059:いきものの流れ着くところ 6
周囲の軍関係者がざわつくのを見ながら、リンナも頷いてサリタに同調する。
ただ、手放しに肯定するには、いくつか気がかりな点があった。
リンナの表情に目を留めて、アルラスが眉をひそめる。
「なにか問題がありそうな顔だな」と指摘されて、リンナはいちど目を伏せた。
「不死の呪いを解くすべが、まだ分かりません」
すこし嘘があった。不死者の命を奪う方法がひとつも浮かばない訳ではない。
でも「それ」を使う選択肢はなかった。呪術師としての、人としての矜持がそれを許さなかった。
アルラスは目で頷く。落胆の色に忸怩たる思いになりながら、リンナは「それに」と続けた。
「解呪には、時間がかかることが予想されます」
呟き、傍らのサリタを一瞥した。
「現在、国外にいる不死者の数は?」
「動けるのが二万……動けないのも入れると、ざっと四万人といったところでしょうか」
続けて顔を正面へ戻す。
「既に収容済みの不死者は、どの程度ですか?」
「五体満足で収容されることは稀だから正確には答えかねるが、少なく見積もっても六万人強にのぼる」
リンナは一度唇をつよく噛んだ。胸を膨らませると、昂然と額を上げる。
「合わせておよそ十万人、不死の呪いをかけられている計算になります。たとえ私が明日にでも不死の呪いを解けるようになったとして、一日二、三人ずつ解呪を行ったとしても、百年以上かかる。そのまえに私の寿命が来ます」
アルラスの眉間に剣呑な気配が宿った。警戒心が押し寄せ、うなじの毛がびりびりと震える。
「では、自分自身には特例で不死の呪いをかける許可をよこせとでも?」
「いいえ!」
地響きのような詰問に、リンナは明朗な声音で返した。
額に光を感じた。胸の奥まで息を吸うと、鼻の奥がひんやりとした。
「呪術師を育てるんです、閣下」
頬に笑みを浮かべて、リンナは言い放った。
一瞬の沈黙ののち、ほうぼうから押し殺した悲鳴が上がる。リンナは微笑みを崩さなかった。
「これから長い年月をかけて不死者問題を解決するためには、もし私が道半ばで死んでも、途中でどんなに状況が変わっても、意志を継いでくれる次の世代が必要です――それが、人が永遠に生き続けるということです」
呪術師の教育機関をつくり、全国から適性がある子どもたちを招聘する。それらは必ず国の名の下に、公に行われなければならず、常に外部からの適切な監査を受けなければならない。
「馬鹿な」とアルラスの唇が動いた。
「なにも馬鹿なことじゃありません」とリンナは真正面から応じた。
「どれだけ大それたことを言っているか、分かっているのか?」
「わたくし、非現実的だとはちっとも思ってませんわ、閣下」
アルラスの喉が上下するのが見えた。
「国が呪術師の教育機関を作ることに議会が予算を割くとでも?」
「使える予算も手間もあるはずです」
リンナは素早く切り返した。
それだけ告げて押し黙ると、つり上がっていたアルラスの眉が徐々に下がる。
「まさか」と、彼は顔を横に向けた。
窓から遠く見えるのは、二百年近く前に打ち捨てられた土地である。
声には否応なしに熱がこもる。リンナはつよく拳を握りしめた。
「呪術は生物に干渉する魔法です。自分という肉体の外側にある、閉じた別の命に触れるものです。ただ呪文を唱えるだけで所定の結果が得られるわけではない。呪術において最も重要なのは、術者の強い思いです」
届いてほしい。私が重ねた言葉の一端だけでも、あなたに届いてほしいのだ。
アルラスの記憶が失われたいま、重ねた日々や情に訴えかけることはできない。ただ誠実に言葉を選ぶことしかできない。
相手を信じて語りかけることが、唯一で最も短く、確かな道である。
強く祈りながら、リンナは再び口を開いた。
「呪術の起源は、ささやかなおまじない、ひとの祈りにあると言われています。なにか叶えたい願いがある。一秒だって逃さずずっと心に留まりつづける思いがある。それを強く念じるから、願いが叶うのです。呪術はその過程の手段として発展したに過ぎない」
だから、ほんとうに力のある言葉というのは、生半可な呪術をはるかに凌駕しうる。
私はそれを既に知っている。
アルラスの眼差しがまっすぐにこちらを射貫き、互いの視線がかたく噛み合うのを感じた。たったそれだけの事実で、胸が打ち震える思いがした。
いま自分は呪術の起源と同じ場所に立っているのだと思った。
生物が生物へ影響を与えるために、道理を超えようとしている。
「この世に、人を不幸にするために生まれた技術なんてない。どんな技術だって、本来は、人々のより良い生活のために発展してきたはずです。どんな技術だって、悪用すれば人を殺すことはできる。だから、だからこそ証明したいの――」
口の中がからからに乾いていた。
アルラスがわずかに顎をもたげた。瞬間、洞窟を抜けたように視界がひらけた。
前に並ぶ人々の姿が見えた。じっと耳を傾けているひとも、胡乱な目つきで腕を組んでいるひとも、薄ら笑いで隣と顔を見合わせているひともいる。
それでも、全員がこちらの言葉を聞いている。
リンナは額を上げた。
「――呪術は、人を救います」
言い切った言葉尻が揺れる。
「国民に『魔獣』の真実を伝えないまま、国境防衛費として計上されている分。数多くの不死者を収容するまでに必要な莫大な労力。その収容所を維持するため、これから未来永劫にわたって費やし続ける資源。……未来へ向けられる期待と関心!」
大きく息を吸うと、一同が身構える。
限界まで張り詰めた空気のなか、リンナは静かに、深々と頭を下げた。
「それらを、どうか、呪術と、その犠牲になってきた人たちのために、投資していただけないでしょうか」
しばらくの間、誰一人、息継ぎひとつしなかった。
……どんなに言葉を尽くしたって、思い通りにならないことはある。
奥歯を噛み締め、頭を上げようとしたそのとき、不意に前方から弾けるような笑い声が響いた。
目を丸くして顔を向けると、アルラスが身を捩って涙を拭っている。
「面白い!」
呆気にとられるリンナをよそに、彼は指をさす。
「俺は投資家なんだ。突飛な事業案は嫌いじゃない」
リンナは息を飲んだ。じわじわと頬が上がる。
はい、と大きな声で答えた。アルラス以外の人間はあまり納得していないようだったが、彼は手を叩いて有無を言わせぬ口調で締める。
「さて、話はまとまったな」
刹那、向けられた視線の厳しさにリンナは背筋が伸びた。
「言っておくが、貴女の語った呪術師の育成を行っている最中も、現在進めている不死者の収容を中断するつもりはない」
落ち着けと言うように周囲を一瞥して、アルラスは慎重な手つきで襟元を正した。
「それでも、貴女が死ぬまでくらいは成果を待ってやっても良い。……どのみち不死者の問題が解決しないかぎり、君を本当に自由の身にしてやることはできないからな」
彼はただ情に流されるような人ではない。
ええ、とリンナは掠れた声で答える。その覚悟はできているって、既に伝えたはずだわ。
アルラスの眼差しが翳る。思わず呟いていた。
「私が間に合わなかったら、閣下も収容されるのね」
回答の代わりに彼は笑みを深めた。
「その、不死者の収容というのは、一体どこで行われているんですか?」
努めてさりげない口調でサリタが口を挟む。アルラスは一瞬にして表情をなくし、「公開されていない情報だ」と、ぴしゃりと答えた
サリタがこちらを向いて肩を竦める仕草をする。
「いやはや、僕に対しては手厳し――」
激しい音を立てて扉が開かれたのはそのときだった。
「失礼いたします! 危急の要件にて、その」
駆け込んできた中年の軍人が、大勢の視線を一気に向けられて口ごもる。ちらとこちらを窺う仕草をするのは、部外者に聞かれてはまずい伝令なのだろう。
しかしその顔からは血の気がすっかり失せ、遠目にも額が脂汗で光っていた。
一瞬にして緊張感が限界まで膨れ上がる。
「何だ」とアルラスが端的に促す声だけが響く。
「さ、先程、オミロ転移ステーションとの通信が途切れました。直後、北アヴェイル収容所からの救援信号あり――白い髪の少女が出現したとのことです」
誰も声を発することはなかった。息すらできない静寂だった。
オミロは国内の南部に位置する小さな町である。
北アヴェイル収容所とは、つまり不死者を格納している施設のことだろう。果物などの広大な農地が広がる山地で、市民の目に触れずに大規模な工事を行うには都合が良い。
そこが、まさに今、博士らによって襲撃されている。
続けざまに、アルラスの手元で通信機が音を立てた。震える手で彼が受話器を耳に当てる。
掠れた声で復唱する彼の声が、やけに鮮明に聞こえた。
「……王都で、市民が、襲われている」




