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006:博物館でのこと 1



 転移ステーションは、この地方の中核都市トランにある。

 街中と近隣の街までに限るが鉄道も敷かれているし、大きな繁華街や劇場、博物館、公園など、たいへん活気のある街だ。


 そんな都市の片隅、公園を見渡すことのできる高級店での朝食となれば、人々の憧れ、誰だって心躍るというものだ――今この個室を除いては。

 奥歯を噛みしめ、リンナは手元に置かれているペンを取り上げる。アルラスが覗き込んでいるのを感じながら、やるせなさに全身が打ち震えていた。


 書面の最上部は婚姻届と題されている。昨日の朝までは想定すらしていなかった文字列である。

「あまり歯ぎしりをすると奥歯が欠けるぞ」

 ご親切な助言は結構だが、言われて止められたらすでにやめている。

「うぐぐ……」

 顔をくしゃくしゃに歪めて、リンナは力の入らない手で署名を終えた。書き終えてから、あまりの悔しさに涙が滲んでしまう。

「そんなに嫌か」

「嫌に決まってる……」


 思わずすんすんと鼻を鳴らしながら、リンナは顔を見られまいと深く俯いた。

「自分に選択権がないのも最悪だし、相手が性悪で協調性の欠片もない二百歳おじいちゃんなのも嫌だし、これから家族や友人にも会えなくなると思うとつらすぎる……」

 必要な欄が全て埋まった書類を見下ろしながら、また目頭がつんとしてしまう。その頭上で、アルラスはさっさと紙を回収して丸めた。


「君が信頼のおける人間だと分かれば、家族や友人との面会を考えてやらんでもない。なに、生活費や報酬も十二分に支払われると約束する」

 そんなの最低限も最低限な条件でしかない。事態が改善されるわけではなく、リンナはなおも落ち込みながらため息をついた。

 何が不満だ、とアルラスは筒にした婚姻届でこんこんと机を叩く。

 木目の綺麗な一枚板の机は、丹念に磨き抜かれた輝きを放っている。並んだ皿の数々も目に楽しいが、大半は手をつけられていない。食欲というものがまるで湧かなかった。


「貴様はそうやって俺を爺扱いするがな、見た目は二十四のままだぞ。それに見てみろ。体格も良い、顔も悪くない、誰もが羨む地位もある。もちろん金だってあるし、なにより経験豊富で人格にも優れているだろう」

「そのうえ恐ろしく謙虚だわ」


 痛烈な嫌味のつもりで放ったが、涙声では攻撃力も半減だ。アルラスは「いかにも」と受け流しただけで、意にも介さなかった。まったく歯が立たない。

 本人があながち冗談でもなさそうな口ぶりなのも腹立たしかった。

 横柄な態度で、肘掛けに腕をかけ、足を組む。彼はなかなか泣き止まないリンナを扱いあぐねている風情だった。


 ナプキンの端で鼻を拭いながら、机の向こうの青年の姿を見る。

 屋敷への訪問という予定がないからか、昨日よりは気楽な格好をしていた。昨日は一筋の崩れもなく撫でつけられていた黒髪も、顔を下に向けた拍子に数本はらりと落ちる。

 ただそれだけの不随意な動きなのに、妙に絵になる光景だった。

 もし時代が違えば、直接会話をすることも叶わないような人なのだ。ふとそんな思いが去来して、リンナは茫漠とした感傷に襲われた。


 卑近な空気に戻したくて、わざと音を立てて鼻をかむ。それなのにアルラスは特に嫌な顔もせず身を乗り出した。

「……分かった、分かった。これはまだ提出しない。君が落ち着いてからにしよう。それで良いか?」

 どうせ結果は変わらないのに、それが譲歩のつもり?

 不満を露わに頷くが、軟化は隠しきれなかった。アルラスの表情に安堵の色が浮かぶ。


「よし、じゃあどういう男が好みだ。参考にするから言ってみろ」

「年下」

 即答すると、彼の目がつかのま室内を泳ぐ。

「……あと数年も経てば俺の方が年下になる」

 リンナは唇をひん曲げて付け加えた。

「間違いました、同い年が好き」

「よし、この話はここで終わりだ」

 婚姻届を机に叩きつけてアルラスが立ち上がる。やってられんとぼやく後ろ姿を見送って、リンナは顎に皺を寄せたまま鼻を鳴らした。



 馬車は借り物だとかで、御者とは別れて列車での移動となる。

 列車が駅に入ってくるのを眺めながら、リンナは腕を組んだ。アルラスから大きく二歩分離れた位置に立って、ため息をつく。

 目的地は街の反対側にある転移基地である。大通りに出れば乗合馬車もさかんに走っているが、せっかくなら大きな街にしかない鉄道を利用したいところである。

 どうせ切符代はアルラスが出すのだし。


 これからリンナが連れて行かれるのは、彼が普段から生活しているという旧都の城である。現在の都からは西部にはるか遠くの山間に位置し、転移装置が開発されるまでは行き来だけでもちょっとした行軍だったという。

 道のりは険しく都からは遠い、一年の大半が霧に包まれて天気の悪い地方だ。

 山地を縫うように鉄道が敷かれた現在は、辿り着くのがそれほど困難な土地というわけではない。

 それでも、一度離れた人間が戻ってくるのは難しそうだ。遷都から既に百五十年あまり、旧都はかつての栄華の見る影もなく寂れていると聞く。

 リンナのみならず、大抵の国民は足を運ぼうと思ったことすらないだろう。


 切符をひらひらと振りながら、リンナはアルラスを横目で見た。

「列車の乗り方は知っています? おじいちゃまには最新鋭すぎるかしら」

 ここにレールがあって、その上を車両が走るんですよ、と親切に教えてさしあげたのに、彼はしかめ面で黙殺した。

 列車が目の前に止まってもしばらく腕を組んでいたが、ややあって指をさす。

「列車というのは魔術で車輪を動かすことで走る大型魔道具の名称で、この車両は正確には魔導軌道車という」


 え、とリンナは眉をひそめた。アルラスは人差し指をすいと下に動かし、対になる二条の軌道を指し示す。

「仕掛けが施されているのはこちらで、車両は旅客を格納する容器でしかない。魔道具としての本体はレールにあるわけだな。つい数年前に実用化された最新の型だ」

 澱みなく語るアルラスに、リンナは目を丸くした。

「お……お詳しいのね」

「お子様には難しすぎたかな」

 意趣返しである。こんなに完璧にやり込められると、反論のひとつも出てこない。


 物言いの古さといい頭の硬さといい、彼はこうした新しい機械には疎いと思っていた。どうせ浮ついているとか何とか言うだろうと踏んでいたのだ。

 赤茶色で塗られた車体の横腹で、扉が音を立てて開く。

 リンナが子どものときは、扉は自動では開かなかった。

 でも彼が子どものときは、そもそも列車が存在しなかった。

 この人はこうした発展を二百年見続けてきたのだと思い至って、リンナは不思議な思いがした。


 八両編成の列車は、まばらに座席を埋めて出発する。

 流れる景色の中に時計台を認めて、リンナは視線を向かいの席に移した。

「転移装置の予約って、何時でしたっけ?」

「明日の朝だ」

 短い返答に、思わず悲鳴が出た。この人と、この街で一日潰さなくてはいけないなんて!

「ちょうど旧都に行く客が他にいればよかったんだが。人数が少ないから後回しにされた」

 目的地が目的地だから仕方ないと、アルラスは平然とした態度である。リンナは肩を落とした。彼にとっては転移装置なんて日常のものなのだろう。

(転移装置を使うなんて、祖父が危篤だとかで大学から呼び戻されたとき以来、二度目だわ)

 目的地に向かって人や荷物を一瞬で移動させる夢の技術には、色々と制約も多いらしい。

 装置間で物体を送受信するとか何とか、いまいち仕組みは分からないが、ちょちょいで操作できる代物ではない。

 一度の転送には、たいへん複雑な調整や莫大な力が必要になる。割には、それほど大した量は送れない。

 したがって、料金はたいてい目を剥くような金額になる。

 おまけに、列車のように特定の行き先へ毎日定刻に出発するわけでもない。


「閣下お得意の国家権力で予定を早められないんですか?」

「緊急事態でもないのに、みっともない」

 アルラスはため息をついて答えた。可能ではあるらしい。これは格が違う。

「権力もそうだし、金や知識や技術だって、むやみに見せびらかすのはかえって愚かだ。使うべきときを見極める判断だけが必要になる」


 彼の言う「使うべきとき」とは、たとえばリンナを連行した際とかを指すのだろう。

 リンナは両手を上げて降参の姿勢をとると、背もたれに体を預けて目を閉じた。目的の駅まではまだもう少し時間がかかる。

 その間ずっと年長者の有難いお言葉を聴く気分にはなれなかった。

 アルラスはなにか言いかけたが、結局口を閉じた。ボックス席にはそれきり沈黙が落ち、車内放送が駅の名前を告げるまで物音ひとつしなかった。


 列車が速度を落とすのに気がついて、リンナは顔を上げる。

「行くぞ」とアルラスが腰を浮かせて床の鞄に手を伸ばした。

「ちょっと! 貴重品も入っているんですよ」

 慌てて声を上げるが、彼はひょいと旅行鞄を持ち上げて通路に出てしまう。

「だったら逃走防止のために、なおさら没収しておかないとだろう」

「ひどい」

 言いながら、リンナは鞄を持ち運んでいたほうの腕を軽くゆすった。


 重い鞄にふらつくところを意地でも見せたくなくて、ずっと片手で取っ手を握りしめていた。まだ少ししびれる指先で、切符だけを持つ。

「最悪……」

 リンナは負け惜しみで呟き、アルラスを追って早足になった。


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