060:いきものの流れ着くところ 7
雨がちな旧都に比べると、王都は天気が良い。車窓を眺めながら、ヘレックはこっそりとため息をついた。
再就職先は老舗の魔道具メーカーの開発で、出勤は来月からだった。
いきなり前の勤務先を追い出された関係で、中途半端に期間が空いてしまったのだ。勤務地はそれなりの地方にあるから、あまり先んじて引っ越すのも躊躇われた。
結局、王都に住んでいる学生時代の友人の家に一月だけ転がり込むことで空白期間は解決することにした。
休日とあって列車は混み合っている。並んで吊革に掴まりながら、友人は好奇心を隠せない顔で覗き込んできた。
「で、この二年近くはどこで何をしていたんだ?」
「地方で、建造物のメンテナンス業……みたいな」
曖昧に答えると、友人が「ええ」と顔をしかめる。
「お前、大学出てせっかく良い研究所に入ったのにすぐ辞めて、そんな仕事」
いや違うんだよ、とヘレックは咄嗟に言い返そうとして、飲み込んだ。どう違うかを追究されると困る。
レイテーク城で見聞きしたことは他言無用。退職後、城にいた人間に会うことも禁止。厳しい規則の課される特殊な職場だった。
「建物の維持管理も興味深い仕事だったよ。すごく楽しかった」
エリート志向の強い友人は懐疑的な顔になる。悪い人間ではないが、要領が良くて安定を好むたちだ。
彼には分からないかもな、と苦笑しながら、ヘレックは吊革を掴む腕に頭を預けた。
「じゃあ、何でまた転職することにしたんだ」
「雇用先が閉鎖されることになった。許されるならもっといたかったけど、事情がね」
ふぅん、と友人は相槌を打ったきり、それ以上は聞こうとはしなかった。
「確かに、前の研究所にいた頃より、ずっと顔色が良いよ。あの頃のお前、余裕がなくて周りが見えていないみたいな危なっかしさがあったし」
今になって言われて、ヘレックは思わず目を丸くした。それはその当時教えてくれよと内心でぼやく。
友人は手すりに寄りかかって目を細めた。
「良いところだったんだな」
ヘレックは微笑むと、迷いなく頷いた。
確かに良いところだったが、あんな風に去る予定じゃなかった。
城を閉めると宣言した城主の様子は、明らかにおかしかった。そもそもリンナとレピテが揃って姿を消してから全てが変だったのだ。
(旦那様は、リンナさんについて、何も覚えていないみたいだった)
何より、軍人が城主を探しに来たことも気になるし、城主が恐らく三日間飲まず食わずで野外に転がっていたことも気になった。
ロガスは多分城主を「父さん」と呼んでいたし、城主は一見自分とそう変わらない年齢だが、どう考えても同世代の言動や地位ではないし、知識や経験が豊富すぎる。
ヘレックは顎に皺を寄せて、空の荷物棚を睨んだ。
(事情をなにも知らないのは僕ばかりってか)
自分は、自他共に認める一般人だ。それが、短い間とはいえあんな特殊な環境に身を置いていたことが、偶然のいたずらのようなものなのだ。
これ以上、深入りしてはいけない。考えてはいけないと自制心を働かせられる程度には、大人になったつもりだ。
……城を立ち去り際、制御室に残されている入城記録を、こっそり確認した。
イーニルという軍人が城を訪れる三日前、リンナが深夜に城へ戻ってきた記録があった。そのときの映像も確認した。
彼女は湖沿いの長い道を徒歩で来たようだった。
白い髪の痩せた女が、門に手を触れる様子が写っていた。どうみても城主夫人の立ち姿ではなかったが、門の認証は彼女を城主夫人として受け入れた。
それで不審に思って、映像をよくよく検めて、気付いたのだ。
(あれは、リンナさんと同じ顔をした別人だった)
そして、その侵入者が、城を出た記録もないのだ。
でも、どの部屋を探したって、どんな記録を見たって、彼女が今もなお城に潜んでいる証拠は見つけられなかった。
考えたところで、ヘレックはかぶりを振った。思い返したってどうにもならないことである。
(どうせ、僕みたいな平凡な一般人にできることなんて、何もないからなぁ)
列車が駅に入る。窓越しにホームで列車を待っている人影が流れてゆくのを、ヘレックは見るともなく見ていた。
楽しげな家族連れや笑っている少女たち、正装で緊張した面持ちの青年など、それぞれの生活の一端が垣間見える。静かな旧都も良いところだけど、こういう活気があるのはやっぱり都会ならではだ。
改札を出たところで、ヘレックはしげしげと周囲を見回す。王都の駅では、切符は機械で発券できるらしい。
友人は慣れた様子で目的地の繁華街の方を指さすが、ヘレックは別の方向に目を吸い寄せられていた。
「ごめん、ちょっと」と断りを入れて、足早にそちらへ近づく。
発券機の前で、小柄な少女が立ち尽くしていた。一時間くらい前の自分もまったく同じ状況だったから、彼女の気持ちはよく分かる。
彼女は足踏みをしながらしきりに周囲を見回し、時計の方も何度も確認し、どうやらかなり急いでいるらしい。
恐らく乗りたいのは二分後に出る列車だ。
改札前には大勢が行き交っているが、それぞれ急ぎ足で、見知らぬ少女に手助けをしようという人はいないらしい。
「失礼」
怖がらせないよう、ヘレックは穏やかに声をかけた。
十五、六才といったところだろう。黒い帽子を目深に被っており、髪はまとめ上げているのか白いうなじが露わになっている。
帽子に値札がついているのを見て、ヘレックは眉を上げた。買ったばかりだろうか?
「使い方は分かるかな。行き先を教えてもらえれば、代わりに操作するよ。それとも駅員さんを呼んできた方が良い?」
優しく問いかけると、ようやく自分に言われていると気付いたのか、少女は「あ」と声を漏らして振り返った。
こちらを見上げた顔を見て、ヘレックは心臓が止まる思いがした。
茶よりすこし赤みのある、丸い瞳。紅潮した頬と引き結ばれた唇のかたちには見覚えがあった。
「……リンナさん?」
呟いた瞬間、少女は血相を変えて片手を振り上げた。咄嗟にその手を捕まえ、反対の手で口を塞いで券売機に体を押しつける。
「おい! 何してんだ」
通りすがりの少女に暴力を振るうヘレックを見て、友人が目にも留まらぬ速さで飛んでくる。
ヘレックは手を緩めないまま、少女の顔を見下ろした。口を塞いだ手にしこたま噛みつかれ、呻き声を上げる。
「軍に連絡してほしい。レイテーク城のヘレックから、リュヌエール公に、リンナさん似の少女を捕まえたと言えば分かる」
手から血を流しながら叫ぶヘレックの形相に気圧されてか、友人が足をもつれさせながら通信機の方へ走ってゆく。
少女はがむしゃらに体を動かした。その表情には拘束を逃れようとする以上の焦りが感じられた。睨んでいるのはヘレックではない。肩越しに何かを見ている。
(一体なにがそんなに……)
視線を追おうとしたとき、上擦った構内放送の声が耳に入った。
『王都環状線レンゼ駅、アールヴェリ大学前駅、オステ駅にて問題が発生したことにより、列車の運行をすべて見合わせています。運行再開時刻は未定です』
挙げられた駅名は、それぞれここから二駅、四駅、六駅先である。ひとつ空けた駅で問題が発生したというのは、偶然の事故とは思いがたかった。
弾かれたように少女を振り返った。彼女が頭を振った拍子に、帽子がぽろりと落ちる。
短く切られた白い髪が零れ落ちた。
深夜にレイテーク城へ侵入した女と同じだ。でもあれはこんなに幼くなかった。
「君、一体何者……」
言いかけたとき、柱の一本で閃光が走るのが見えた。
手の下から、少女がつるりと抜け出す。幼い顔に絶望が浮かんだ。
次の瞬間、無音に感じられるほどの爆風が襲う。咄嗟に床に伏せるいとまもなく、ヘレックは両手で顔を庇った。
目の前が真っ白になる。
短い間気絶していたらしい。
券売機の設置されていた壁をぶち抜いて、改札内のホームに仰向けに倒れていた。
呻き声を上げて体を起こす。幸いにも軽傷のようだ。爆心地との間に柱があったからだろう。
よろめきながら立ち上がると、ヘレックは目を細めて柱に手をついた。
改札前の床と天井に、大穴が空いている。呆然としながら一歩進んだところで、離れたところで転がる人影に気付いた。
リンナと同じ顔をした少女である。足から血を流して呻いている。
束の間躊躇った。状況から考えて彼女がこの爆発に関与しているのは明白だ。
周囲の状況も、友人の安否も気になった。建物だっていつ崩れるか分からないし、次の爆発がないとも限らない。
幼い泣き声が足を止めさせた。訳も分からず泣くしかない、まるきり子どもの悲鳴だった。
……これを見捨てたら、自分も同じである。一度息を吸うと、ヘレックは少女に駆け寄って助け起こした。
「事情は分からないけど、あとで一緒に警察に行くためにも、一旦ここを出るよ」
少女の目が大きく見開かれた。怯えるように体を引く。何度か話しかけて気付いたが、彼女はどうもこちらの言葉をあまり理解していないように思う。
傷口にハンカチを巻いてやってきつく縛ると、ようやく彼女は上目遣いで遠慮がちな表情になった。
(ここまで関与したら、旦那様も流石に事情を教えてくれるかな……)
内心ぼやきながら、ヘレックは少女を背負って無事な階段を目指して歩き出した。
 




