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呪術臨界点 -年上夫を呪い殺すための基礎研究-  作者: 冬至 春化
7章

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49:古道をゆく 5


 監視の存在を感じながら、川を渡って、つづら折りの林道を上ってゆく。ナァナが出かけた直後のことだから、彼女が駆けつけたという揉め事も仕組まれたものかもしれない。

 曲がり角をひとつ曲がったところで、前方で待ち構えていた女の姿にぎょっとする。見慣れた顔だが大人びており、数年後の自分を見るようだった。


 無感動な目つきでこちらを見下ろし、「こちらへ」と告げて歩き出す。決められた台詞と動作を行うだけの姿は、まさしく糸で操られた人形を彷彿とさせた。

(全然違うってナァナが言っていたのは、こういうことね)

 自分の意志なんてない。彼女が吐き捨てた言葉の意味を痛感する。


「こんにちは。ご機嫌いかが?」

 友好的に話しかけてみるが、先導する女は戸惑ったような目でこちらを一瞥するだけだった。

「名前は何というの?」

「……私たちに名前はありません」

 素っ気ない返答に、リンナは閉口した。



 前方に建物が見えてくる。サリタのいる集落とは異なり、生活感の薄い並びだ。

 どうしてだろうと首を捻って、原因にすぐに思い当たる。全ての家が同じ形をしていて、表に干されている洗濯物の並び方もみんな一緒。きっと間取りや家具の配置もすべて一緒に違いない。


 リンナはさりげなさを装って周囲を見回した。

 隣の谷にいるのは、年齢に差はあれどもみんなこの顔の女のようだった。

(不思議な感じ)

 木陰からこちらを覗き込む幼い少女と、そのすぐ隣の年長の少女が固く手を繋いでいる。幼い方は目が合うとすぐに首を引っ込めたが、もう少し年上の方は興味津々といった顔つきで目を逸らさない。

 ちゃんと観察すれば、案外個人差がある。


(まったく自分の意志がないって訳でも、中身までまったく一緒って訳でもないんだわ)

 内心で呟いたとき、突き当たりにある洞窟が見えた。説明がなくても目的地だと分かる。

 自然と足取りが重くなった。遅れがちになったリンナを振り返り、年上の女は無表情のままふたたび「こちらへ」と告げる。


 穴蔵の前に立ち竦んで、リンナは鞄の紐を強く握りしめた。

 洞窟の奥は暗く、奥行きの程度も読めない。アルラスがここにいれば火でもなんでも浮かせて照らすことができるだろうが、近くに生き物がいないと何もできない身では、こういうときが心細い。


 相手は呪術師である。こちらの呪術が通る間合いということは、相手からも同じ状況ということだ。

(あれ、呪術師同士の敵対ってお互いにすごく危険かも)

 自分が地上にただ一人の呪術師だと思ってきたし、こんな状況は想定してこなかった。今さらながらリンナは腰に手を当てて考えこんでしまう。世の中の呪術師は、投石の練習をした方がよさそうだ。

(閣下みたいな魔術師が重宝されたのって、そういうことね)

 独り合点して頷いていると、暗がりの奥から忍び笑いが響いてきた。



 はっと息を飲んで耳をそばだてる。いざとなったらすぐにでも走って逃げられるよう中腰になると、笑い声は更に大きくなった。

「そんなに身構えなくても、取って食ったりしない」

 中年くらいの男とエルウィが言っていたのと相違のない印象の声音だ。絶えず深呼吸するような、長い息の音が聞こえてくる。


「……あなたは、誰なの?」

 リンナはそれ以上前には出ようとせず、声を大にして問いかけた。

「そちらでは、博士と呼ばれているらしい」

 声は岩でできた洞窟をこだまし、朗々と響き渡る。リンナは唇を引き結んで半歩しりぞいた。


「フェメリアの一番弟子って聞いたわ」

「いかにも」

 博士は姿を見せないまま満足そうに答えた。


「悪い呪術師だと聞かされてきたか? やれ罪のない人々を襲っただの、凶作を招いただのと記録されているが、あの人は単なる学者なのだよ。君と同じだ」

 リンナは頷かなかった。

 博士の言う通り、フェメリアに関する逸話はろくなものではない。無論、呪術に関する資料は念入りに封じられているから、なかなか人の口に上る話でもない。


「そんな昔の呪術師の話ではぐらかさないで」と強い口調で話を戻そうとすると、博士がなお一層笑い声を上げる。

「じゃあどんな話がしたい」

「私を作ったのは、あなた?」

「そうだ」

「何のために」

「さっきから、その話をしているんだよ」


 物わかりの悪い生徒へ言って聞かせるように、根気強く穏やかな応答だった。

 虚を衝かれて口を噤む。博士は柔らかい声音で続ける。

「彼女は自身が体系的に整理した呪術理論を広めるために精力的に動いていた。私もその意志に賛同したひとりだ」

「それって、死の呪いも広めていたってこと?」

「察しが良くて素晴らしい。あれは素晴らしく強力な術だ。呪術師の存在を世の中に知らしめた」


 嬉しそうに声が弾む。他人の命を一瞬で奪う術を、嬉々として語るなんて。嫌悪感に眉をひそめると、博士は苦笑したようだった。

「あれはフェメリアの生涯のなかでも一、二を争う成果だ」

「紛れもない一番じゃないの?」

「いいや」と博士が声を潜める。深々としたため息のあとに、ゆっくりと息を吸う。


「彼女の身体は、死の呪いに耐えられなかった。三十を超える頃には既に目が見えなくなっていた。それから数年をかけて様々な感覚を失い、……四十を迎える前に亡くなった」

 死の呪いというのは、そういう呪術だ。博士が厳かに告げる。


 高い位置に昇った太陽が、リンナの背をじりじりと焼いていた。光の届かない影の中で、博士は恐ろしいほどの沈黙を放っていた。

「死の呪いを生み出してから十年ほど経ち、自分の身体でさえ死の呪いに耐えられないことを悟った彼女は、次に術師の改造に着手した」


 全国を巡り、呪術師たちへ広く呼びかけ、組織立った呪術師の集団を形成する。

 集団内での交流を推進し、呪術師の血を濃く受け継いだ次世代を生み出す。

 生まれた子どもの肉体を更に改造し、より呪術に耐えられる形質を突き止め、改良を繰り返す。


「そうして生まれたのが、君だ」

 以来、様々な改良を試みてはきたが、ついぞ君を越えられる呪術師は生まれなかった、と。

 恍惚とした口調で語る博士を眺めながら、リンナは喉元に苦いものを感じていた。

(実験動物相手にだって、そこまではしないわ)


 それが看過されるような気風があった。身内だけで固まり、ひたすら内側だけを見続け、人道を逸れたおこないを止める者もいなかっ た。

「身体の情報を取得し、胎児あるいは出産直後の赤子に適用する。元となる身体さえあれば簡単な術だ」

 胸のむかつきが、はっきりとした吐き気に変わる。リンナは口元を押さえて背を丸めた。リンナの反応に気付いてか気付かぬうちにか、博士は華々しく宣言してみせた。


「さしずめ、君は呪術師が作り上げた最高傑作というわけだ」


 えずいて顔を背けるリンナに、博士が喉の奥で笑う。

「君が完成して以後、呪術師の世界は一変した。誰もが畏れ敬う技術者としての地位を確立したのだ」

「金で雇われた殺人代行業のことを、技術ですって?」

 鋭く糾弾したつもりだったが、声は弱々しく響いた。


 博士は反抗を快くは思わなかったようだ。次に口を開いたときには、その声は険を帯びていた。

「……君は、単に優れた呪術師であるというだけではない。依頼を遂行するために作り出された作品だ。たとえば、」

 警戒して半歩下がる。距離はまだある。呪術が届く距離ではない。


「跪きなさい、エディリンナ」

 呪文ではない、ただの平文だ。そう思ったのに、次の瞬間、リンナは地面に膝をついていた。


 我に返って顔を上げるが、四肢が動かない。くつくつと笑い声が暗がりから漏れてくる。

「君の肉体は、こんな風に、呪文を使わずとも、私の命令を認識したら従うようにできている」


 博士が直接呪術を使ったわけではない。この身体が元からそうした呪いをかけられているのだ。


 リンナは跪いたまま愕然とした。身体が言うことをきかなかった。

 頭上は蓋を開けたようなからりとした晴天だ。真昼の陽射しは眩しくやや暑いが、風が心地の良い季節だ。


 それなのに、リンナの全身は雪の中に放り出されたように冷え切り、震えていた。

 顔は見えないのに、大きく口を開けた穴の中から邪悪な気配が手を伸ばしてくる。たとえ意に反することを命じられても、逆らえないと直感した。


 博士が優しく囁く。

「極めつきはこれだ……そこのお前、ちょっと死んでみせなさい」


 青ざめたリンナの横で、ここまで案内を務めた女が「はい」と頷いた。

 木陰に佇んでいた別の少女が進み出て、短剣を手渡す。女はそれを受け取ると、恭しく自身の首元にあてがった。

 片膝をついたまま、リンナは目を見開いて傍らを見上げる。目の前で何が起こっているのか、理解ができなかった。


「やめて」

 自分と寸分違わぬ容姿をした女が、鈍く光る切っ先を己の喉元に押し当てる。


「なにしてるの、ねえ、あなた何を」

 女の口元が、束の間、ひくりと引きつった。顔が歪むが、彼女の手は止まらない。


「やめて! ……今すぐやめさせて! やめなさい!」

 恐慌して叫ぶリンナの頬に、熱い血飛沫が飛ぶ。


 咄嗟に顔を背けて目を閉じた。が、覚悟していたような返り血はそれ以上降ってこなかった。

 人ひとりの肉体が弾けて、白い灰になった。細かい粒子が舞い上がり、陽射しの形をありありと浮かび上がらせるのを、リンナは呆然と見上げていた。


 見覚えのある光景だ。博物館から逃げる呪術師を追いかけたときにも、同じものを見た。

「呪術師が同じ顔をしていたら、顔が割れたときが大変だろう。だからこうして、死の間際に肉体が自壊するよう仕掛けをしてある」

 これなら、依頼先で殺されても大丈夫だ、と博士が楽しげに告げる。


 返事はできなかった。声さえ出なかった。浅い呼吸を繰り返しながら、リンナは目の前が真っ赤になるような怒りを覚えていた。


「万一捕縛されそうになったときは、自害するようにと命じてあったの」

 ん、と博士が聞き返す。リンナは眦を決して深い闇を睨みつけた。

「博物館を襲った子に、そう命じたのと聞いているの」


 博士は「ああ」と明るい声を上げる。「もちろんそうだ。常にそのように指示している」

 リンナは隣でくしゃくしゃになって地面に落ちた衣服を一瞥した。頭がくらくらする。



「とまあ、素晴らしい作品ではあるのだが、問題がひとつある。死の呪いが使えないことだ」

 何事もなかったかのような態度だ。もはや怒鳴りつける気力すら湧かず、リンナは小さく頷いた。

「口伝で受け継がれていた死の呪いだが、当時の混乱のせいで、連れ出せたのはまだ死の呪いを習得していない幼い個体ばかりでね」

 その頃既にフェメリアは亡くなっていた。博士は口惜しげに呟く。


「以来、私は死の呪いを再現することにかかりきりになった」

 嘆息混じりの一言は、彼の試みが決して順調ではなかったことを暗に示していた。

「君の周りに何人も同じ人形が立っているがね、これらはみんな失敗作だ。ろくな呪術が使えないうえ、自分の頭で考えて呪文を組み立てるという気が全くない」


 苛立たしげな口調で舌打ちをする。リンナは顔を動かして周囲を取り囲む少女らを見回した。誰もが一様に石膏像のような無表情で、目が合っても眉ひとつ動かさない。

「それで、私が望みをかけて用意したのが、君だ」

 頭の片隅で警鐘が鳴らされている。これ以上聞くべきではない。もう一秒だって、こいつに関わってはいけない。


 それなのに身体が動かなかった。呪いで縛られているせいもある。

 けれどそれ以上に、内側から湧き出る根源的な欲望が足を押さえつけていた。


 私は何者で、どうしてここにいて、何をしなければならないのか。ずっと渇望していた答えが、いま、目の前にぶら下げられている。


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