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呪術臨界点 -年上夫を呪い殺すための基礎研究-  作者: 冬至 春化
7章

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047:古道をゆく 3


 空いている手でナァナの背を撫でながら、サリタは地面に体を横たえて手招きをした。促されるがままに近づき、リンナは大木の根元に腰かける。


「博士と対立しているのね?」

 ええとサリタは微笑んだ。

 人外の恐ろしい姿である。いくつもの手足が不自然に胴体から生え、肌は奇妙なほどつるりとして傷一つない。

 その一方で、サリタの瞳には鋭い知性が宿っていた。


「……エルウィは無事に保護されましたか」

「はい」

 頷くと、サリタは目を細める。彼に託した伝言が効果を発揮したのだと理解した表情だった。


「私が何者なのか、教えてくれるって聞いたわ」

 真正面から切り込むと、サリタが笑みを深める。


「サリタ、という名前の意味はご存知ですか?」

「昔の言葉で、『実験体』……」

 歌うような問いかけに、リンナはぎこちなく答えた。


「じゃあ、何の実験体だと思いますか?」

「……不死の呪い、かしら」

 そっと目線だけでサリタの表情を窺うと、彼は凄絶な眼差しでこちらを見下ろしていた。

「そこのナァナも同じです。僕たちは呪術師による人体実験の成果です」


 返答に窮して口を噤む。リンナは気圧されて僅かに身を引いた。

 責められているのだろうか。二百年も昔の呪術師の所業の報いを受けさせるために、呼ばれたのか?

 膝の上で強く握りしめられた手の甲に、サリタの白い手が重ねられた。真っ直ぐに合わされた視線には、深い共感が感じられる。


「そして、あなたも、同じ」

 覚悟していたほどの衝撃も、動揺もなかった。

 呪術のための糸人形、と数分前に聞いた言葉が蘇る。……私はきっとそれなのだろう。


「私は、ここで産まれたということ?」

「いえ。……お母様は、あなたがお腹にいる頃に国境線に近づいたりしませんでしたか?」

 婉曲な問いかけに、リンナはすぐに合点する。

「胎児の間に呪いで姿を変えられたのね」

 恐らくは、とサリタは頷いた。



 頭上に差し交わした枝々が、風を受けて大きくざわめく。リンナは眼下に広がる集落の姿を眺めながら、深く息を吸った。

 自分が人為的に作られた生き物だと仮定してみれば、納得がいく点はあった。

「……呪術が誰にでも使えるものになれば、と思ったことがあるわ」

 これまでにも何度も唱えてきた。もっと呪術を普及させたい、誰にでも利活用できるものにしたい、と。


「呪術は、魔術と同じように、術者本人の適性が物を言う。でも、魔術と違って、呪術は必ず生きた術者によって行使されねばならない。どうしても魔道具のように万人には開かれない」

 サリタとナァナは黙って聞いていた。



 前に、アルラスに呪術を使わせようと呪文を教えたことがあった。彼が合図をしても、蟻の子一匹立ち止まらなかった。悲しくなるくらいの完全無視だった。同じ呪文でも、リンナなら巣の中の蟻を全員表に出させて一列に並ばせるくらいできると思う。

 自分は呪術を使うことに長けている。その自負を持って生きてきた。


「死の呪いのような大きな力を持つ呪術は、術者に大きな負担がかかる。死ぬこともある」

 事実、大昔に死の呪いを使用してそのまま死んだ少年の記録が残されている。

 死の呪いは使いたいが、自分が死ぬことは回避したいと思うのは当然のことだ。当時の呪術師だってそう思ったに違いない。


 リンナは風に混じって囁いた。

「……死の呪いの記録がね、ある時期から爆発的に増えていたの」


 すべての物音が、水の中の出来事のように遠く聞こえる。地に足が着いているかも定かではなかった。

 呪術師が顔を見られないようにしていたのはどうしてだろうと思っていた。一目見れば呪術師だと分かるほどの特徴があるから、隠していたのだろう、と。

 予想はしていた。けれど、まさかここまでとは。


 死の呪いを使う呪術師は、全員が同じ顔をしているから、容姿の情報が出回るわけにはいかなかったのだ。


 言葉は自然と滑り出して止まらない。

「他人の命令で、呪術を行使するための、道具。指先ひとつで明かりがつく魔法灯と同じ。壊れれば同じ製品がまた作られるだけの使い捨て」


 指先が痺れている。底が抜けたような不安が襲う。己の肉体が、ふいに実体のない空洞に感じられた。

 呪術について記された本を初めて手に取った日のことを今でも覚えている。初めて呪術を使い、家族が笑っているのを見たときの多幸感を覚えている。


 これだと思った。私はこれのために産まれてきたのだ、と。

 私が、既に廃れた技術を現代に蘇らせてみせる。そう思って研究を続けてきた。


「じゃあ、私が、呪術を見出した訳ではないのね」

 ただそういう風に作られていただけで、そこに運命的な出会いも、奇跡も存在していなかった。

 このことを知るためだけに、アルラスの言いつけに背き、国境を越え、遠くまで旅をしてきたのだ。


「知れて良かったわ。ありがとう」

 軽い口調で礼を言い、立ち上がる。五、六歩あるき、来たときと同じ階段を見下ろした。


「待ってください!」とナァナが追いかけてきて腕を掴んだときには、既に大粒の涙が溢れていた。

 声も出ないまま手の甲で頬を拭う。

 ナァナは目を見張って、それから両腕を広げてリンナを抱き寄せた。

「本当は分かっていたの。私、普通の人間じゃないって」

 両手で顔を覆い、リンナは顔を歪めて呻いた。ナァナが背を撫でる。


「リンナさん、ごめんなさい。無理やり連れてきて、こんなことを聞かせてごめんなさい」

 無言で首を振った。ここで知ることができて良かった。本心からそう思っているのに、それを口にすることがどうしてもできなかった。とてもじゃないけれど、まだそう言える自信がなかった。


「あのね、リンナさん」とナァナは手を引いてリンナを座らせた。階段の最上段に並んで腰かけて、ナァナの丸い瞳がこちらを見つめている。

「初めてリンナさんがお城に来たとき、わたし、心臓が止まりそうだった」

 目玉が落ちそうな勢いで凝視してくるメイドを思い出して、つられて笑ってしまう。ナァナはレイテーク城にいた頃のように、屈託のない笑顔を浮かべた。


「まさか博士が命令して遣わしたのかなって思ったの。でもリンナさんは全然違った。誰かに操られているひととは、全然違う。リンナさんはきっと特別なんです」

 力強く言い聞かせて、手を握る。


「その通り」

 サリタが木の根元から滑り降りて、顔を覗き込んだ。

「だから、エディリンナ。あなたに来てもらいました」


 リンナは息を飲んで顔を上げる。サリタは柔和な微笑みを消し、真剣な顔つきをしていた。

「ご存知かもしれませんが、現在我々は本国からの攻撃に晒されています。向こうの方針は殲滅。我々の中でも、対抗して本国への攻撃を企てる勢力があります。このままでは二百年前と同じような――いえ、あれより酷い争乱に繋がりかねない」


 そんな大騒動を止めろって? おののいて仰け反ると、サリタは遠ざかった分だけ身を乗り出した。

 四つの手のひらを肩に置いて告げる。


「エディリンナ。あなたに、不死の呪いを解いてほしいのです」

 サリタの声を聞きながら、馬車のなかで、アルラスが挑戦的に放った言葉を思い出した。



 俺のために死の呪いを再現したいとは思わないか。あのとき彼が本当に言いたいことは何だったのだろう。

 自分の代で呪術師を根絶やしにする。明言こそしなかったが、彼の本懐はそこにある。


 もしもリンナが本当に死の呪いを作ったとして、アルラスの死後、死の呪いを使うことのできるリンナは速やかに処分されたはずだ。あの提案をした時点で、彼はそこまで織り込み済みだったはずだ。


 アルラスの背には血の匂いが染み込みすぎている。それを仕方ないと割り切れない程度には、正気が残りすぎている。

 目を閉じると、彼がもう疲れたと呻いて頭を抱える姿が瞼の裏に浮かんだ。

 断頭台を睨んでいたときの、固い覚悟を滲ませる眼差し。幼い頃から従軍していたことを当然だと語ったときと同じ横顔。


 リンナはゆっくりと顎を反らして空を見た。木々の隙間から青い空が覗く。引き千切ったような薄い雲が頭上を横切っている。

 いつの間にか初夏は目前だった。新緑よりも色濃い葉が鮮やかに揺れる。


 あのひとが、季節を追い、日々を愛おしんで過ごしてくれたら良いと思った。それが、永い彼の人生における慰めになると思っていた。

(でも、きっとそれじゃあのひとを救うには足りないんだわ)


 全てをひとりで背負い、ひとを遠ざけ、助けを拒む姿には、心当たりがあった。


 自分のやっていることが人の道にもとる所業だと分かっていて、それでも、だからこそ後戻りできない。そんな背中を、自分は知っている。

 決して引き返さない。引き返せないと大股で歩きながら、心のどこかで、誰かに咎めてほしいと思っている。

(私は、その気持ちが分かる)


「やるわ」とリンナはひとこと答えた。

 ナァナが顔を輝かせ、手を握ろうとするのをすいと躱して、「私は」と続ける。


「私は、確かに自分の意思でここにいる。でも、私の生殺与奪がもはや私だけの問題じゃないことも、分かっているつもり」

 俺のせいだ、と頭を抱えるアルラスの声が耳の底でまだ響いている。私が今のまま手を差し伸べたって、応えてくれないだろう。


「私が、不死の呪いを解くことに尽力するとしても、それは人々を救いたいとか、崇高で英雄的な動機じゃないわ」


 今見えているこの街並みも、自分にとっては異界のように見慣れない場所だけど、彼にとっては生まれ育った祖国の一部である。

 そこを、敵の根城だと心に決めて攻撃を命じるとき、彼は一体どんなにやるせないだろう。


 目を閉じて、リンナは数秒川のせせらぎに耳を澄ませていた。

「私が、やりたいからやるの」


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