の手帳に、わたくしの今の思いを日記にして書いてみようかしら?





キャンディは金平糖をイメージしています。

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