061:いきものの流れ着くところ 8
転移装置から駆け出して、リンナは目を見張った。
猿轡と手枷を嵌めたまま、呆然と周囲を見回す。
王都第一ステーションから繋がる駅は、見る影もなく破壊されていた。ガラス張りの真新しい天井は粉々に砕けて骨組みだけを残し、足元には鋭利な破片が散らばっている。
「くそ、一体どうなってる」
アルラスが毒づいた。リンナは目だけを動かして彼の表情を窺う。
彼の焦り顔はたびたび見てきたが、今は一秒後にでも気絶しそうな顔色だ。
駅を出ると、広場はもっと酷い有様だった。泣き叫ぶ子どもの声や悲鳴が入り交じり、銃声が何度も聞こえる。
理由はすぐに分かった。
不死者がひとを襲っている。
ぼろを纏った男が、破壊された手すりを振り上げる。手足の皮膚が爛れ、見るも恐ろしい姿である。警官がそれを押しとどめようと手を出して、腕に噛みつかれて声を上げた。
リンナは咄嗟に呪文を唱えようとしたが、猿轡が邪魔をした。
ん、と口を指し示すと、アルラスは懐疑的な眼差しでこちらを振り返る。
王都が襲撃されていると報を受け、駆けつけようとするアルラスにごねて連れてきてもらったのである。怪しい呪術師であることには間違いはないので、こうして人に近づくときは呪術が使えないように拘束されている。
黒い自動車が横滑りをしながら目の前で急停止したのはそのときだった。
「閣下! お待ちしておりました」と窓から呼びかけた顔を見て、リンナは眉を上げた。
リンナの姿に気付いて、イーニルが目を真ん丸にする。
「リンナさん!」
「何だ、ここも知り合いなのか?」
返事をしようとした直後、荷物よろしく小脇に抱えられ、リンナはくぐもった悲鳴を上げた。
緊急時とはいえ、後部座席に放り投げられて扉に頭をぶつければ多少の殺意が湧く。目を見開いて睨みつけると、彼は「悪い」とばつが悪そうに目を逸らした。
襲撃者に呪術師が含まれることから、馬車は原則として使用できず、試作品の自動車を運用しているという。酷い乗り心地だ。
イーニルは助手席から身を乗り出して地図を手渡してくる。王都の中心部を示したものである。
「駅が六箇所、鉄道橋は二箇所爆破され、王都内での鉄道網は完全に麻痺した状態です。印があるのが不死者による襲撃が確認された位置です。他の都市への伝播を防ぐため、訓練通り、転移ステーションの防衛を最優先しています」
もぞもぞと体を起こしながら、リンナは地図を覗き込んだ。母校の大学も襲撃されている。
「王城前のバザールでは今も二百人以上の市民が公園に取り残され、警察が出動していますが公園に進入することもできない状況です。王城内の避難が完了したのち、城の警備をそちらに割く手筈になっています」
「王城とか、特定の場所が狙われている訳ではないのか?」
アルラスの問いかけに、イーニルは苦い顔で首を振る。先方の目的はまだ分からないらしい。
分かったとアルラスが頷くと、すぐさま自動車が唸りを上げて走り出す。鼻で息をしながら、リンナはじっと前の座席を睨みつけた。
この襲撃を先導しているのは博士だ。
(博士を止めなければいけない)
でも、この広い王都のどこに博士がいる? 自分で立って歩くことのできない生首が、一体どうやって群衆を主導しようというのだろう?
こんな事態なのに、イーニルは首を曲げてリンナを振り返って目を細めた。
「リンナさん、無事だったんですね」
「知っているのか? これが俺の妻らしいんだが」
「はい。婚姻届を出すところから見ています」
「ええ?」とアルラスは眉をひそめて身を乗り出した。
「何があったら少佐を立会人にして届けを出すことになるんだ」
「こちらの台詞ですよ」
イーニルはばっさりと切り捨てると、車載の通信機に手を伸ばす。連絡が入ったらしい。
頷きながら応答する彼女の横顔から目を離し、リンナは窓に顔を近づけた。
国外で暮らしていた彼らが、空を飛ぶ武器や派手な飛び道具を保持している訳ではない。だから大きな建物がひとつ残らず消え去り更地になることはないが、そこかしこで火の手が上がっているのは見えた。
古い魔術でも殺傷能力のある爆発を起こすことができるのは、博物館で見たから知っている。おまけに、どんなに攻撃しても行動不能にならない不死者が絶えず襲いかかってくるときた。
その存在すら知らない市民は、一体どれほどの混乱と恐怖に襲われるだろう。
「閣下」とイーニルが受話器を下ろして振り返る。
「ヘレックさんから、ウィンストル駅構内でリンナさん似の少女を捕まえたと通報が」
懐かしい名前に、リンナは眉を上げる。
アルラスは噛みつくような勢いで「そちらへ」と答えると、険しい顔でリンナを振り返る。
「なんだ、その……呪術を使うために生み出された……道具なんだったか?」
指をさされて、不本意ながら大きく頷いた。
イーニルは怪訝そうだったが口は挟まず、通信機越しに軍本部と交信を始める。
「君以外は博士の手先だそうだな。居場所を吐かせることは可能か」
それはもちろん。
うんうんと頷き、手枷が嵌められた両手で握り拳を作ってみせると、アルラスは露骨に嫌な顔をした。
「この小娘に命運を託すのか……」
聞き覚えのある類の暴言だった。
口が自由なら三分くらいかけて抗議していたから、彼は幸運だ。
(どうせ前みたいにあとで謝罪することになるんだからね)
鼻を鳴らして、リンナはやさぐれた態度でそっぽを向いた。……怒ったふりをしないと泣いてしまいそうだった。
反対の窓を睨みつける横顔に、視線を感じる。そろそろと横目で窺うと、アルラスは組んだ膝に頬杖をついて難しい顔をしていた。
「なあ、泣かれると困るんだが」
泣いていないので答えずにいると、隣で特大のため息が出る。
「俺は君に対してどういう感じだった? 今くらいの態度だったのか、もう少し砕けた感じだったのか、馬鹿げた王子様みたいな対応をしていたのか」
リンナは少し迷って、せっかくなので指を三本立てた。「嘘だろ」と更に大きなため息をついて、アルラスは丹念に眉間を揉み始める。
「申し訳ないが、俺は何も覚えていないものでな。昔の待遇を根拠に優しさを求められても、応じることはできない」
(そこは疑わずに信じるのね)
思わず笑いそうになって、口元に力を入れる。それを泣き出す予兆と捉えたか、アルラスはまた焦った顔になった。
「おい。なんだ、手の甲にキスでもすればいいのか? 俺はあんまり呪術師の機嫌を損ねたくないんだ。恐ろしいからな」
堪えきれずに俯くと、彼は本格的に「なぁ」と上擦った声を上げる。
思い返せば初めの頃も概ねこんなものだった。厳しい態度だが節々に気遣いが漏れ出ていて、それが当時は腹立たしかった。
「エディリンナさん? どうした……リンナ?」
恐る恐る手を伸ばして背に触れて、そこで彼は何かおかしいと気付いて前屈みになった。声を殺して笑っているリンナの顔を覗き込み、「貴様」と呟く。
「謀りおって……これだから呪術師ってのは嫌なんだ」
ついにリンナは身を捩って笑い出した。一人で強硬な宣言をして一人で大焦りした挙げ句、呪術師のせいにした!
笑いすぎで溢れてきた涙を拭おうとするが、大きな手枷が顎に当たって上手くいかない。
「……顔を貸しなさい」
袖口で目元を拭っているあいだ、アルラスはずっと不思議そうで、不満げな顔をしていた。どうして自分がこんなことをしているのか分からないと言いたげだった。
リンナは微笑んで彼の目を見上げた。
丁寧に整えられた黒髪と、すこし青白い肌。頬に血が上るとよく分かるのが可愛らしい人である。
このひとを、土の中に永遠に封じたりなんて、させない。
光のひとつも射さない箱の中で、死にもせず、生きもせずに、終わりのない苦痛を味わわせるなんて、絶対に許さない。その決断と覚悟を決めた彼のことも許せなかった。
魅入られたようにアルラスがこちらを見下ろしていた。吸い寄せられるように首を伸ばす。彼の頬に赤みが差して、狼狽えた両目が宙を泳いだ。
鼻先が触れ合わんばかりに近づく。
「おい、なにを」
弱々しい声でアルラスが言いかけた直後、自動車は大きく揺れて停止した。
イーニルが険しい顔でこちらを振り返る。
「着きました、ウィンストル駅前です! ……こんなときに何してるんです?」
軽蔑の眼差しに、二人はひっくり返る勢いで距離を取った。
 




