066:いきものの流れ着くところ 13
博士が死去したと報を受けて、軍が一斉に礼拝堂へ突入する。博士の遺体を取り囲む一団から離れて、互いに縋りつくように肩を寄せ合った。
礼拝堂の最も後ろの席に腰かけて、アルラスの背に腕を回す。息もできないほどに嗚咽している彼の顔を覗き込んで、リンナは気まずい思いで問いかけた。
「色々、思い出しました?」
アルラスが何度も頷き、肩口に顔を埋める。
粉を使って目くらましをするのは博士の支配を逃れる為の策だったが、別の場所で功を奏したらしい。
広い背中を何度も撫で下ろしながら、リンナは慎重に切り出した。
「ねえ閣下、あなたが不老不死じゃなくなったら、私のこと本当の奥さんにしてくれない?」
真っ赤に充血した両目がこちらを見る。濡れた目元を親指で拭ってやると、甘えるように手のひらに頬ずりをする。
伸びてきた両手に同じように頬をすり寄せて、リンナは力の抜けた笑みを浮かべた。
眼前で繰り広げられている騒動が、今ははるか地平線の向こうのできごとのように思えた。全ての音が遠ざかり、緩やかに互いの顔が近づく。
まともなのは初めてだなと思いながら口づけた数秒後、「うん?」と素っ頓狂な声が目と鼻の先で上がった。両肩を掴んで引き剥がされ、ぼんやりと瞼を開く。
アルラスはわなわなと震えてこちらを睨んでいた。眉間に指を突きつけて、彼の顔が見る見るうちに赤く染まる。
「こいつ……あのとき既に……?」
「あっ、まずい」
しまった。断頭台で記憶消去の呪いをかけたときのことまで思い出させてしまった。
アルラスは既に見慣れたしかめ面になっていた。うん、こっちのほうがいい。
「『あっ、まずい』じゃなくて、他に言うべきことは?」
リンナは両手を挙げて降参の姿勢になり、左右を見回した。
こちらを見ているひとはない。全ての照明が点灯されたレイテーク城は夜空を背に煌々と光り輝き、礼拝堂の床をぼんやりと照らし出していた。
姿勢を正して手を膝に置くと、リンナは迷いのない眼差しを差し向ける。アルラスも同じ視線を返した。
「私、もうどこにもいかないし、隠し事もしないわ」
声は勝手に揺れていた。
「遺産も、別の男の人も、名誉もいらない。あなたがいればそれで良い」
それまで、どう言い返してやろうかと企んでいたようなアルラスの顔が、驚いたように緩む。
「だから、あなたも、もうどこにも行かないで。財産も権力もなくて良いから、私のこと手放さないで」
手の甲に上から手を重ねて、目頭が熱を帯びる。
「あなたが人間性を捨てないためなら、法律を破ったって、国境を越えたって構わない。森の中をずっと歩くのだって苦じゃなかった。これからどんな苦労をするとしても耐えられるから、だから」
もはやそれ以上言葉が出てこず、リンナは喉を詰まらせた。
「俺は」とアルラスが呆然と呟く。
「君が生きていく世界を守れるんなら、千年だって捧げるつもりだったよ」
「そんなにいらない!」
音を立てて頬を挟んで、リンナは大きな声を出した。怒り顔で続ける。
「百年くらいでいい!」
「ちょっと大きく出たな」
思わずといったように返して、そこでアルラスの表情が崩れた。
笑いながら、次第に目尻に涙が浮かんでくる。しがみつくような抱擁を交わして、リンナはきつく目を閉じた。
***
いわゆる戦後処理には時間を要した。攻撃の対象になったのは王都だけであり、他の地域には伝播しなかったのが不幸中の幸いだった。
とはいえ、これまでの百年以上にわたる軍部による隠蔽工作や情報統制は瞬く間に白日の下へ晒され、アルラスをはじめとした軍上層部は厳しい糾弾を受けることとなった。
不死者問題の解決へ向けて尽力するという条件による酌量と差し引きをしたうえで、彼の私的な財産はほとんどが没収され、軍組織における地位も剥奪となった。傍から見ている分には肩書きが変わっただけのようで、実態が伴っているとは言いがたい。相変わらず頻繁に軍へ足を運んでいるようである。
軍への激しい逆風のなか、王都を襲った惨劇からおよそ二年半が過ぎた春、軍学校レイテーク分校はひっそりと開校した。
呪術師の育成を行うレイテーク分校の最初の生徒たちは、全国から集められた白髪の子どもたちおよそ二十人である。呪術師の適性が髪色だけに表れるとは限らないが、現状では目印はそれくらいしか解明されていない。
分校とは別の施設で、博士の影響下を離れた「人形」たちも矯正プログラムを受けているそうだ。
不死者の解呪も平行して進められている。今はまだ実際に稼働できる呪術師がほとんどリンナ一人だけの状態だが、これから呪術師が増えれば更に進行は加速するだろう。
「……で、どうして俺の不老不死は解いてくれないんだ」
食卓に行儀悪く頬杖をついて、アルラスは不満げに唇を尖らせた。
「ナァナだって半年も前に解呪して、大学に行っているだろう。安全性がどうので身内は後回しなんて言い訳は聞かないぞ」
「うーん」
リンナはこれ見よがしに髪を指先に絡めて斜め上を見た。
迷いはしたが、髪色は生まれたときのままの白髪を保っている。生徒たちもほとんどが真っ白な髪だし、慣れてくると案外悪くない気もする。
「早く解呪してくれ。何年待ってると思ってる」
手を伸ばしてリンナの毛先に触れて、アルラスがため息をついた。
リンナは意にも介さず「これから実習があるから、またあとでね」と腰に手をあてる。
「あなたもそろそろ出なくて良いの? サリタの手術に立ち会うって言ってたでしょう」
もう何回目の手術になるだろうか、とリンナは指を折った。サリタの変形した肉体を戻すための外科手術はなかなか思うようには進まないらしい。
「まだ余裕がある」とアルラスが応える。
「彼も最近はようやく前向きになってきたみたいだ。少し前まで死ぬ気満々だったから」
そう、とリンナは微笑んだ。解呪と死をすっかり受け入れていたサリタの心境が変わったなら何よりだ。
(ナァナが研究所に通い詰めたかいがあったかな)
くすりと笑って、リンナは机の端に積んであった資料を抱え上げた。
「じゃあ私はそろそろ」
近づくと、アルラスが仏頂面のまま顔を傾ける。頬に軽く口づける。
「行ってきます」
「うん」
レイテーク城の使用されていなかった区域が、改修ののち校舎に転用されている。居住区からは意外と距離があり、上り下りも多い。鐘の音と同時に教壇へ滑り込むのは避けたいところである。
戸口のところで振り返ると、アルラスはふて腐れたのを隠そうともせずにこちらを睨んでいた。リンナは教本を脇に抱えたまま嘆息して、人差し指を立てる。
「あとね、今夜はあけておいてくださいね」
「何でだ?」
「夜になってのお楽しみ」
わざと素っ気なく答えて、リンナは今度こそ足早に居間を出た。何があるんだ、と吠える声を背後に聞きながら、ひそかに口角を上げる。
その晩、リンナは日付が変わった頃に寝室の扉を開けた。起こすまでもなくアルラスは既に寝台の縁で腕組みをしている。
「言われたとおり待機しているが、一体なにをしようって言うんだ? これが名月か? 流星群も来月だぞ」
「うん。ちょっと待ってね」
落ち着かない様子のアルラスを押しとどめ、隣室へ行って懐中時計と大きな砂時計を取ってくる。その間彼はずっとこちらに懐疑的な視線を向けていた。
リンナは秒針から目を離さないまま、身振りで椅子に座るよう合図した。
「少し計算してみたんだけど、あなたが不老不死になったとき、あなたは生まれてから二十四年と一ヶ月と十三日、十四時間二十一分と、たぶん六秒経っていたはずなの」
「……うん。確かそれくらいだ」
怪訝そうにアルラスが頷く。
「それで、私はもうすぐ、生まれてから二十四年と一ヶ月と十三日と十三時間くらい経つのよ」
え、とアルラスが声を上げて身を乗り出す。リンナは得意満面で人差し指を立てた。
「初めの頃に言ったこと覚えてる? 私、同い年が好きって言ったわ」
椅子を倒してアルラスが立ち上がる。口を開閉させ、「まさか」と呻いた。
「その、まさか」
笑顔で頷くと、アルラスは椅子を直しながら「おい!」と大きな声を上げた。
「隠し事はなしって言わなかったか」
こうしちゃいられない、と彼が大慌てで部屋を飛び出すのを、リンナはにやにやとしながら眺める。
程なくして、廊下のほうで「うわ!」と盛大な悲鳴が響く。戻ってきたときには、アルラスが真っ赤な顔になっていた。
「なんなんだ! 医師が十人も控えているぞ。いつの間に呼んだんだ」
「五百人くらい呼んだ方が良かった?」
「十人でも多いだろが!」
本人はそう言うが、なにせ重要人物の解呪である。通常の不死の解呪でも、見落としや癒着のないよう医師が最低二人は立ち会う決まりになっている。
今回は王家、軍部、議会などがそれぞれ解呪の成功を確認するためにお抱えの医師を送り込んできたのだから、これでも少ないくらいだ。
「ちなみに、写真家と新聞記者も呼んであります」
胸を張って答えると、アルラスは現代的な悪態をついた。
リンナは懐中時計に目をやった。解呪にかかる時間を考えても、もうそろそろ始めた方が良さそうだ。
時計をじっと見据え、目的の数字を秒針が通過した瞬間、リンナは反対の手で砂時計をひっくり返した。
目線を合わせて笑いかける。
呪文を唱え始めると、アルラスの表情にはおのずと緊張の色が現れた。
不死の呪いを解くには対象にかかった呪いの分析が不可欠である。強引な呪術による術者の負担を避けるために、呪文は条件を細かく設定することを推奨している。
アルラスにかかった不死の呪いは整った形式をしているから、何時間にも渡るような長い呪文は必要ない。
……呪文の最後の一文を唱え終えると同時に、砂時計の砂が落ちきった。
完璧に計画通り。リンナは満面の笑みで両手を合わせた。
「これで、解呪完了です」
じっと呪文を聞いていたアルラスは、工程が終わったと分かっても石像のように動かなかった。呆然とこちらを見たまま凍り付いている。
「アルラス、終わりましたよ。あれ? 死んだかな」
目の前で手を振るが、ろくに反応がない。
それまで端で控えていた医師が粛々と進み出て、アルラスの手を取る。親指に針が刺さった箇所に、全員の視線が集中した。
指の腹にぷくりと膨れ上がった血液を見つめて、その目がゆっくりと見開かれる。
リンナは懐中時計を掲げて笑いかけた。
「これからは、ずっと同じ時間ね」
また凍り付くこと五秒、アルラスは喝采を挙げて立ち上がると、ひと思いにリンナを抱え上げた。声を出して笑いながら、その肩に手をつく。
二百年以上の停滞を経て、ようやく時間が流れ出したのだ。
ここから先の日々は、彼にとってみれば、ほんの一瞬に感じられるだろう。
日が昇って沈み、四季が巡るのと同じ早さで年を取り、いつか生命を終えるまでの、長めの一瞬だ。
[完]
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