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呪術臨界点 -年上夫を呪い殺すための基礎研究-  作者: 冬至 春化
6章

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042:歴史の足音 8


 そろそろリンナは城に着いた頃だろうか。アルラスは執務室の時計を見上げて足を組んだ。

 無事に到着しているか気になるが、席を離れるわけにはいかなかった。

 二百年以上も軍に居座り、大抵の我儘なら通る立場になったが、重鎮を全員集めておいて「家内が心配なのでちょっと……」などと予定をずらすのはさすがに憚られる。


 窓辺に飾られた花を見やった。城で育てた花をいくつか摘んで持ってきたものだ。花なんぞを飾るのは、両親や兄が存命で、旧都がまだ旧都でなかった頃以来である。

 しかしこうして部屋を彩ってみると、なかなかどうして人間らしい営みに思える。


 春先、せっせと庭の種まきにいそしんでいたリンナの姿を思い出す。花壇ごとに色を分けて種を蒔いたはずが、ひとつだけ別のものを蒔いていたことに気付いて崩れ落ちていた。


 誰もいない気安さからか、つい声を漏らして笑う。

 あのときはどうしたんだっけ、掘り返して植え直したんだったか……いや、違う。


 アルラスは足を組み替え、頬杖をついた。

 呪術で、「変えた」のだ。種に直接呪文を唱えて、周りの品種と同じになるよう呪いをかけた。


 目を閉じると、瞼の裏で、得意満面のリンナが土まみれの手を伸ばしてくる。普通に掘り返した方がよっぽど楽じゃないのかと言いたかったが、あんまり誇らしげだったから言えなかった。



「全員揃いました、閣下」

 ノックとともに、前髪をきっちりと撫でつけ、生真面目に背筋を伸ばした部下が顔を出す。

 そうかと頷く自分の声が遠く聞こえた。


 立ち上がり、床を踏んで歩き出す。確かに自分の四肢なのに、まるで何かに操られてでもいるようだ。

 この軍本部で最も大きな会議室の扉が開く。

 既に揃っていた軍上層部が一斉に立ち上がり、最敬礼をとる。すぐ手振りだけで楽にするよう伝えると、アルラスは自席へ向かった。会議室前方には大きなモニタが運び込まれており、すぐ横にセラクト卿が立っている。


「閣下!」と卿は嬉しそうな声を上げた。

 もう良い歳をした軍人だが、仕事が大好きという類い希なる特徴を持った男であり、たびたびはしゃいだ姿を見せることがある。どういうときかは単純である。


「ささ、どうぞかけてください。これより、新型の戦車の実戦投入の記録をご覧に入れますゆえ」

 今にも小躍りしそうな声かけに、アルラスは無言で頷いた。


 この国の本来の領土の一部は、現在不死者に占領されている。その区域は本来なら隣接する他国との間に位置しており、諸国からは不死者の問題をすみやかに収束させるよう強い圧力がかかっている。

 隣国から供与された戦車が、壁向こうの不死者との交戦に投入されて早数ヶ月が経つ。その有用性が確認できれば、同型の戦車を大量に購入し、戦地へ一斉に投入する計画となっていた。


 その判断を行うのが、今日この場所、この会議である。

 セラクト卿が合図を出し、映像が映し出される。記録を通して褪せた轟音がひとつ聞こえた瞬間、アルラスは椅子に深く腰かけたまま凍り付いた。手足を縫い付けられたように、身動きができなくなった。


 まるで、目を開いたまま悪夢を見ているようだった。自分が見ているものを理解できなかった。

 照明を落とした部屋の、ほの白く光るモニタの中で、人間の形をした生き物が砲撃に晒されている。半身を吹き飛ばされた傷口から、水の湧くように肉が膨らんでゆく。しかし、新しく生えてきた腕が完成するより先に、次の砲弾が不死者を襲う。


 度重なる砲撃に肉体の修復は追いつかなくなり、頭と片腕だけを残し、乾いた地面を転げ回る。直後に発射された皮膜が、不死者の体を覆う。ぴったりと塞がれた腕の断面が、半透明の皮膜の下で修復を試みては阻まれている。皮膜の下で蠢く肉から、目が離せなかった。


「新型の戦車は、不死者の捕縛に対応しています。このように、不死者の肉体を最小まで破壊し戦闘能力を奪ったのち、その身体を覆うことで修復を阻止することができるのです!」

 セラクト卿が高らかに告げる。わっと拍手の音が響いた。


「敵陣にいると見られる呪術師の影響を防ぐため、遠隔での操作が可能です。数秒の遅れはあるとのことですが、問題にはならない誤差とみられます」

「すばらしい! すぐにでも操縦士の訓練を始めましょう」


 ひとりだけ、遠くにいるみたいだった。


 閣下、どうされましたと水を向けられても、まだ音は遠かった。世界が、膜を隔てた向こうに見えた。

 セラクト卿は机の上に地図を広げた。とある位置に印がつけられ、併せて樹冠を上から写した写真が提示される。


「初めに攻撃を行う対象は、かつてのヴェルシトス地方の東に広がるロランチェ森林地帯を計画しています」

 男が力強く告げる。「先日保護された市民の証言からしても、ここに不死者が多く生息していることは間違いありません」


 ……懐かしい地名だ、とアルラスは内心で呟いた。

 ヴェルシトス地方は、アルラスが少年時代に親しくしていた友人の生まれ故郷だった。友人に連れられて、兄とともに何度か訪ねたことがある。温泉街があり、保養地として有名だった。

(もう、こんなに森に飲まれていたのか)

 不死者を国内から追放し、壁を築くにあたって、放棄された地区のひとつでもある。


「戦車の一斉投入は、手始めにここにあるコロニーを標的とするのが良いと思われます。幸いにも、近隣には廃墟となった街が残存していますから、こちらを拠点にすれば都合が良い」

 壁に貼られた地図を掌で叩いて、セラクト卿は高らかに宣言した。

「我らの国土を占領する憎き魔獣共を、一掃してやりましょう!」


 アルラスは森を写した写真をじっと見下ろしながら、軍人たちの呼応する声を聞いていた。

 木々の隙間からわずかに見え隠れする屋根を、親指でそっとなぞる。自分以外にはもう誰も、この土地を踏んだことはないのだ。


 隣国から戦車を買い付け、操縦士の準備ができ次第、ヴェルシトスにある森林を全方位から叩く。

 ああ、素晴らしい計画だ。そう答える自分の声だけが、幾重にも反響している。


 モニタの中の不死者が、こちらを見ている。もはや逃げ出すことは叶わないと悟って、虚ろな目を向けている。

 捕らえられた不死者は、脱出の不可能な金属製のコンテナに各自格納され、地下深くの廃棄庫へと収容される。

 不死者に食事は不要である。いちど収容されてしまえば、不死者は二度と光を見ることはない。

 決して終わることのない生涯を、体ひとつ分の空間で過ごし続ける。


 未来永劫。


(すべての不死者の収容が確認できたら、俺も地下へ入る)

 この計画が動き出したときから、ずっとそのときを待ち望んでいた。本当の意味で死ぬことはできなくても、安寧の暗闇の中で、ずっと眠り続けるのだ。


 もう疲れた、と何千回呟いてきただろう。

 なにも見聞きせず、身じろぎもせず、すべての責任から解放されたい。もうなにも考えたくない。

 そう思ってきたはずなのに、棺桶の中の静寂を思い浮かべると雑音が混じる。


 ……リンナは何年で俺のことを忘れるだろうか。


 部屋中の視線が集まっていることに気付いて、アルラスは我に返った。

 最終決定を下すのは自分だ。その最後の一押しを待たれている。


 狼狽える。女々しい葛藤に揺れている自分が情けなかった。

「覚悟を決めさせてくれるか」と呻いて立ち上がる。他の参加者たちは否やは唱えなかった。


 作戦が成功すれば英雄になる彼らと違って、アルラスはその後、永遠に収容される未来が待ち受けているのだ。彼らの目つきは同情的ではあったが、できるだけ早く決断して欲しいと言いたげな苛立ちも感じられた。


 よろめきながら中座する。執務室に戻って通信機に歩み寄り、城にかけた。

 祈るような思いで目を閉じて待っていると、『はい』とヘレックの声が応じた。

 ちょうど夕飯の支度をしている時間帯だから、通信機が置かれた居間の近くにいたのだろう。

「リンナは戻ってきたか?」

 言うと、『ああ』とヘレックが声を上げる。


『いま、レピテが迎えに行っているところです。戻ったら折り返し連絡するよう伝えておきましょうか』

「いや、いい」と答える声に落胆が混じるのは隠せなかった。

「レピテが一人で行ったのか? 珍しいな」

『他にも買いたい物があるとかって、率先して出て行きましたよ。このあいだ奥方さまが迂闊にお菓子を買ってあげたりしたからですかね』

 呆れ混じりの口調でヘレックが苦笑する。アルラスもつられて頬を上げる。レピテと旧都の市街地で多少は息抜きでもしてくれたら良いが。


「わかった」

 そう答えて、アルラスは受話器を下ろした。


 目を閉じると、瞼の裏にリンナの姿が浮かび上がった。

 知らない男の手を取って、白い砂浜を海に向かって駆けてゆく。あの開けっぴろげな笑顔で大きく足を動かし、塩気のある水に目を白黒させるのだ。

 浅瀬にしゃがんで淡い色の二枚貝を目の高さに掲げ、頬を紅潮させてしげしげと観察する。それでなにか、こちらの意表を突くようなことを言って、思わず笑ってしまうと、彼女はまた、……。


(俺は、そこにはいない)

 幻想がふっと掻き消える。乾いた風が胸の内を吹き抜けている。


(リンナ)

 彼女の声が何度も木霊して呼びかけてくる。その全てに胸の内で返事をしながら、アルラスはきつく目をつぶって頭を振った。

 感傷的な空気は霧散する。もう迷いは残っていない。


 大股で会議室に戻ったときには、果断な軍人の顔つきになっていた。そのはずだ。


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