046:古道をゆく 2
森に埋もれた古い街だ。木造の家屋が川沿いに建ち並び、急勾配の岩場の間を、水が飛沫を上げて流れ下っている。
思っていたよりも大きな集落だった。見たところ川沿いの道が集落の中心を貫き、そこから左右に枝分かれする形で道と建物が配置されている。
馬車を降り、川を左手に眺めながら階段をのぼる。額に風を感じながら、リンナは周囲を見回した。
斜め前の家の窓から、小さな子どもの顔が覗いていた。目を丸くしてこちらをじっと見下ろしていたが、目が合うとすぐさま頭を引っ込めてしまう。
それでようやく気付いた。リンナが近づくと、行く先々でいくつもの窓や扉が閉じられていく。
「嫌な思いをさせてごめんなさい」と、先導するナァナが首を竦める。
「いいえ、嫌って訳じゃないわ。余所者だから仕方ないけど……まるで怪物でも見つけたみたいな反応ね」
かぶりを振って答えた。ナァナは意味深に目を逸らして、「まあ、もうすぐ分かりますよ」と唇を尖らせる。
徐々に息が上がってくる。あとどれくらいと聞くために頭を上げて、そこでリンナは目を丸くした。
「お待ちください」
行く手に少女が二人立ちはだかっている。年齢はどちらも八、九といったところで、波打つ白髪を垂らし、簡素なワンピースは揃いの形をしていた。
揃いなのは服や髪型だけでない。
その顔をまじまじと見て戦慄する。
「先生がお呼びです」と、先ほど声を発したのとは別のほうが言う。決められた台詞を読み上げるように無感動な口調だ。
二人の表情には愛想といったものがまるでなく、無愛想に見える。
少女を見上げたまま、リンナは一歩踏み出した。ナァナが咄嗟に制するように片手を出すが、それを下げさせる。足が震えた。
「あなたたちは、誰?」
同じ顔をした少女ふたりが、互いに目配せをする。予定外の問いかけに対する戸惑いが見て取れた。
リンナは更に焦れて前へ出る。
「二人とも、私が子どものときにそっくり」
あの頃は鏡を見るのが嫌いだった。
家族の誰とも似ていない顔。異質な白い髪。何度も自問自答したし、きっと母も同じ問いを常に浮かべていたはずだ。……どうして自分は「こんな」風に生まれてしまったのだろう?
「呪術のための糸人形、とわたしたちは呼んでいます」
半歩後ろでナァナが告げる。リンナは少女たちを正視した。どういうことなの、と目線を合わせるが、白髪の子どもたちは返事ひとつしなかった。
「聞いても無駄ですよ。その子たちに自分の意志なんてないですから」
そう言ってナァナは少女らの横をすり抜ける。促され、リンナも躊躇いがちにナァナを追った。ふたりは瞬きせずにリンナを見ていたが、腕を伸ばして引き留めようとはしなかった。
その姿が見えなくなってから、リンナはナァナの袖を掴む。
「ねえ……あれはどういうこと?」
「既にお分かりかと思っていました」
ナァナは歩調を緩めて振り返った。冷静な返答に、思わず言葉に詰まる。
認めないわけにはいかなかった。自分と同じ顔をした女は一人や二人ではない人数存在していて、それらは博士と呼ばれる人間に仕えている。
ここに来る前、ナァナが言っていた――「あなたにも無関係の話ではない」。
リンナは押し黙って顎を引いた。自分の正体を知りたいと思ってここに来たのだ。誰かから答えを与えられるのを待って、ただ狼狽えているわけにはいかない。
行く手に階段の切れ目が見えた。道の行き止まりのようだ。巨木が真正面に立ち上がっている。
ナァナはふと立ち止まって、こちらを振り返った。
「リンナさん。研究には失敗がつきものです。お分かりですよね」
戸惑いつつ頷くと、ナァナはリンナの手に触れて、声を潜めた。
「だからね、どうか怖がらないであげてください」
何の話、そう聞こうとしたとき、大木の根元で影が蠢いた。
息を飲んで顔を上げる。
人だ、そう思ったが、大きさがおかしい。見上げるほどの大きさで、体が長く、……腕や足が多い。
何対も並んだ手足を地面についた姿は、言葉を選ばなければ百足に似ていた。それだけに、上半身の上に乗っかった頭はやけに小さく見えた。
髪は長く華奢な手足だったが、筋張った指先から相手が男性だと察する。
風に乗って聞こえる呻き声は、苦しんでいるようにも笑っているようにも聞こえた。奇妙に反響、増幅した音声は、言葉として聞き取りづらい。
「サリタ」
一声叫んで、ナァナが残りの数段を駆け足で上ってゆく。その後ろ姿を、リンナは呆然と見送った。
地面まで届くような黒髪が、白い肩を覆っていた。長く伸びた髪に隠されてその顔は見えない。服らしい服は着ていないものの、清潔な布がその背にかけられているせいか、どこか神聖ささえ感じられた。
ナァナが近づくにつれて、声がいっそう大きくなる。ざっと数えて三対の腕が地面を離れて差しのばされた。六本の腕が少女の小さな肩を抱く。
互いの頬に手を添えて、労るように身を寄せ合う二人を前に、リンナは立ち尽くすしかなかった。
たっぷりと逡巡してから、おずおずと進み出る。ナァナは抱擁を解いて振り返り、異形のひとを指し示した。
「サリタ、といいます。わたしたちのまとめ役で、同じく二百年前から生きているひとです」
ナァナの説明に応えるように、サリタはぐっと体を地面に伏せてリンナに顔を寄せた。
「初めまして、エディリンナといいます。呪術の研究をしています」
手を伸ばして顔にかかる髪をよけてやると、まだ若い青年の顔が現われた。表情はなく、こちらを無言で見据えている。
肌が透き通るように白く、それだけに額に影を落とす黒髪と暗い瞳に惹きつけられた。
アルラスに似ている、と咄嗟に思った。人種が近いのだ。今はもうなかなかお目にかかれない面立ちだ。
改めて見てみれば、サリタはなかなか整って綺麗な顔をしていた。そのせいだろうか、瞬きもせずじっとこちらの目の奥を見据える姿は、精巧に作られた石像に似た恐ろしさがある。
彼はしばらく、なにかを訴えかけるようにリンナを見ていた。ややあって、リンナの片腕に四つの手を絡めて、小さな札を差し出す。
声が出ない無作法を許してください、と整った文字で記されている。
思わず顔を上げると、サリタは自身の喉元を指さした。リンナは引け腰のまま恐る恐る手を伸ばして、彼の首筋に手を当てる。
奇妙な違和感があった。眉をひそめて注視する。
病気や怪我ではない。呪術によって封じられているのだ。そう気付いて、リンナは距離を詰めた。
呪術にも様々な種類がある。人を跳び上がらせたいと思ったとき、膝を曲げ、腕を振って膝を勢いよく伸ばすよう呪文を組む場合もあれば、跳べ、とそのまま命じる場合もある。状況によって相応しい呪文は異なる。
口を開閉させ、舌も動かしているのに、声帯から音が出ない。呻き声は発することができるけれど、意味のある言葉は出せないのだ。
サリタの喉には、後者のように対象者の意識を下敷きにした呪術の痕跡が感じられた。
『話してもよい』
指をさして一声呟くと、サリタの口から「あの」と掠れた声が飛び出す。ナァナが目を見開いた。
「え?」
サリタは二つの手を喉に当てて絶句する。幾度か咳払いをして、それから、彼はゆっくりとこちらを振り返る。
「……僕、話せていますか?」
息混じりの声で問いかけられ、リンナは「ええ」と頷いた。
途端、ナァナが顔を覆って勢いよく泣き出すのでぎょっとする。
「ごめんなさい、私なにかしたかしら」
「いいえ」
狼狽えたリンナの手をふわりと掴んで、サリタが首を振る。「まさか、声が戻る日が来るなんて、思ってもいなかったものですから」
女性的な仕草で顔を近くに寄せられ、思わずどぎまぎした。
「あなた方が博士、と呼んでいる呪術師にかけられた呪いだったんです。こちらの共同体での主導権争いの一環でね」
ありがとうございます、とサリタは微笑んだ。ナァナの反応を見るに、随分と長い間かけられていた呪いらしい。
あんまり感激したような様子に、リンナは面映ゆく頬を掻いた。




