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呪術臨界点 -年上夫を呪い殺すための基礎研究-  作者: 冬至 春化
8章

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058:いきものの流れ着くところ 5



「私を化け物だって詰るなら、順序が逆だわ」

 震え声で応じる。心臓が今にも喉から飛び出しそうだった。


 リンナは顔を上げると、浅い呼吸を繰り返して父を睨みつけた。

 父の目が、ゆっくりと大きく見開かれる。

 父の顔を真正面から見たのは、これが初めてのような気がした。


「あなたが、私やお母様をいじめたりしなきゃ、私はただ、顔が親に似ていなくて髪が白いだけの、善良な娘だった」

 父は真っ赤な顔で怒鳴り返そうとして、言葉に詰まる。


「博士は、私をフェメリアの再来にしたくてセラクト家の娘を選んだそうです、お父様」

 改めて正面から向き直った父は、記憶の中より小さく見えた。あれほど恐ろしかった拳も、今は決して届かない距離にある。


「フェメリアはかつて領主の娘として生まれ、同じように白い髪を理由に迫害されて、ついには死の呪いを生み出し、家族を全員殺したんですって。博士は同じ条件を再現したかったみたい」

 死の呪いと口走った瞬間に、室内は騒然とした。



 セラクト卿は狼狽を隠しきれない立ち姿でこちらを睨んでいる。

 父に反抗するのも、生まれて初めてのことだった。

「こんな体で生まれてきて、さぞかし驚かれただろうって思うわ。お父様やお兄様、他の家人に呪いをかけたことも、謝ります。でもお父様だって、私のことを化け物呼ばわりする前に、お母様が死にたくなるほど追い詰める前に、するべきことがたくさんあったはずだわ」


 大きく息を吸う前に、臆して視線がふらつく。

 そのとき、アルラスがこちらを見据えているのが視界に入った。存外に面白がるような表情だった。

 震える足を踏みしめて、リンナは父を敢然と見据えた。

「お母様に謝ってください。……私が、死の呪いを作らなかった幸運に感謝して!」


 残響が消えたあとの静寂は、耳に痛いほどだった。リンナは激しく胸を上下させながら、一瞬たりとも父から視線を外さなかった。

 数秒の睨み合いのすえ、先に目を逸らしたのはセラクト卿の方だった。


 全員の視線が向けられていることに気付いて、彼は似つかわしくない動揺を見せる。扉の方を窺う素振りに、リンナは「待って」と一喝した。

「娘の晴れ舞台ですよ。最後まで聞いてください」


 糸が切れたように腰を下ろしたセラクト卿を、アルラスが横目で一瞥する。

 軍の重鎮が捕虜に恫喝された場面のはずなのに、なぜか満足そうな態度だった。




「さて、話を戻そう」と、アルラスは片手を上げる。

「その博士というのが、たびたび繰り返される本国への攻撃の首謀者と考えてよいのか」

 サリタは間髪入れずに頷いた。

「目的は恐らく本国の侵略。問題は、彼の思想に共感する若い不死者が増えてきていることです」

 彼の思惑通り、室内は大きなどよめきに包まれる。


「彼らは僕たちの把握していない経路から本国へ侵入しています。これ以上の攻撃が続けば、彼らは不死者および呪術師の権利を守るため正面切って闘争に打って出るでしょう」

 アルラスは片肘をついて身を乗り出している。


「不死者も生き物なので、子を産みます。今では、本国を知らない不死者が大多数を占めている。彼らにとってあなたがたは同じ人間ではありません。あなたがたの土地も、いつか帰るための場所ではなく、いつか奪い取るための敵地です」

 我々は、本来は同じ国のもとに生まれた、同じ民ではないのか。


 上擦った声で語り、サリタは天井につきそうな高さまで背を伸ばした。

「いまいちど、不死者への攻撃の停止を要求します。博士の所業をみすみす見逃す訳にはいかない。僕たちはまだ共存への道を諦めていません。このまま、罪のない民が犠牲になるのを見過ごせないのは、お互いに同じはずだ!」


 彼の切実な訴えに反して、参加者たちの反応は冷ややかだった。感動的な演説に同調する素振りはなく、サリタよりむしろ、左右にいる同胞たちの出方が気になるようだった。

 誰もが気にしているのはアルラスの反応だが、彼は腕を組んで沈黙している。



 焦れるような沈黙を挟んでから、彼は控えめに口火を切った。

「博士とやらの侵攻を食い止め、国土を守ることは、わざわざ言われずとも、元から我々の使命だ」


 サリタの眼差しに失望の色がよぎったが、一瞬のことだった。老獪な青年の横顔にはすぐに波のない闘志が浮かぶ。

 彼が切り返すより先に、アルラスは机に手のひらをついて腰を浮かせた。


「二百年前に端を発する異常事態を解決するため、我が国は多大な犠牲と予算、時間を費やしてきた。周辺各国からも長年にわたる援助を受けている。それも全て、不死者の問題を完全に解決するという前提に基づいた協力だ。今さら共存などという腰の抜けた施策で問題を先延ばしすることはできない」


 まただ、とリンナは胸の内で呟いた。

 アルラスの表情には、硬く分厚い仮面が覆い被さっている。公人として判断を下し、その責任を負う覚悟が決まっている眼差しだ。

「我々の計画は既に最終段階に入っている。これより国境防衛部は我が国の居住不能地帯に住む不死者を一掃し、国土を取り戻す」


 宣言する彼の口元はきつく引き結ばれ、見た目の年齢より十歳も二十歳も老けて見えた。


 外壁に張り付いた大蛙をわざわざ捕まえて近づけてくるときの笑顔とはまるで違う。

 自分で始めた悪ふざけのくせに、蛙が手からすり抜けて顔に向かって跳んできたら大絶叫したあげく、段差を踏み外して坂の下まで滑っていったときの間抜け面とも違う。そのあとばつの悪さとおかしさで変に口をひん曲げて戻ってきたときの、不本意そうな上目遣いとも違う。


 違う。


(こんなの、あなたじゃない)

 沈痛に唇を噛むリンナの横で、サリタの眉間に失望が滲んだ。


 間をおいて、彼は唇を動かさずに呟いた。

「なるほど。あなたがたにとって、僕たちは人間ではなく、捨て方に困ったごみなのですね」


 目線は逸らさないまま、しかし、サリタの全身から、音もなく力が抜けてゆく。諦念が見え隠れする言葉は、だだっ広い会議室で空振りをした。

 けれど、一瞬だけ、アルラスは痛みを堪えるような顔をした。


 リンナは確かにそれを見た。

 アルラスは軍人らしい立ち姿で一呼吸おくと、明瞭な口ぶりで告げた。

「捨て方が決まったから、こうして作戦を開始している」

 リンナは思わず口を覆った。アルラスは薄く微笑み、淀みなく続ける。


「不死者の無力化および格納。収容所は既に完成しており、すべての不死者の収容が確認されたら、地下深くに存在する収容所は埋め立て、二度と日の目を浴びることはない」


 彼の手紙に書いてあったのは、これだ。

(……収容して、埋め立てる?)

 収容施設が完成したから、そちらで暮らすことになる、と書いていた。

(二度と日の目を浴びることはない?)


 あれはまさしく遺書だったのだ。彼は彼の棺桶に入って永遠の眠りにつこうというのだ。


「なに、俺だけ免れるなんて虫の良いことを言うつもりはない。さしずめ俺は墓守といったところだな」

 アルラスは自嘲混じりに呟き、サリタとナァナへ順に指をさす。「自らここへ来てくれたおかげで、捕獲の手間が省けた」


 悪役じみた笑みを浮かべながら、彼はどこまでも孤独に見えた。

 脳裏にアルラスの言が蘇る――「権利には義務や責任がつきものだ」。


 ぎり、と噛みしめた奥歯が音を立てた。

(どこが? どこに彼の権利があるの?)


 義務や責任ばかりを負わされて、彼の権利は一体どこに保持されているというのか。

 望んでそんな体になった訳じゃない。罰を受ける謂われなんてない。


 リンナに対して、彼ならきっとそう言ってのける。リンナも同じ気持ちだった。

 彼が未来永劫に渡る地下幽閉に甘んじるなんて許せなかった。



「――待ってください!」

 思いのほか大きな声が飛び出した。

 大きな声を出してから、ばくばくと暴れている心臓に気付いた。


 つい一歩踏み出しかけると、左右に控えている軍人が殺気立つ。リンナは慌てて元の位置に戻り、腹の前で強く拳を握りしめた。

「私にひとつ、提案をさせてください」

 数秒前まであんなに気になっていた父の視線が、意識から消えた。他の誰も、目に入っていなかった。

 視界の中心にはアルラスだけがいた。


「何だ」と、彼はうるさそうに応える。

 ひとつ息を吸って、リンナは明瞭に告げた。

「不死の呪いを解くことができたら、その作戦は即時中止になるのですか」


 告げた瞬間、アルラスの表情に呆れがよぎった。言いたいことは分かっている。……呪術師のせいでこんな状況に陥っているのに、この期に及んで何を言っているんだ?


 誰も、笑いも怒りもしなかった。返事はひとつもなかった。

 ややあって、アルラスが端的に問う。

「具体的には、どうやって?」

「不死の呪いを解呪します」

「目処は立っているのか?」

「はい」


 リンナは勢い込んで頷き、隣できょとんとしているサリタを見上げた。一言耳打ちすると、その両目が大きく見開かれる。

「……お願いしても、いい?」

「よろこんで、と答えますよ」

 サリタが頷いてくれるのに微笑み返して、リンナは素早く正面へ向き直った。


「ここにいるサリタは、不完全な不死の呪いによってこのような体になっています」

 胴体が奇妙に長く伸び、手足が増殖した姿を指し示す。サリタは四番目の両腕を小さく振って合図してくれた。


「この呪いの欠点は、身体が損傷した際に、損傷部の修復が過剰に行われるところです」

 言いながら、リンナは離れたところで銃を構えていた兵に指をさした。

 サリタの足の一本を撃つように合図すると、彼は目に見えて狼狽えた。上官とリンナ、サリタを順に見る。アルラスが眉根を寄せつつ頷くと、サリタは「どうぞ」と軽やかに手を伸ばす。


「完全に撃ち落とすのではなく、半分残してもらえると上手くいきます」

 サリタの助言に怖じ気づきながら、兵はサリタの右脚に照準を合わせ、引き金を引いた。ナァナが押し殺した悲鳴を上げてサリタに縋りつく。


 リンナは身じろぎ一つせず、「ご覧ください」とサリタの足に目を向けた。あまりに生々しい光景に、口元が引きつるのは耐えられなかった。

 血飛沫が床を汚したが、それ以上の血溜まりが広がる前に傷口が素早く塞がる。半ば外れかかった足首は脛から角度をつけて床に転がり、その傷口から枝分かれするようにもう一つの足が生えてくる。


「なるほど」とアルラスが進み出て、傷口に顔を近づけた。

「これは厄介だ。さぞや生きづらいだろう」

「お気遣いありがとう。あなたは生きやすそうだ」

 サリタはさらりと答える。両者は一瞬睨み合った。


 リンナは咳払いをすると、サリタの額に手をかざす。

「戻せないかもしれないけど、それでも良い?」


 サリタより先にナァナが声を上げた。「リンナさん」と裾を掴んで、大きく目を見開いている。

「いま、ここで、サリタの不死の呪いを解くおつもりですか?」


 リンナは曖昧に微笑む。それができたら良いんだけれど。


「大丈夫」と答えて、サリタに向き直った。

 サリタに会って以来、体の修復の機序については度々検証させてもらっていた。他にも調査に協力してくれた住人たちがいた。

 これは通常の傷の治癒が高速で行われているものではない。


『肉体の保存、肉体の記憶および遡行を停止する』


 唱えた途端、どっと体力が持って行かれるのを感じた。思わずふらついたリンナをサリタが支える。

 耳の奥で激しく脈打つ音が聞こえる。ぐったりとサリタの腕に身を預けながら、リンナは長い息をついた。


「……これで、体が変に治らなくなったんですか?」

 サリタの声に、「たぶん」と答える。


 アルラスが血相を変えて振り返った。切実な視線がこちらに向けられている。

 サリタが震える手で自身の手のひらに短刀を向けるのを、リンナは固唾を飲んで見守った。


 横に真っ直ぐ引かれた線から、音もなく赤い血が膨れ上がる。雫は大きくなり、やがて腕を伝って流れ出した。

 サリタは自身の手のひらを顔の前に掲げ、食い入るように観察する。


「痛い」

 長い沈黙ののち、彼は一声それだけ呟いた。その顔に、笑みとも悲しみともつかない表情が浮かぶ。「はは」と声を漏らす。


「すごい」

 腕を伝う血液を眺めて、サリタはこちらを振り返った。

「じゃあ、僕の身体も普通の人間と同じように戻せるんですか」


 弾む声でそう言って、彼はリンナの表情を見て黙り込む。

 生物の形そのものを呪術で操るのは難しい。リンナは咄嗟に自信のある笑顔を取り繕えなかった。



 アルラスは少なからず興味を惹かれた様子で視線を送ってくるが、近づいてくることはなかった。

「それは、他の不死者にも同じことができるのか」

 リンナは浅く頷いた。


 もちろん、歪み、複雑に絡み合った呪いをたった一言で消し去る呪文など存在しない。

 呪いを逆算し、それらの効果を打ち消すことで、不老不死に見える症状は必ず解消される。


「五体満足なら、不老不死を解けば普通の人間と同じ身体に戻る、ということですね」

 サリタの言葉に息を飲む。彼の声音は絹のように滑らかだった。


 サリタはじっとナァナを見下ろしていた。その視線に込められた意味が分からないほど鈍くない。

 呪いを解けば、ナァナはどこにでもいる活発な少女になる。


 でも、肉体の変形したサリタは、そうはいかない。外見ももちろん、彼の内蔵などが正常に機能しているとは思えなかった。

 不死者の中にも、普通の人間として生きている者と、博士のように「死に損なった」者がいる。


(不死の呪いを解いた途端、サリタは、すぐに死ぬ)


 彼は数秒でそれを合点したようだった。ナァナは気づいておらず、真剣に顎に手を当てて考えている。

 目が合うと、サリタは淡く微笑んだ。


 それから芯のある口調で問いかける。

「呪いが解ければ、元不死者から市民権を剥奪する理由はないのではありませんか?」


 サリタの言葉で、脳裏にいくつもの顔が浮かぶ。あの集落でひっそりと隠れ暮らしている住民たち。ただ呪いを持って産まれただけの子どもたち。

 二百年経っても腐ることなく、毎日明るく振る舞っているナァナ。


 彼らが本来得られるべきだった権利を取り戻せるとしたら?



 サリタの提言を受けて、そんなはずがないのに、アルラスの顔は泣き出しそうに見えた。

「ああ」と呟く。「そうなるかもしれない」


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