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053:古道をゆく 9


「木立が邪魔で林内に侵入できません」と操縦士が落ち着き払った声で応える。他の戦車を女のいる方向へ向かわせるのも難しいらしい。


「女が物陰に隠れました」

 操縦士は冷静さを保った声で告げる。林地奥の掘っ立て小屋の影に女が隠れている。

 指揮官の目がアルラスを見た。出力を上げれば十分に射程圏内である。女が何をするか分からない。……撃つなら今だ。


 それなのに、決断できない。撃て、とたった一つの単語を口にすることができない。


 画面の奥で、ゆらりと人影が動いた。はっと息を飲んだ音は誰のものか。白煙の向こうに立つ小さな輪郭を、誰もが固唾を飲んで睨みつけていた。

 女が顔を上げる。何か違和感があった。動きが通常の生き物とは異なっていた。



 画面越しなのに、咄嗟に片足を引いていた。

 直後、女が一息のうちに戦車へと肉迫する。射線を避けるように、弧を描いて走ってくるのだが、その速度がおかしい。映像を何十倍にも早送りして加工したみたいだった。


「う……撃てっ!」

 裏返った声で指示が飛ぶ。即座に砲撃が発射されるが、結果を見るまでもなく誰もが失敗を確信していた。

 一瞬、女の顔が画面に大写しになる。戦車前方にあるカメラに顔を寄せたのだ。女は戦車によじ登ったらしい。

 強い意志の宿った眼差しをしていた。その瞳の奥で、炎が燃えている。


 彼女はいま、自分を見ていると思った。

 女が、手に持った重いものを振り上げる動作をするのが、一コマだけ見えた。

 そのあと、映像が途切れる。



 対象区域内に侵攻した全ての戦車の視野が破壊、もしくは布等で覆われ操縦不能になったのは、それから一時間も経たないうちだった。人知を越える素早さで不死者が動き、為す術もなかったのだ。


 誰もが、真っ暗な画面を見つめたまま動けなかった。不死者はひとりとして森の外には出てこなかった。

 人的被害はひとつもない。

 しかし、本作戦は完全な失敗に終わったと結論づけるには十分な、あまりに圧倒的な決着であった。


「どういうことだ」とセラクト卿が呻く。

「どうなっているんだ!」

 机を殴りつけ、勢い余って計器類などを全てなぎ倒しそうになった、そのときのことだった。


 操縦不能になった戦車のうちのひとつに呼びかけがあるという。

 技師に合図をすると、部屋に『こんにちは』と若い男の声が響いた。思わず背筋が伸びる。



『サリタと申します。五十年ほど前の休戦交渉の際に代表として参加した、手足がいっぱいある者です』

 作戦室内の誰もが要領を得ないようだったが、アルラスだけはすぐに合点した。


「久しいな」と応じるが、こちらから向こうへ音声を送る機能はないことを思い出す。

 砲台を上下させると、くすりと笑う気配が伝わってきた。

『ロルタナ公ですか?』

 ふたたび砲台で頷いてみせる。通信の向こうでしばし沈黙があって、それから、改まった口調が告げた。


『攻撃の即時停止を要求します。このような事前の申し入れもない奇襲を断じて看過するわけにはいきません』

 先に本国へ攻撃を仕掛けてきたのはそちらだ。そう伝えたかったが、上下左右にしか動かない砲台では解説できない内容である。

 サリタは集音部に顔を近づけたようだった。


『集落内に進入した戦車はすべて鹵獲しました。今ならまだ簡単な修繕で済むはずです。……こちらの兵器、隣国製のものではありませんか? 入手にはさぞや苦労されたでしょう』


 こちらの懐事情も承知らしい。アルラスは歯噛みして、真っ黒な画面を睨みつけた。

『三日後の正午、そちらに伺います。交渉に応じてくださるなら、砦の上に旗を掲げてください』

 取り澄ました声で一方的にそう告げ、サリタはそこで意味深に『あ、そうそう』と言葉を切った。



 物音が数秒して、それから、音声は若い女の声で『閣下』と呼びかけた。

『エディリンナです。勝手に国を抜け出してごめんなさい。怒られても仕方ないって思ってるわ。でもね、私も色々考えて――』

 サリタの淡々とした語り口とは打って変わって、まるで私的な会話かのような口調だった。


 アルラスは当惑して左右を見る。エディリンナという名前がさっきから何度も出てくるが、結局そいつは何者だ?

(こいつは、誰に対してものを言っているんだ?)

 セラクト卿の娘だというが、父親に対して「閣下」だなんて呼び方をするか?


 エディリンナはしばらく感傷的な演説を続け、最後にサリタが提案した交渉へ応じるよう要求した。


 その際に付け添えられた一言に、アルラスは耳を疑う。

『不死の呪いの機序に関して、大枠が掴めました』


 背筋に冷たいものが走った。これほどの時間と手間をかけて消し去ろうとしている呪いを、解明しようとしている?

 エディリンナは誇らしげに『会ったらまた報告します』と言って、それきり彼女の声はしなくなる。

 サリタが落ち着いた声で再び日時を繰り返して、今度こそ人の声は途絶えた。


 一方的にやられた。相手も伊達に二百年以上生きていない。

 アルラスは苛立ち混じりに頭を掻いて、通信の途切れた画面を睨みつけた。



 ***


 無事な住人たちに呪術をかけ、戦車をすべて無力化して、音がしなくなってから数時間が経った。

 前触れのない攻撃は、嵐のように過ぎ去った。ようやく住人たちがめいめいの隠れ家から這い出てくる。


 リンナも岩陰からそろそろと体を出すと、周囲を見回した。

「向こうは、交渉に応じてくれると思いますか?」

 サリタは曖昧な笑顔だった。戦車にはこちらの音声を取得する機能があると判断して呼びかけたが、そもそも向こうに届いているかも怪しい。

 広場へ向かうと、地面の上に怪我人が並べられている。それを看病している中には衣服が半分吹き飛んでいる人もいたが、既に当人は平常そのものの動きっぷりである。


 服の破れ方から見るに、恐らく右半身を丸ごと持って行かれたように見える。

(不死者を相手に攻撃をするのは骨が折れそうね)


 治療を受けている面々の中にナァナも混じっていて、足に包帯を巻かれていた。ひとまず無事を確認すると、リンナは踵を返して博士たちのいる谷へと足を運んだ。

 谷はもぬけの殻だった。住居の残骸だけが道の両側に並び、人の気配はない。

 どこへ行ったのだろう、と首を巡らせる。追って来たサリタが長い胴体を持ち上げて周囲を探すが、姿は見当たらないようだ。


 再び頭の高さをリンナに会わせて、彼は非難めいた口調でこちらを見た。

「博士に会ったのですか」

「連行されたって言った方が正確かしら」

 サリタの足音はぺたぺたと不規則で特徴的である。あまり移動するのは得意ではないようだったから、リンナは奥まで行かずに足を止めた。


「……私、たぶん、死の呪いを使えるわ」

 小さな声で呟く。

 博士に挑発されたときの、突き上げるような怒りがまだ腹の底で燻っている。埋み火を掘り起こせば、まだ新鮮な憎悪を呼び覚ませる気がした。


 サリタは何があったのかは詳しく聞かなかった。無言で横に並び、澄んだ眼差しで頷く。

「何も難しい術じゃなかった。きっと長くて特別な呪文が必要なんだと思ってたけど、そんなもの必要なかった」

 憎しみや怒り、絶望に背を押されて、他人の命に手を伸ばす。そんな光景が脳裏に浮かんだ。


「条件が揃えば、また同じ呪いに辿り着く人が、いつか必ず現われる。呪術師を滅ぼしても、不死者を攻撃しても、私を処分したって変わらない」

 家族全員を殺害し、死の呪いを広めたフェメリアのことが、全くの他人事とは思えなかった。それが何より恐ろしかった。


 リンナは目を閉じてしばらく佇んでいた。


 間をおいて、目を開ける。

 サリタはじっとこちらを見下ろしていた。



next→ 最終章 いきものの流れ着くところ

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