052:古道をゆく 8
ずらりと並ぶ操縦席の背後を、アルラスはゆっくりと歩いた。
呪術師の影響を受けずに攻撃を行うためには、遠隔から操作できる兵器の使用が必須となる。
呪術師を相手に白兵戦を仕掛けるほど愚かなことはない。
広い部屋に設置された操縦席の数々を眺めた。三面モニタの前に座り、訓練を受けた兵士たちは緊張の面持ちで操縦桿を握っている。彼らひとりひとりが、ひとつの戦車を操縦するのだ。現状では国内でこのような技術を実現させることはできない。
高性能の車両とはいえ、基本は魔術による制御である。遠隔地の砦内から戦車を操作する機構がどれだけ精密な設定を必要とするか、アルラスにもおおよそ検討がつく。素晴らしい技術であることに間違いはない。
地獄のような予算会議を思い返して、ため息をつく。正体不明の『魔獣』を相手に、埒外の軍事費を強引にもぎ取ったのだ。砦外の状況を把握している上層部はともかく、何も知らない多数の議員らの額に浮いた血管と来たら、……思い返すだけで冷や汗が噴き出してくる。
「これで不死者を一掃できなければ、私の首はありますまい」
喉の奥で笑いながら、セラクト卿が顎を撫でた。
戦車の供与を受けることを決めてから、ついに作戦が決行される日が来たのだ。昨晩は緊張のせいか一睡もできなかった。
もっとも、ここ数ヶ月はずっとそんな調子だ。
大きな作戦を統率するにあたって、レイテーク城は一旦閉じることにした。
ロガスは元々息子夫婦のところにやろうと思っていたし、ヘレックも任期がもうすぐ終わる頃だった。レピテは消息不明だが、こういう例は初めてではない。以前にもあれくらいの年代の少女を雇い、僻地での生活に耐えきれず逃亡したことがあった。
部下に捜索を命じているが、優先度は低い。
他に、あの城で生活をしている人間は、いなかった……はずだ。
それにしても、とアルラスは中空を見上げた。
(二人揃って、なにか必死に反対していたな)
なんと言っていたか、確か、エディリンナとかいう女のことを覚えていないのかとか、どうとか……。
こちらも部下に調査させ、だいぶ前に報告書も届いているが、どうにも目を通す気分になれなかった。聞き覚えはないはずなのに、その名前を聞くと不安に襲われる。
城を離れたのも同じ理由だ。どういう訳か、城の廊下を歩いていると不意に胸がざわつくことがある。
軍本部にある仮眠室で寝泊まりするようになってからは、毎日悪夢を見るようになった。
夢の中で自分はきらきらと輝く宝物を手の中に入れて愛でていて、安らいだ気分でいる。そうしているとその宝物は逃げ出して手の届かないところへ行ってしまう。また別の日は、自分の手でそれを叩き潰しもするのだ。
何の深層心理の表れだろう?
(ようやく決着がつくかもしれないと思って、変に昂ぶっているのかな)
眉間を揉んで、アルラスは顔を上げた。
二百年の鎖国の代償は大きい。
かつて貿易の大動脈を担っていた街道はとうの昔に荒れ果て、交易は転移装置あるいは航空機を用いるほかない。どちらも物量を運ぶには適していない輸送路だ。
自由な人の行き来も絶えて久しく、他国への移動は基本的には許可が下りない。
(不死の呪いをこの世から完全に抹消すれば、壁を築く必要もなくなる。誰もが自由に行き来できるようになる)
部屋の前方で指揮を執る司令官が、進軍の号令を出すのを、アルラスは部屋の隅でぼんやりと眺めていた。
森の中にあるという不死者コロニーの位置は、上空からの調査を重ねることで細かな座標まで把握できている。これも隣国の技術である。飛行艇から読み取ったという地形は、恐ろしいほどに鮮明だった。
起伏の大きい土地の中に道が敷かれ、家々は木の下に、畑は開けた場所にある。畑の大きさは、住人の数に比べれば狭すぎるように思えるため、恐らく食事の習慣がない者が多数を占めているのだろう。
集落から見て斜面の上に配置された戦車が、一斉に前進する。住民を囲い込み、森の外の平地へと誘い出す作戦であった。予算の都合上、平地で不死者たちを待ち構える戦車には大した移動能力はない。待機を命じられた操縦士たちは、まだ身じろぎもせずにモニタを睨んでいる。
アルラスの手元のモニタには、先頭をゆく戦車のカメラ映像が映っていた。こぢんまりとした素朴な住居を認めた瞬間、懐かしさが込み上げる。かつてよく見られた民家の形である。
「案外普通の、田舎の村といった雰囲気ですな」
同じモニタを覗きながら、セラクト卿が興味深げに腕を組んだ。まだ住民の姿はないが、庭先に置かれたじょうろや移植ごてからは、実体のある生活感が感じられた。
状況も忘れて、アルラスは指をさす。
「俺が子どものときもな、よくこうした村に――」
言いかけた次の瞬間、のどかな村の光景が爆風に塗り潰される。
声を上げるかと思ったが、アルラスは固い意思で自身の身体を椅子に縫い止めた。
巨大な兵器が畑に進入する。
(仕方ない)
拳を強く握りしめて言い聞かせる。
(大勢の市民の生活のために、必要な犠牲だ)
隣でセラクト卿がこちらを冷静な素振りで一瞥した。ここに来て否やは唱えないだろうな、とその目つきが告げている。
耐えきれず、瞼を下ろした。戦車からは周囲の音を逐一取り込むことも可能だが、それらは各操縦士にのみ聞こえているだけである。
逃避はほんの数秒だけのつもりだった。自分が目を逸らす権利はない。
いま攻撃しているのは、二百年前なら守るべき民だった人々である。
勢いをつけて顔を上げようとしたそのとき、「えっ」と操縦席の方から声がした。次いで、すぐ横で大きな振動が床に響く。
驚いて目を開けると、セラクト卿が椅子から転げ落ち、蒼白な顔で前方の画面を指さしていた。視線を追うが、特にめぼしい場面は見られない。
操縦士の一人が振り返って指示を仰ぐようにこちらを見た。作戦中の指揮権は司令官に渡してあるのに、どういう了見なのか。
「エディリンナという人物が、『閣下』に、『私は無事だ』と」
混乱を禁じ得ない口調で、操縦士が呟く。
(エディリンナ?)
アルラスは腰を浮かせた。その名前は、ロガスやヘレックがしきりに繰り返していた女のそれではないか?
返事をする前に、セラクト卿が叫ぶ。
「あれは俺の娘だ」
は、とアルラスは呆気に取られて眉をひそめた。
「思い出した、そうだ、あれは生まれつき髪が白くて、それで、……」
言いかけたところで、セラクト卿は吐き気を催したように口元を押さえて黙り込んだ。その顔が見る間に青くなり、次にどす黒いほどに赤く染まり、最終的には血の気が失せて真っ白になった。
「白い髪?」
改めて画面に目を向ける。件の戦車の視界に、小さな少女の姿が映り込んだ。白い髪を揺らしながら、森の中を泣きながら走ってゆく。
その姿には見覚えがあった。
「あれは、兄に死の呪いをかけた呪術師と同じ人間じゃないか?」
セラクト卿が目だけを上げて画面を見て、それから更に大きく眼を見開いて叫ぶ。
「リンナ!?」
「は?」
こいつは何を言っているのだ。
「あれは二百年前に、戴冠式を襲撃した呪術師で」
「何を言っているんです? 二百年前に処刑された呪術師が生きているわけないでしょう」
「貴様の娘があんなに小さいはずないだろう、あれじゃ精々六つが良いところだ」
「そうですけど、どう見ても幼い頃の娘だったって言ってるんだよ」
互いに聞き分けずに声を大にして言い募る。
「うわあ!」と並んだ操縦席の方からまた声が上がった。慌てて視線を向ける。
「リンナだ」とセラクト卿が指をさす。画面内には逃げ惑う女たちの姿が映っていた。
「あ、あれもリンナだ、……あれもだ!」
押しも押されもせぬ軍人が、悲鳴を上げて縮こまる様子は異様だった。アルラスは覚束ない足取りで歩き出し、画面に近づいて立ち尽くす。
同じ顔をした女が、何人もいる。
「これは、一体どういうわけだ……?」
中央の画面に、また同じ女が映り込む。その一人だけが何故か違って見えた。
理由はすぐに分かった。彼女だけが、まっすぐにこちらを見据えている。戦車にカメラがついていることを認識し、その向こうに人間がいることを承知している。
白い髪をなびかせて、顎を引いて、自分を見ている。そう直感した。
一拍後、彼女は顔を背けて指をさす。画面外の誰かに呼びかけている。逃げて、と唇が動く。
音はないのに、凜とした声音が聞こえるような気がした。
「女が逃げました!」
悲鳴のような声で、指揮官がこちらを仰ぐ。数秒ぼうっとしている隙に、女は森の中へと駆け出していた。
「追え!」
アルラスは咄嗟にそう怒鳴り返した。彼女を見逃してはならない。




