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50:古道をゆく 6


 父の激しい折檻に耐えながら、何度考えたか分からない。自分がこのような見た目で生まれたことには必ず意味がある。


 母の疲れ切った横顔を見るたびに思い浮かべた。私が人と違って生まれてきたのは、なにか、崇高な使命を負っているからではないのか。



 博士は恐ろしいほど静かな声で呟いた。

「今から、約二百と五十年前、北部サンキトラにてフェメリアは死の呪いを生み出した」


 目を見張る。時代と地名には覚えがあった。

 領主一家の不審死。死の呪いが初めて確認された記録のそれである。


 全身の毛が逆立つような興奮を覚えた。リンナの表情に、既に事件を知っていると悟ったらしい。博士の声音が上機嫌になる。

「その十数年前に、フェメリアは領主の第二子として生を受けた。けれどその誕生は誰にも祝われることなく秘密裏に処理された。何故だかわかるかい」


 そよそよと風が前髪を揺らした。邪魔にならないよう緩く編んだ髪が視界に入る。

 幼い頃、母と同じ色に変えた。それまで、リンナの頭から生えているのは真っ白な髪だった。



 リンナは無言で自身の髪に手をかざした。根元から波が広がるように色が消え失せ、音もなく浮き上がって、白い髪が再び背へ落ちる。

 黙って結び目を解いた。胸元に毛束が滑り落ちる。


 リンナは挑戦的に博士を睨みつけた。

 かつての貴族制を思い返せば明白だ。魔術の適性は、親から子へ受け継がれる。


 一方で、まれに平民の中にも魔術に長けた子どもが生まれて、貴族の養子に取られる。


 同じように、呪術の適性も遺伝する。

 同じように、親に似ることなく呪術に秀でた子が生まれることもあるのではないか。


 リンナは片手で髪を撫でた。

「……呪術師になり得る人間は、白い髪で生まれてくる」

 呪術への適性を司るなにかが、その人間の髪色と紐づいている。


 親と似ないその姿が、呪術を操る姿が、周囲から忌避される。

 瞬きをした一瞬、リンナの瞼の裏には荒涼とした高原がみえた。

 物言わぬ骸が並んだ生家を離れ、完成したばかりの死の呪いを携えて、白い髪をたなびかせ、生まれ育った街から立ち去る後ろ姿がみえた。

 見たはずがないのに、思い浮かべた背中はずいぶん小さかった。


「領主の娘に生まれて、何不自由なく生きていけるはずだったのに、家族から爪弾きにされて、居場所がなくて、」

 リンナは掠れた声で呟く。

「――そんな理由で、死の呪いを作り出したって?」


(そんなの、おかしい)

 いくら家族に受け入れてもらえないからって、殺すなんて、そんなの、そんなの……。

 強い声を出そうとして、上唇が波打つ。顔が上げられなかった。目元が火照るように熱を持ち、指先が強ばって縮こまる。


(私のなにが違う?)

 家族の記憶を、心を操って、自分の都合が良いように歪めたのだ。


(家族を皆殺しにして逃げたフェメリアと、なにが違う)

 深く俯いたリンナを見て、博士は破顔した。


「死の呪いを作り上げたのはフェメリアだ。死の呪いを再現できる呪術師を作るために、先例にのっとってみたい」

 リンナは弾かれたように顔を上げた。


 しかし博士の口は止まらない。言葉を重ねるほど声高に、誇らしげに語る。

「そう思って、君をフェメリアと同じ境遇に置いてみた。どうだ、見てみろ……私の読みは正解だった!」

 すべての音や温度が消え失せた。博士が得意げに笑っている。



「私は、君を彼女の生まれ変わりにするつもりで、セラクト家の胎児に呪いをかけたんだ」



 ……そんなことで?

 リンナは瞬きをした。

 そんなことで、私は、作られたのか。


 フェメリアと同じ境遇に置いてみた? 石を投げて波紋を見てみたいと語るのと大差ない物言いだった。


「……は?」

 自分でも驚くほどの低い声が漏れる。ふっと全身にかかる重圧が消え失せ、リンナは糸で吊られたように立ち上がった。


 周囲に佇む女の目が、いくつも、こちらを向いている。同じ顔をした女だ。

 目が合ったと思ったのに、その目は何も見ていなかった。どこにも焦点が定まっていない。


 地上に生まれるより前に肉体を操作され、本当の容姿も分からないまま、命じられたとおりに動くだけの操り人形。死ねと言われれば自分の喉を切り裂いてみせる。そうして跡形もなく、名前さえ与えられず、消滅する。


「ふざけないで、」

 ゆらりと博士に向き直る。

 全身に、これまでにないほどの怒りが渦巻いていた。額や頬から、爪先に至るまで、激しい炎が包み込んでいる。


 生まれたときから封じ込み、必死に折り合いをつけてきた怨嗟が、出口を探して暴れ回り、身体を突き破らんばかりに膨れ上がる。

 鋭い光が、一瞬、視界の中心で閃いた。


 肉体は内側から溢れる激情に塗り潰され、身体の輪郭をした外縁だけが残される。表層に厚みというものは存在せず、閉じた立体のなかに生き物ひとつ分の熱量が息づいていた。

 呪術で触れられるものは、すべてそこにある。


 吸い寄せられるように手が伸びた。届くはずのない距離なのに、指先に確かな温度が触れた。

 この皮を破き、中身を握りつぶせば、全ては一瞬にして形を失い、もはや二度と戻ることはない。すなわちそれが、死というものである。


 全身が軋んでいる。白い髪が力を孕んで逆立ち浮き上がる。

 自分は軽んじられ、理不尽に人生を左右され、奪われてきたのだという自意識が、形を取ろうとしていた。


 甘美な被害者意識が囁く。誰も私を尊重してくれなかったのに、どうして私が他人を慮らなければならない? 身を委ねたくなるような響きが繰り返される。




 胸の奥で穏やかな声が告げた。

 ――君は、呪術を使って人を傷つけるような人間ではない。


 瞬間、リンナは戦慄して飛び退いた。


(……私、いま、なにをしようとした?)

 額や首筋から、汗が筋になって流れ落ちる。恐怖で全身から血の気が失せてゆく。


 リンナは喘ぐように口を開閉させ、三歩下がって指をさした。

「あ……あなたの、思惑には、乗らないわ」

 わななく唇で告げる。影の中から残念そうなため息が漏れた。「もう少しだったのに」


 心臓が激しく脈打っている。リンナは呆然と立ち尽くし、肩で息をした。

 こんなにも容易く相手の口車に乗り、激昂した自分が信じられなかった。それほど自分が我が身を哀れんでいたとも知らなかった。


 ナァナが会うべきではないと言っていた理由が分かった。相手は話が通じない異常者で、こちらを意のままに操ろうとする危険人物である。おまけにリンナは彼の製造物で簡単に操縦されるときた。

「いい加減、姿を見せたらどうなの」

 己を奮い立たせて、リンナは大きな声を出した。威勢がいいのは声だけで、腰は随分前から引けていた。博士は「うーん」と声を上げてしばらく黙る。


「人前に出られないくらい不細工なの? とてつもない肥満で動けない?」

「どうかな」

 曖昧に答えて、博士が深呼吸した。その呼吸音に耳を澄ませながら、リンナは唾を飲んだ。

「自分の目で確認してごらん」

 おいで、と博士が優しく囁く。嫌よとリンナは断固としてはね除けた。


「あなたが、明るいところに出てくるのよ」

 そう言い放って一歩も動かずに構えていると、博士は聞こえよがしに嘆息する。

「出してくれ」そんな合図ののち、車輪が軋む音がして、リンナの両目は洞窟の中で動く影を捉えた。

 徐々に光の当たるほうへ近づいてくる。車椅子だろうかと目を細めるが、それにしては形が簡単すぎる。



 先ほど、激昂したときに、見えた景色があった。

 生き物というものは、袋と、それに包まれた一繋がりの熱量である。二つは両輪であり、どちらかが機能を失えば、もう片方も形を保つことはできない。


 すなわち肉体と生命である。

 不死の呪いは、その二つを守って初めて完成するのではないのか。


 ナァナの身体は傷を治さないが、老いを知らない。命に関わる傷を負えば、おそらく死ぬ。肉体を守る術は不完全で、その生命は守られていない。


 サリタの手足が増殖しているのは、肉体の維持を司る呪いが上手く作用していないから。誤った修復が行われた結果、部位が過剰に作られているのだ。

 胴体の大きさからして、内臓なども不自然に増減しているはずだ。本来なら死んでもおかしくないのに、彼は生きており、やり取りも可能だった。


(閣下の傷が治り、年を取ることもないのは、肉体が維持されるから。死ぬはずの大怪我を負っても、何も食べなくても死なないのは、生命が維持されているから)


 その両輪が揃うことで、完全な不老不死が成立するのだ。



(たとえば、身体の維持だけが行われているとき、修復を越えるほどの外傷や、毒とか病気で死亡することはあるんじゃないの?)

 ……それでは、その逆は?

(もし、身体の修復はされないが、生命の維持だけは行われるとしたら)


 物思いに耽っていたから、焦点が定まるのに時間がかかった。

「初めまして、エディリンナ」

 明るい声が呼びかける。リンナは顎を引いたまま答えなかった。


 腰ほどの高さの台が、車輪に乗って日向へ進み出てくる。

 写実的で悪趣味な芸術品を見たような気分だ。

 ――生首が喋っている。

 リンナは重い口を開き、やっとの思いで「なるほど」と呟いた。



(これは断頭台の上からご挨拶申し上げるわけだ)

 首の中ほどまでしかない頭部が、台の上で微笑む。表情豊かに目礼してみせて、挑戦的にこちらを見る。輝かんばかりの白髪は短く切り揃えられていた。


 後ろに立った女が台を押しているらしい。

 虚ろな目をして、彼女の体は波打つように上下を繰り返していた。

 博士の口元からは、寝息のようにゆっくりとした呼吸音が、規則正しく繰り返されている。


 それまで当然のように耳に入っていた音の正体に気付いた瞬間、嫌気が差した。

(……生首に肺はない)

 女は、一定の速さで、台車についたペダルを踏んでは離している。その動きが博士の呼吸と一致していると気づいて、リンナは唇を噛み締めた。


 彼女は黙ってふいごを動かしている。絶え間なく博士の喉へ風を送り、彼が声を出す手助けをしているのだ。

(この人にとって、私たちは手足に過ぎないんだわ)

 説明のためにひとり殺すのも、爪を切るのと同じことだ。

 博士の唇が開くのを、リンナはじっと見ていた。



 直後、轟音とともにすぐ背後の地面が消し飛んだ。


 離れた地面に叩きつけられて、リンナはあまりの激痛に呻き声を上げた。

(いきなり、何……?)

 呆然と顔を上げた先で、木立の向こうに巨大な影を見た。低音で唸りを上げる金属の塊である。

 噂に聞いたことがある。本物を見たことはなかったが、魔術で制御された最新鋭の兵器のひとつのはずだ。兄からもその存在を聞き出したことがある。敵の攻撃をものともせずに進軍する大型車両。


「これ、戦車?」

 砲台がついていて、足元では妙なベルトが回転して移動している。木陰へと吹き飛ばされたリンナは、背の高いシダに隠れて戦車の横腹を見つめていた。


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