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007:博物館でのこと 2


 転移基地の建設と同時に作られた駅は、まだ新しく広々としている。

 改札前の通路脇に通信機を見つけると、アルラスは荷物を下ろして硬貨を取り出した。

「宿をとるから、しばらく待っていなさい」

 受話器を耳に当てながら振り返って、口調はまるで子どもに言い聞かせるようだった。はぁいと口だけは素直に応えて、リンナはそのままふらふらと歩き出した。


 アルラスは筐体に片手を乗せたままこちらを睨んでいた。まだ呼び出し中なのか、唇が「戻ってこい」と動く。リンナは答えずふいと顔を背けた。

 見えない場所まで行くつもりはなかった。徒競走では分が悪そうだ。


 通路に面した書店を見つけて、リンナは眉を上げた。

 通行人に見えるよう並んだ新刊が目を引く。呪術にまつわる資料はなさそうだが、可愛らしい薄紅色の表紙が目に留まった。

(これは……)

 リンナは眉をひそめて平積みされていた本を一冊取り上げた。

 題名と表紙とあらすじから察するに、事情によりやむを得ず結婚することになった男女を描いた娯楽小説のようだ。

 なんだか聞き覚えのある舞台設定である。


 冒頭を開くと、二人の丁々発止のやり取りが軽快に記されている。ページを中盤まで送ると二人は既に抱き合っていた。終盤では熱烈な愛の言葉が四行以上にわたって続いている。

 リンナは呆れて本を閉じた。

(この人たち、なんて意思が弱いの)

 初めはこんなにいがみ合っていたくせに、ほんの数十ページでこのざま?


「随分とかわいい本に興味を示したな」

 本を戻そうとした矢先、首根っこを掴まれてリンナは飛び上がった。

 手からすっぽ抜けた本を捕まえて、アルラスは「これは懐かしい」と表紙を見る。

「百年以上前に流行って、演劇にもなった名作だ。言葉遣いを現代風に直して売り出したんだな。読んだことがなかったのか?」

 リンナはぎこちなく頷くと、素早く本を取り返した。

「で……でも、百ページもいかないうちにお互いが相手に絆されるなんて、少し無理があるわ。私には合わなそう」


 どんな本を読んでいたって口出しされる筋合いはないけれど、かわいい表紙の恋愛小説を読んでいるところを見られたくはない。気恥ずかしさが変な方向に跳ね返って、リンナはわざわざ尖った口調で本を棚に戻す。

「そうか? まあ内容の話にはなるんだが、主人公に話を持ちかけるこの男が、ほぼ初めから主人公に惚れているんだ。だからその辺りの描写には大して違和感はないな」

 言ったところで、アルラスは違和感を覚えたように黙り込んだ。無言で顔を見合わせること一秒、彼は大きな声で指をさした。


「本だぞ。本の話だ」

「言われなくても分かっています」

 真っ赤な耳を眺めながら、リンナは片眉を上げた。

「随分とかわいい読書遍歴をお持ちなのね。もしかして今の状況って閣下ご自身の趣味だったりする?」

「しない。違う。これは本当に流行っていたんだ。みんな読んでた」

 弁明も必死すぎると逆効果である。自覚があったのか、アルラスはそれ以上深追いせずに黙った。


 書店を離れて駅の出入り口に向かって歩きだす。

「それで、宿は取れたんですか」

「ああ。相部屋だ」

 端的な返答に、リンナは絶句した。両手で自分を抱きながら、そっと距離を取る。

「あなた、まさか初めから私を狙って……!」

「そんなわけがあるか。いくつ年の差があると思ってるんだ、君なんか子どもみたいなもんだぞ」

「でも今朝は『俺の肉体はいつまでも若いぜ』って自慢げに言ってたわ」

「言ってない。頼むから声を小さくしてくれないか」

 アルラスは呻いて、駅前の広場で立ち話に興ずる婦人ふたりを暗に示した。どうでもいい天気の話をしながら、彼女らの耳は明らかにこちらへ向いている。

 リンナは首を竦めて黙った。


「あそこの角にあるホテルをとったんだ」

 幅の広い階段を下りながら、アルラスは前方の繁華街に人差し指を向けた。この街の宿泊施設はだいたいあの辺りにある。

「寝室が二つある部屋だ。内鍵があることも確認してある。本当は隣り合った二部屋を取ろうと思っていたが、君は『そこで待ってろ』程度の指示も理解できないようだったから」

 当て擦りを無視し、リンナは空の両手で二、三段を駆け下りた。


「閣下」と声を上げて、掲示板に貼られていた広告の前に立つ。

「どうせ時間があるんなら、私、これに行きたいわ」

 これから行く繁華街の中心にある博物館の広告だった。鞄を手に大股で近づいてくると、アルラスが眉をひそめる。

「特別展示……古代魔法の世界だと?」

「そう! ちょっとだけど呪術に関する展示もあるそうなんです。絶対に行きたくて」

 うーんとアルラスは唸って掲示を睥睨した。有名なものからあまり知られていないものまで、絵画や古い魔道具が並べられたデザインである。


 しばらく広告を眺めてから、彼は下部の小さな注釈を指した。

「……今日は営業時間が普段と違うようだぞ。今から行っても着いた頃には閉館だ」

 ええっと声を上げてリンナは説明に顔を近づけ、注釈を指で辿りながら読み上げてみる。アルラスの言う通りだった。

「今日は夜間に開館する催しがあるみたい。昼間のうちに一度博物館を閉めて、夕方からまた入れるようになるって」


 アルラスの視線が薄曇りの空を見上げた。横顔を見上げて返事を待っていると、「行きたいのか」と両目がこちらを向く。

「これに連れて行けば、君はもう少し良い子になるのか?」

 背後で両手を絡めながら、リンナはちょっと考えた。

「もしかしたら、なるかも」

 取り澄まして答える。アルラスはいまいち信頼がない目つきで、「わかった」と呟いた。



 博物館の前を通りがてら、首を伸ばして様子を窺う。夜の開館にむけた準備中か、作業着の数人が大きな箱の四隅を持って搬入口に向かっている。

 緩衝材に包まれて中身は分からないが、大型犬の犬小屋くらいはある。歩き方を見るにずいぶん重そうだ。

 荷物はすぐに運び込まれて見えなくなった。今晩の催しにいけば、きっと正体が分かるだろう。


 細々とした日用品を見繕っているうちに、昼時が過ぎていた。適当に入った喫茶店はほとんど空席で、小さな音量の流行歌がやけに鮮明に聞こえる。

 食後に出された紅茶は、まだ湯気が立ち上っていた。カップの縁に唇を寄せてみるが、熱くて口をつけられない。カップを受け皿に戻して、リンナはそっと辺りを見回した。

 店主は裏の厨房で忙しなく作業をしているようで、食器を片付ける音が扉ごしに聞こえてくる。他にも客は二組ほどいるが、一組は遠く離れた席だし、もう一組は自分たちの会話に大盛り上がりだ。


 背の高い観葉植物に隠れて、自分たちの会話や姿に注意を払う者は誰もいない。

「……なんだ?」

 頬杖をついてじっと眺めていると、アルラスは眉をひそめた。

「博物館が空いていなかったのがそんなに不満か。こう言っては何だが、そんな展示品ごときより俺の方がよっぽど貴重な遺物だぞ」

 誇っているのか自虐なのか判断のつかない口調だった。


 たしかに、とリンナは目を瞬いて相手を凝視する。

 いざまじまじと観察をしてみると、壁を背にしてアルラスは姿勢良く、やや緊張した面持ちでこちらを見返してきた。

 どこからどう見ても、愛想が悪いだけの普通の人間である。

「うーん……」

 試しに手を伸ばして頬に触れてみるが、はりのある若い皮膚が指を押し返してきた。二百歳という年齢を感じさせない肌つやだ。

「どういう仕組みなのかしら」


 机の上に身を乗り出して、リンナはまじまじとその顔を観察する。と、髭の剃り跡を発見して、首を傾げた。

「髭とか、髪の毛とかは生えてくるんですか?」

「生える」

「食べたものは?」

「数時間後に出てくる……こんなこと言わせないでくれないか」

 厳しめに窘められ、リンナは首を竦めて座り直した。


(聞いた限り、体の時間が止まっていたり、状態が固定されているわけじゃないんだわ)

 考えながら、リンナは何の気なしにアルラスの手に目を留めた。手を伸ばして手のひらを下から掬い上げると、手首を上向けさせる。

 親指で血管の位置を探り、指の腹を押し当ててみる。

「えっ、速い!」

 皮一枚隔てた先で、血管が暴れ狂っている。全力疾走の直後くらい激しい脈拍に、リンナは仰天してアルラスの顔を見上げた。


 口の脇に手のひらを立ててささやく。

「こ、これが、呪いの効果なんですか……?」

 アルラスはしばらく苦々しい表情で顔を背けていたが、ややあって、吹っ切れたようにこちらを振り返る。

「……馬鹿者、こんなに手首サワサワされたら、誰だって脈拍の一つやふたつ速くなるだろうが!」

「うわっ」

 いきなり叱りつけられ、リンナは顔をしかめた。「まったく、最近の若者は」とアルラスは腕を払いのける。


「すこし連絡をとりたい相手がいる。それを飲み終えたら、宿へ行ってもいいか」

 そろそろ飲みやすい温度になってきた紅茶を見下ろして、リンナは素直に頷く。

「ちなみに、何のご用事なの?」

「仕事」


 一言だけ答えると、アルラスは上を向いて残りの珈琲を流し込んだ。

「博物館に行くまでには終わるんですよね?」

「何も問題がなければな」


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