005:歴史に残る死の呪い 5
騒がしい酒場のなかで、アルラスは厳しい口調で問うた。
「君、呪術は独学なのか」
「元々はそうですね。家の書庫にあった『おまじないの本』が、今思えば簡単な呪術も含む代物だったの。きちんと資料をあたるようになったのは大学に入ってからです、それまでは独学」
ふぅん、とアルラスが意味深な表情で頬杖をつく。リンナは腕を組んで睨み返した。
こんなに下町の飲み屋が似合わない人も初めて見た。ごった返した食堂で見てみると、妙な迫力と威厳がますます強調されて周囲から浮いている。
どんな王族だって、すぐ後ろで酔っ払いが笑い転げている肖像画なんて持っていないだろう。
「それにしても、かのアールヴェリ大学で呪術を教えているとはな」
「誤解があるわ、古代魔術の研究をしてらっしゃる先生の下について、私が勝手に呪術の研究をしていただけです」
「あんな格式高い名門校で、よくそんなきな臭い研究が認められたものだ」
「あそこは良くも悪くも実力主義ですから」
普段は飲まない酒を勢いよく呷って、リンナは手の甲で鼻下の泡を拭った。わざと大きな音でジョッキを机に下ろしたが、アルラスは微動だにしなかった。
しかし、彼の呪術に対する嫌悪は並々ならぬ様子である。
(二百年前のひとだから、呪術の弾圧が一番激しかった頃に生まれ育ったんだわ)
口元を隠したまま、目線だけでアルラスを窺う。先に食べ終えて、頬杖をついて天板の角を睨んでいる。眉間の皺を見るに、今の状況がずいぶん不本意のようだ。
前途多難な予感にため息をつきながら、リンナは食堂を出た。
あたりはすっかり暗くなっていたが、明日の祭りの準備はまだまだ終わっていない。作業のために設置された照明が目に眩しかった。
宿屋に向かって歩く道すがら、治安の悪い笑い声や大声がそこかしこから聞こえていた。
町が拡大して人の出入りが増えるに伴って、問題もそれなりに増えているそうだ。セラクト家は領主ではないものの、貴族階級ゆえに時おり仲裁を求められることがある。
何度も通行人の肩や鞄に当たりながら、リンナはちらと背後のアルラスを見上げた。酔っ払いより喧嘩っ早いこの男のことだ、変ないちゃもんをつけられたら受けて立ちかねない。
「閣下ともあろうお方が、こんな下町で、護衛もつけずにうろついていて良いんですか?」
「問題ない」
せっかく心配して声をかけたのに、この反応である。ふん、と鼻を鳴らしたリンナに、アルラスは軽く人差し指を振った。
「護衛を十人つけるより、俺ひとりの方がよほど安全だ」
「あら、それは心強いわ」
途端、アルラスが両手を挙げて肩を竦める。
「どういうことだ? 俺が、俺より凶暴な君を守るのか? 君から市民を守るんじゃなくて?」
芝居がかった仕草に、リンナは半目になった。このひとは本当に、相手を逆撫でることばかりお上手みたいだ。
「元は王子様なのに、二百年でレディへの接し方も学べないくらい不人気だったのね。無理ないわ」
「釣書が山と届いて、開封するだけで一苦労だった。なにせ俺は常に貴婦人に親切だからな。そしてもちろん、猛獣には毅然と接する」
自分より減らず口の人間を初めて見て、リンナはすっかり呆れ果てた。
後れを取るのが嫌で、アルラスより一歩前を歩くように早足になる。負けじとアルラスの歩幅も大きくなり、肩を並べてずんずんと往来の中央を歩いた。宿屋まではもうすぐだ。
なにかぎゃふんと言わせてやりたい。気の利いた一言を考えていると、何だか前方で騒ぎが聞こえた。
「その人、ひったくりです!」
そんな叫び声が聞こえた瞬間、人波がさあっと割れた。
見通しの良くなった往来の中央を歩きながら、リンナはアルラスに向かって指をさす。
「だいたいね、二百歳だか何だか知りませんけど、自分の十分の一程度しか生きていない相手に必死で言い返したりして、恥ずかしくないんですか」
「年長者への敬意のない若造のなかでも、君は類を見ない逸材だな。君は俺の十分の一以下の年齢だが、面の皮の厚さなら十倍ある、誇っていい」
ほんとうに、口が減らない。
閉口して、リンナはアルラスに照準を合わせていた人差し指を前方に向けた。
『硬直』
「転移」
示し合わせたわけでもないのに、声は同時に重なった。
走ってきたひったくり犯は眼前で壁にぶち当たったかのように停止し、頭から転倒する。
犯人はまだ子どもみたいな年頃の青年で、必死に目だけを動かしてこちらを見た。
「あれ、俺……なんでこんな……?」
さぞや混乱しているだろう。呪術で体が動かないようにしたのである。
さて、ひったくられた鞄は……とリンナは腰に手を当てて犯人を見下ろすが、鞄がない。
どこに消えた? 怪訝に眉をひそめたとき、男が走ってきた方向から「ありがとうございます!」と声が上がった。
いえ――と片手を上げて応えようとしたリンナの真横を、若い娘がすり抜ける。
「どうもありがとうございます」
乱れた髪のまま、彼女は肩で息をしながらアルラスに駆け寄った。
彼はいつの間にか小ぶりの肩掛け鞄を掲げている。
一体どんな早業だろう。
目を丸くするリンナの横で、アルラスは「どうぞ、お嬢さん」と鞄を差し出した。
「お怪我はありませんか?」
鞄を手渡しながら、優しく声をかけている。別人ではあるまいか? 目と耳と正気を疑って振り返ったが、人違いではない。
間違いなくアルラスが女性に微笑みかけている。
鞄を胸の前で抱きかかえて、彼女はうっとりとアルラスを見上げた。
「あ……ありがとうございます。もしよろしければ、お名前を伺っても?」
「いえ、名乗るような名前など」
女が真っ赤になるのを見て、リンナはひょいと眉を上げた。
こんなに可愛らしい田舎娘には、アルラスは都会的かつ邪悪すぎる。もっと誠実な男がふさわしい。
立ち去ろうとしたアルラスに、彼女が追って声をかける。
「あのっ、なにか……私にできることはないですか? お礼とか、」
「うーん、そうだな……」
と、アルラスは顎に手を当てて考えるふりをして、それから人差し指を立てた。
「警察を呼んで、わけを話して、そこで倒れている男を連行してもらいなさい」
ぴしゃりと水をかけるような一言に、鞄を抱えた女が鼻白む。「行こう」と促され、リンナは大人しく従った。
小さな町では大きな事件の直後でも、アルラスは平然としたものである。
「今のは、足止めの呪術か?」
「そうですね。四肢の筋肉の動きを一時的に停止させる呪文で、定型文です」
この町に住む人間は全員、呪術を目の当たりにするのはこれが初めてだったはずだ。
つまり、呪術を認識できてはいないだろう。
後から追いついたさっきの少女も、アルラスがひったくり犯を捕まえたと思ったから、彼に礼を言ったのだ。
リンナが呪術で青年を転ばせたとは予想もすまい。
(感謝されたくてやった訳じゃないけれど……)
ポケットに手を突っ込んで俯きながら、リンナはこっそり唇を尖らせた。
こんなのは初めてではない。
少なくともリンナは、今の時代に呪術を使う人間を、自分以外に一人も知らない。呪術でなにか手助けをしても気付かれないか、気味悪がられるばかりである。
(まあ、仕方ないわよね)
いつか呪術がもっと市民生活に浸透すれば、きっと時流も変わる――それがいつのことになるかは分からないけれど。
それまでは、認められなくても仕方がない。
「お手柄だな。咄嗟のことなのに良い判断だった」
と、ごく当然のように放たれた言葉に、リンナは呆気に取られて顔を上げた。
絶句してアルラスを凝視していると、耳がじわりと赤くなる。目を逸らして、彼は思春期みたいに吐き捨てた。
「俺がそう思ったから、そう言っただけだ。別に貴様を褒めようとした訳じゃない」
「……ふぅん?」
にんまりと頬を緩めて、リンナはアルラスの顔を下から覗き込む。
「もしかして、閣下が私に対して態度が悪いのは、うっかり惚れられると困るからですか?」
ぴく、と彼の頬が引きつる。すぐさま反論が飛んでこないところを見るに、あながち的外れでもなさそうだ。
リンナはこれ見よがしに肩を竦めてみせた。
「心配しなくても、私、閣下のこと大嫌いなので、大丈夫ですよ……いたい!」
言い終わる前に拳骨が落ちて、リンナは頭を押さえて悲鳴を上げた。
「ほとんど力は入れてないだろうが、演技派め」
呆れ顔でため息をつくアルラスに、リンナは再度大きな声で抗議をした。
翌朝、一行はまだ日も明け切らないうちに出発した。
薄暗い車内でうとうととしながら、リンナはふと目が覚めた。顔を上げ、そっと、向かいの席で眠るアルラスを見る。
黒髪で、体格が良く、精悍な顔立ちである。
数ヶ月前に、新聞で王室の家族写真を見た。親子揃って髪色は明るくて、線が細く優美な雰囲気があった。
膝の上に投げ出されたアルラスの手を見た。硬い手で、幼い頃から剣などを握ってきた指にみえた。
二百年前とは美的感覚も、求められる素養も違う。今の王族には、武芸の腕前はそれほど求められないだろう。
こうして顔を突き合わせてみれば大して変わらない年頃に思えるけれど、年齢は十倍近くも違うのだ。
リンナは瞬きひとつして、アルラスの寝顔に視線を向けた。窓枠に肘を置き、俯いたまま寝息を立てている男を見つめる。
(この人が、知ってしまったらもう自由の身にはなれないほどの、重大な秘密なの……?)
不老不死、とリンナは唇だけで唱えた。
今でも、何か悪趣味な冗談ではないかと思っている。
(死の呪いを跳ね返して死ねなくなった人を、殺す方法)
きっと彼は、普通に思いつくような方法はすべて試したはずだ。それでも命を終わらせることができなかったから、今も生きている。
(私、この人を死なせるための呪いを作らなきゃいけないんだわ)
眉間に皺を寄せ、きつく目を閉じて眠っている姿を睨みつける。
(私、この人を殺すんだわ)
腰をちょっと浮かせて、リンナは前方の小さな窓を覗き込んだ。御者の肩越しに、白んできた空と黒々とした街の輪郭が見えていた。
ちょうど駅から始発の汽車が出たところである。旧式の汽車は街の外縁から飛び出し、滑るように加速してゆく。薄らと雲のかかった青空に、黒煙がたなびく。
もうすぐ人々が動き始めるころだ。
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